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運転支援技術、自動運転で本当に幸せになりますか?

昔子供の頃に「人造人間キカイダー」という、特撮番組がありました。
そこは狂った科学者が作った、高度なAIを搭載した戦闘用のロボットが、密かに暗躍する世界の中で、「良心回路」という人と同じ心を持たされた「ジロー」というアンドロイドが、その心ゆえに悩み苦しみながらそれらの軍団と戦っていくという内容の番組でした。

敵である「ダークロボット」達には、少なくとも今風で言えば「コンプライアンス」を守れという指示や、自ら判断する能力はなく、首魁である「プロフェツサーギル」の狂気の指示に従い、人間に危害を与えていきます。
対する「ジロー=キカイダー」は人の良心を持たされ、更にその矛盾に苦悩する「自我」まであるために、人を守るそれが「正義」の戦いであっても、本来持っている戦闘能力を抑制してしまうという、矛盾した行動を見せてします。

これが今から45年以上も前に作られた、「たかが子供用のトクサツ番組」だというのも凄いのですが、架空の世界であったロボットやAI等が今まさに我々の眼前に、いやそれらに囲まれて生活していると言うのも、「とんでもないことになったなぁ」というのが自分の正直な感想です。

さて、話が一気に現代の自分の事に飛んでしまいますが、自分の自家用車は去年から所謂「安全運転支援システム」が搭載された車になりました。
さぞかし運転が楽になったでしょうと良く聞かれますが、正直このシステムを含めて、道交法や交通道徳上の配慮、または「危険予知運転」などを含めて、違和感なく交通環境の中でスムーズに動かせるようになったのは、1年という時間と、1万5千キロに及ぶ、通勤や日本中の高速道路や山間部を走って試行錯誤した上で、ようやく実現できました・・・・と書いたら皆さんはどう思われるでしょうか?

具体的に高速道路の走行を例にして解説いたしましょう。
この「安全支援システム」やら「自動運転モドキ」を搭載された車が増えてきた数年前から、ある不思議な行動をする車が多いことに懸念を抱いていました。
それは、「走行車線」を勢い良く走ってきて、追い越し車線の車を追い抜いて、前方のノロノロ走っているトラックに追いついては急減速する・・・を繰り返す車が増えたことでした。

最初自分は「なんだ、このど素人な運転は!」と腹を立てつつ、あまりにその数が多いのと、それらが高級車や外車に多かったことに嫌悪感を抱いていましたが、自分が「運転支援システム」の車に乗って、初めてこのシステム故の行動であることに気がつきました。

推論も入りますが、「先方追従クルーズコントロール」の機能で、100kmに設定して、およそ周囲の交通状況を気にせず「ズボラ」を決め込むと、間違いなく上記のような走り方になります。
それは、それらの車が前方車両に追いついて減速すると、後方の車両の確認もせず、場合によってはウィンカーすら出さず(これが本当に少なくない)、車線変更をした挙句、特に加速するでもなく巡航してジリジリと追い越した挙句の果てに、そのまま追い越し車線に居座る行為が、本当に多いことからも、おそらく「支援システムを起動して、あとは自動とばかり主動的に運転する認識に乏しい」ドライバーが多いことから来るのだと思われます。

それらら該当車両のドライバーを観察すると一目瞭然で、家族連れのお父さんや、中年以上の男女などが多く、主体的に運転を楽しむとか、公共性を優先させようとかいう意識の乏しそうなドライバーが多かったからです。
車の自動運転領域が増えたことで、運転の主導権を放棄しただけでなく、おそらく元々乏しかった、自ら行わなければならない「安全運転義務」や「交通道徳の配慮」も放棄してしまったようなんです。

先の自分の話で公道上でスムーズにシステムを使いこなして走行できるようになるまで苦労したという話ともつながるのですが、自分の車も含めて、現在市販されている車に搭載されている「運転支援システム」や「レベル2程度の自動運転システム」の場合、道交法や交通道徳を遵守して、公共を優先させて走行させる等というロジックは搭載されていないはずですし、その能力もありません。

ですから、貧弱で単純な画像やレーダーの乏しい情報を、これまた貧弱なCPUで計算して「一定の距離を保つ」「ぶつかる前に停止する」「車線を自保持する」程度の機能しかないわけで、例えばある程度混雑していて、勝手気ままに振舞う他の車達を回避しながら一定のペースを保って、なお且つ交通の流れを阻害しないように走ろうとすると、はっきり言ってしまえばシステムを切って自分の判断で運転したほうがはるかにスムーズで安全ですし、もしシステムを稼働しながらそれを実現いようとすると、システムの性能や「癖」を読み取り、状況によってON/OFFしたり、制御項目を切り替えたりと、「使いこなす」までにかなりの労力を必要とするのが現実のレベルなんです。

