台風が来る前に8月恒例「河口湖自動車博物館」見学 [旅行]
恐らく8月は記事のアップはこれで最後ですね。
本当はやりたかった事、書きたかった事が山ほどあるのですが、毎日この湿気で蒸されているだけで、何もやる気力が完全に失せてしまっています。
来年もこんな感じでしょうから、8月の過ごし方は考えておかないとですね。
さて、気を取り直して(笑)、8月というと河口湖にあるクラッシックカーや、旧日本軍の軍用機の発掘、再生、保管の事業をしている「河口湖自動車博物館」が、この1っか月間だけ一般公開する期間で、毎年訪れています。
本当はバイクのツーリングを兼ねて、伊豆でのんびり温泉でも入ってという予定のミッションでした。
じつは月曜日が天候がまだ安定していたので出かけるはずでしたが、前日の夜中に緊急アラートが夜中に鳴り響いて起きだして睡眠不足に成っていたので、断念して、自動車での日帰りドライブに変更しましました。
何時ものケチケチ旅行で、高速を使わず下道で河口湖を目指すので、早めに2:30に自宅を出ます。
何もそんな早く出なくてもと思われるでしょうけど、過去の経験上この時間なら、平日の朝の市街地の通勤渋滞に巻き込まれないで済みます。
自宅を出てから概ね天気が安定していて、これならバイクでもと一種のも居ましたが、この空気感は何時何処で豪雨に遭遇するか予想もつかないので、オートバイで特に山間部などで遭遇すると「ずぶ濡れで済めば儲けもの」というリスクが大きすぎます。
夜中だと空いているので、あまりマニアックなルートを通らなくてよいので、新4号から125号、埼玉県道3号から横にそれて16号に乗って淡々と走っていましたが、入間市を走っている辺りで正面に虹が立っていました。
実際には二重線の綺麗な虹で朝から縁起が良い・・・ではなく、この先が雨雲が通過したか、降っている途中という意味で、やはりこあと段々雨が強くなっていました。
時間には余裕をもって出かけたので、途中で仮眠など取りながら9:30に現地に到着します。
この日は一台だけオートバイで来ていたお嬢さんが居ましたが、天候の話などして開園になったのでまず自動車館から見学します。
以前ならこの手のクラッシックカーは全く知識がありませんでしたが、最近はかなり解るようになってきました。
毎年見に行って何が面白いの?と思われるでしょうけど、細かく見ると色々と発見もあります。
これは本当の意味での「原動機付き自転車」で、成程ゴムローラーでリムに動力を伝達していたんですね。
フロントは凝ったリンクのサスペンションが付いています。
自転車そのものも、鋼管をラグで継いだ凝った構造で、最近はまず見られないものですね。
これは有名なメルセデスのガルウィングで、当時の超スーパーカーですね。
ここは個人所有の博物館で、原田氏という、かつてこの懐かしい「CIBIE」のランプなどの代理店をされていた方が創立されたものです。
最近の車は補助等をつける事自体ほとんどなくなってしまいましたが、当時はまともにナイトランや悪天候を走るのなら必須の装備で、特にこのCIBIEはあこがれの商品でした。
これは、ツーリングカーレース用のGTRで、「クニさん」こと故高橋国光氏が乗った車体ですね。
クニさんは原田氏所有の「ハラダレーシング」から、「ロイスRM1」という、当時画期的なレーシングカーで、「富士CGシリーズ」に出場して、驚異的なタイムで優勝したのを覚えています。
お次は、これも有名な70年代のF1マシン「六輪タイレル」こと「タイレルP34」です。
これは1976年、富士スピードウェイで開催された日本で初めてのF1レース決勝で、フランス人のパトリック・デパイユが2位に成ったマシンです。
特徴的なフロント二軸のサスのリンク構造や、ブレーキ冷却など現代水準から見れば随分雑で荒っぽい感じもします。
計算を念入りに行って開発を繰り返して投入したというより、実際これは実験的意味合いの強いモデルだったもので、P34というのは試作番号だったそうです。
このオープントップの4輪バギーみたいな車は、奥のミニを設計したイギリスの「アレックス・イシゴニス」が、軍用車両として(未採用)開発した「ミニモーク」です。
イメージ的にミニのルーフを切り払って補強した程度と思われていますが、ドライブトレインやサスペンション周り以外は完全に新規設定で、この手の車はトラックのような「ラダーフレーム」が多いのですが、モークはモノコックボディで、鉄板を溶接して作った箱を接合した「バスタブ」のような構造で、これで強靭なフレームを実現しているという、なんとも合理的というか独創的な設計で作られていて感心しました。
何処かで見たような?と思いだしたら、70年代のF1で使われていた「ツインチューブアルミモノコックフレーム」構造そのままで、発売が1964年で、F1ででは革新的なロータス25が1962年から採用して、ジム・クラークがグランプリを席巻していたマシンでしたので、設計段階で刺激を受けていたのでしょうか?