更に安全で言えば、「あの手の高級車の運転手は虚栄心と闘争心の強い自我の抑制が乏しい低レベルの人間だから、必ずここで飛び出してくる」等という、長年の人生経験を加味した「予測運転」を駆使して、「あらかじめ減速して、回避できる状況を確認しておく」などという芸当は間違ってもできることではありません。
それどころか、一般道で前方の信号が変わりそうだから減速してお香などという簡単なことすらできずに、巡航速度のまま、停止している車を感知して「急停車」することしかできないんです。

要するに、現在販売されている運転支援システムや自動運転もどきの車では、「自分だけはリスクを低減できる」可能性は高くなりますが、交通環境全体を見れば、「公共の福祉の観点で、最大幸福の意味での交通安全を実現できるものではない」どころか、新たな危険性すら生んでいるという程度のもだと言うのは、あまりに独善すぎるでしょうか?

実は航空機の世界では「自動操縦は」それこそ1940年代から存在し、完全自動の離発着や、あろう事か「コントロールされた墜落」とも言われる、航空母艦への着艦ですら、1970年代の技術で可能化しているのです。
そしてそれらを積極的に推し進め、「人間は間違いを犯すので、最後の判断は機械が行う」考え方でシステムを組まれたかつてのエアバス社の旅客機は、誤判断をした挙句人間の操作を拒否して墜落事故を起こして、多くの犠牲者を出してしまっていたのです!
航空機の世界では、この教訓から、パイロットが主体的に操縦する、最後は人間が責任を持って判断する事が安全であるという結論が出されています。

さあここで最初の「キカイダー」の話に戻りますが、人間が判断を放棄してAIに全てを委ねた場合、もしそのAIが「ダークロボット」と同じで、コンプライアンスという発想がなければ、その車は容易に道交法を違反したり、あまつさえロジックとして搭乗者の安全を優先させて、他の車や歩行者、動物などをに「危害を与える」ことになりはしないでしょうか?
反対に人間が主導権を持っていても、当の人間が「個人の欲望と感情を優先させ、虚栄心に満ち溢れた挙句にコンプライアンスを犯す」人間であれば、AIはそれを諌めて抑制させることができるでしょうか?
答えはどちらも「No」であり、結局それではより多くの人たちが安全で幸せに生きるための交通環境などは、間違っても実現することはできないのではないでしょうか?

自分はなにもすべてのレベルの自動システムやAIに「良心回路」をつけろとまで言ってはいませんが、少なくとも「AIが原因で目を背ける大惨事で多くの人命が奪われる」事が起きないように、できることならすべての人間の良心に背くことのない、最低限度の「国際ルール」を、すべての人類の賛同を持って批准させて、アシモフの「ロボット3原則」ではありませんが、「ロボット制御憲章」を作り出し、できることなら「兵器」にも適用する事を、真剣に考えなくてはならないのではと思います。

有名な映画の「ターミネーター」の世界ではありませんが、機械の反乱などという大げさな話まではいかなくとも、AIやシステムが「BUDDY」として本当に人の世の中を幸せにする存在とさせる場合、その制御ロジックに「心」の部分を織り込んでいく必要があると自分は思います。
まあ、当の人間自身が、その人間たる所以の「心」の部分の為に、多くの不幸を生み出していますし、喫緊で言えば、今世界中が「LOVE」ではなく「HATE」という感情に突き動かされて間違った方向に進んでいるわけですから、もし仮にAI達か自我を持って我々人間を見たとしたならば、「あいつら何をやっているんだ」と思われて、「全世界、地球のためにも有害な人間達は駆逐するのが正論だ」などという、考えたくもない「正論」を導き出してしまい、駆逐されてしまうなんてことが、けして絵空事の世界だけで済まなくなってしまうのかもしれませんね。
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やっとこ

どうもです。
まぁ、そもそも自動運転無しの状態ではたしてsoranekoさんが思う理想的な運転をするドライバーやライダーがどの程度いるのか?
と言うところは事前の話ですが(笑)。
安全な判断といざと言う時の確かな運転技能がない運転者が物理的な限界もわからない思考をそのままに先進と言われている運転支援装置付のクルマやバイクに載せられてしまう運転者ばかりになったら、こちらはたまったもんではありませんね。
電気電子センサ回路とプログラム。
もはや電化製品ですから万能ではありません。
良いことばかりを唱わずに、注意喚起も必要ですよね。
by やっとこ (2019-11-23 19:35) 

soraneko

やっとこさんへ

結局性格や生き方のような部分まで、どんなに発達したところで機械は「悪しき魂」までは浄化してくれないという所でしょう。
我々は「運転免許」を頂いているという事に、もっと強い「責任感」を持つべきなのだと思いますし、持てない人間は公道を走らせるべきではないのかもしれません。

そういえば、自動運転は子供や老人が横断歩道で手を上げていたら、キチンと止まってくれるんですかねぇ(苦笑)
by soraneko (2019-11-23 19:50) 

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