さてここに展示してある車両は博物館が所有所蔵しているもののごく一部で、入れ替えや模様替えも結構行われています。
以前なら「目玉」として中央にデンと展示されていた「スーパーカー」群は、隅っこにあります。
自分もけして興味が無い訳ではありませんが、自動車趣味も歳を重ねて熟成されていくと、だんだん怪しい方向に向かいますからねぇ(苦笑)
怪しいというか、この手の方向に向かい病気が重篤化するフランス車(笑)ではお馴染みの「2馬力」ことシトロエン2CVです。
この2CV、なんか雰囲気が違うなと後ろに回ると「まあビックリ!!」でFFのはずの2CVなのに、後ろにもエンジンがあります。
これはツインエンジンの4WDモデルの「サハラ」ですね。
ツインエンジンで「ピアッツァ」を思い出す人は、別の意味でお友達です(笑)
ランチアのラリーカーと言えばストラトスやデルタインテグラーレが有名でしょうけど、「美しさ」と言えば自分はこの「ランチアラリー」ですね。
もとは「ベータモンテカルロ」とは言いますが、ここまでくれば完全に別物ですよね。
さて、タップリ堪能してから飛行機の方に・・・と思ったら、あっという間に館内は満車です。
今年は大盛況だそうで、土日は地元のクレーマーから警察に文句が来る始末だとか。
いつもはガラガラの平日も混んでいて、これでも今回の開催で一番空いている日なのだそうで、来年は終戦80年という事もあり、更に注目される事も予想されるので、開催をどのようにするのかと、スタッフの方々が「嬉しい悲鳴」で頭を抱えていました。
此方も興味深い物だらけなのですが、これは以前も掲載した、旧海軍の艦上爆撃機「彗星」に搭載されていた、ドイツのダイムラーベンツDB601をライセンス生産した、当時の愛知航空機の液冷エンジン「アツタ」のクランクベアリングです。
普通のエンジンだと、こういったニードルベアリングは使わず、銅や鉛の合金であるホワイトメタルの表面にオイルを潤滑させていますが、元は流石にドイツ製ではあっります。
まあ、燃料噴射ポンプ、トルコン接続の遠心スーパーチャージャーとか、クランクなどに使われる耐熱合金とか、当時の日本にでは量産は難しかったようで。
最も同じライセンス品の川崎の「ハ40」よりは、アツタはマトモに動いていたという話も聞きます。
それでも飛燕で有名な「首無し機体」は、主にクランクの量産に問題があったアツタを搭載していた彗星でも発生していて、結局空冷エンジン搭載型を開発するハメに至っていはいます。
このエンジンは艦上偵察機「彩雲」に搭載されていた、中島飛行機製の「誉」エンジンで、ピストンの前にある箱は、製造プレートに「横河電機」の名前がある事から点火装置、おそらく「ディストリビューター」を撮影しています。
18個もあるプラグの点火時期を決める部品で、エンジンの熱や振動、場所からすれば外気をもろに受けて濡れたり場合によっては凍ったりと、確実に作動させるのはさぞ大変だったでしょうね。
よく外国のクラッシックカーのレストア番組で、古いポイント式のデスビを、今でいうCDIやMDIなどの、電子制御式に代えると性能が劇的に向上するのですが、プラグやハイテンションコード、イグニッションコイルなど、当時の特に日本製のモノだと、性能だけでなく、信頼性や安定性などかなり大変だったんでは?と思います。
えっ!誉だったら、シリンダーの緻密な空冷用のフィンについて語れよって?
ごもっともです(苦笑)
まあ偉そうに御託並べていますが、ここに来る方々は自分など赤子の如きレベルの、マニアのみならず元本職とかその筋のスペシャリストの方々がおられて、そういう方と幸運にもお話しする機会が得られるのが、自分にとっては何にも得難い体験に成っています。
と、2時間近く楽しんだ後は、近隣にある「道の駅 富士吉田」で、「ドームカレー」を頂きます。
このカレー、結構スパイシーで美味しいビーフカレーで、よくある「業務用ビーフカレー」を温めて出すだけではない?と思います。
このドームのモチーフは、もちろん隣にある「富士山レーダードーム」です。
この付近は結構頻繁に来ているのですが、この記念公園は何故かいつもスルーしていて、見学するのははじめてになります。
この気象観測用の、半径800㎞をカバーする気象レーダーは。引退してここに移設されていますが、長年にわたって日本の気象観測に貢献したものです。
ちなみにこのレーダーの設置は当時本当に難工事で、この偉業は作家であり当時現役の気象庁の職員でもあった「新田次郎」氏の小説「富士山頂」に書かれています。
たしかNHKの「プロジェクトX」の初回放送もこの話ですし、石原裕次郎氏主演で石原プロにて、超豪華キャストで映画化されていますよね。
ここは富士山の絶好のビューポイントでもありますが、ま、こうなりますわな。
台風が近づいている?のもそうですが、とにかく抱えきれないほどの水分を膨大に抱えた空気が日本列島に流れ続けているので、もうチョット地形の都合や都市部などの熱などで上昇気流が出来ればあっという間に雨に成ります。
予報を見るとこの後ここは豪雨になりそうなので、温泉入ってさっさと帰る事にしました。
温泉は、自分にとってはもうこの場所定番の「山中湖温泉 紅富士の湯」で体をほぐして、これも定番の「信玄餅ソフト」で糖分補充して、さあ帰りましょう!
帰路は山中湖付近からだったので、「道志の道」を使って相模原に抜けて、あとは天候次第という感じで走っていましたが、「道の駅どうし」を超えたあたりから、雨脚が強くなってきて、相模湖付近で道が川に成ってしまうほどの豪雨になり、このまま市街地を走るのも危険と判断して、相模原から圏央道に乗って、利根川近くの五霞で降りて、4号線で宇都宮に18:30頃帰宅出来ました。
流石に18時間で400㎞も走ると疲れないはずも無いわけですが、充実したドライブになりました。
しかし、9月に入ってもこんな感じの天候でしょうから、色々予定していたものを変更する必要がありそうです。
昨年は天候が安定し始めたのは10月中頃からでしたから。やはりこの国は四季が消滅して「雨季」か「乾季」の亜熱帯になったようですね。
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