SSブログ

還暦の準備で、太らない生活習慣に挑む [雑談]

3か月間放り出していましたねこのブログ(苦笑)

同じSNSでも簡単に投稿できるX(旧Twitter)やFacebookは続いているんですが、ある程度手間と時間がかかるブログは後回しに成ってしまうきらいがありました。

あと、このブログは基本自転車ブログなんですが、自転車での話題が無いというのが致命傷なのかなと思います。


1、ネガティブ人格で激太りに!

なにせ今年は、もはや歴史的な猛暑であり、毎日35℃を超えるような暑さの中、しかも湿度が高い亜熱帯のような気候ですので、早朝に走り出しても既に蒸し暑いという始末で、とてもロングライドで一日中走る気になりません。

となると、体力維持の為の50㎞ルートを、クロスバイクで1回/週が精いっぱいで、これだと一か月に200㎞程度のライドが関の山となれば、以前のように一か月に700㎞走っていた頃とは比較になりません。


その結果、少なくとも午後はエアコンつけた自宅で、夏アニメを見ているしかなくなってしまい(苦笑)、「激デブ一直線!」という結果に(泣)

で、みるみる体重が自転車に乗る上限リミット+5㎏まで行ってしまい、実際乗ると「デブは遅い」だけでなく、体力の消耗も激しく、持病の膝痛も悪化すし、乗っても面白くないので乗らなくなって更に体重が・・・・・という地獄の悪循環のスパイラルに陥ってしまいました。


こうなると「もうロードバイクを乗るのは辞めてしまおう」という、自分のネガティブ人格の意見が強くなってしまい、ダイエットしようなどとは頭の片隅にも無くなってしまいました。

随分大げさに書いているように思われるでしょうが、自分の場合相反する2人以上の人格が常に脳内に同居していて、その時の状況によって別の人格が強く出てしまい、今までもこんな事は何度も有ったんです。


2、リバウンドする理由は?

少なくとも20年前に自転車生活を始めた理由は「ダイエット」であり、病的に肥満に成ってしまった体重を落とすために始めました。

だから自転車に乗って生活の中心に成っている限りにおいて、そう体重が極端に増加する事は無いんですが、かつて激太りしてしまったときの状況は

1、世話に成った叔母の当然の死去

2、もう一人の叔母の葬儀と遺産相続

2、実母のケガによる入院

3、父の突然の自殺

4、母の腰椎骨折による介護

5、母のコロナから癌に至って死亡

で、これに関わる介護や葬儀や遺産相続にかかりきりになり、目標としていた数々の自転車イベントへの出場が出来なくなり、そもそも自転車や自分の体調管理など気にしていられない「事案発生」により、ことごとくトレーニングや体調管理を阻まれた結果でした。

そう、本当に「事案発生」ですよね・・・・・


さて、最初に自転車生活を始めて140㎏近くあった体重を120㎏に、本格的にロードでイベントに出るように成ってからは107㎏~103㎏を行ったり来たり。

そして一大決心で挑んだ時は2度96㎏までウェイトを落としていました。

退職後も生活リズムが代わったので、一時110㎏まで増加してしまいましたが、

昨年の3月のイベント時期には103㎏まで落としていました。


で、更に減量進めて佐渡ロングライドに行きたかったのですが、天候不良で乗る機会が減って、持病の副鼻腔炎で体調を崩し、5月中頃には109㎏近くまで増加してしまい、この時の佐渡は、過去最低のパフォーマンスで、何とか時間内に完走できただけと言う、非常に残念な結果に成ってしまいました。


一転決心してまたウェイトを減らしていたのですが、トドメが母の介護と死去に伴い、7月からロードバイクを乗れなくなってしまい、目標がなくなると体重計に乗って体重を見るのも嫌になり、今年に入っても事後処理や、体重増加でが原因の膝関節の痛みが悪化してきて、ますます乗らなくなっていったので、6月ごろ気が付いてみたら115㎏という、危険領域にリバウンドしていました。


3、ダイエットに再挑戦する理由は?

あっ、色々とエキセントリックな出来事があって大変!!・・・ではあったんですが、自分の場合子供の頃からこの手の乱痴気騒ぎに成れているので(苦笑)、精神的なダメージはさして無いのでご安心を(笑)

というか、少しは堪えれば痩せられたのかと(苦笑)

とはいえ、此処からが本題ですが今回正直かなり悩んだのは自分の以後の人生の事で、特に「還暦後の自分の自転車生活をどうするのか」でした。

て、やっぱり自転車かい!(笑)


ま、自転車そのものは乗り続ける、自転車生活を続ける事だけはブレない目標であったのですが、どのように付き合っていくかは本気で悩みました。

此処までパフォーマンスが低下してしまうと、加齢や膝の事も有り以前のようには走れない、戻らないのは大前提ですが、その上でどうあるべきか?

1、自転車は体力維持の最低限の活動にとどめる

2、イベントでないが、山岳路ツーリングの為にe-BIKeの導入を図る。

3、ロングライドイベントを走れるパフォーマンスを取り戻す。

という3択を迫られました。

で、実際色々と各案の裏付けとなるデータや情報の収取などを行い、例の「多重人格脳内会議」で、悪役令嬢カタリナ・クラエスよろしく(苦笑)喧々諤々のやり取りが行われました。


一時は2のe-Bike導入案がかなり有力になりましたが、そこで湧き上がった感情は「このまま再挑戦もせず降伏して良いのか?」でした。

実は実際e-Bikeに試乗してみたところ、「進むのに回す必要があるのでトレーニングに成り、尚且つトルクアシストで身体負荷が少ない」という特性が、自分の以後の自転車生活に最適であるという確信を得た事も有り、その方向で計画を進めようとも思いました。


しかし、そうなると何が致命的かと言えば「積極的にダイエットに取り組む理由がなくなってしまう」という、何とも情けない現実が突き付けられました。

そもそも最初は健康の為ではありましたが、以後は早く走る為に、更に以後はより快適にセンチュリーライド以上のロングライドを走りきるために、あまり楽しい事の無いダイエットに取り組んでいたわけで、その目標がなくなってしまっては、如何に健康の為とは言え、ダイエットをしない、出来な言い訳など、3時間語れるほど湧いて出てくる自信があります(苦笑)


更に以前より周囲に語っていた「還暦で佐渡ロングライドを走り切れる体力を維持する」という公言をしていた以上、出来なければ単なるほら吹きオジサンに成り下がってしまうので、とにかく再来年の佐渡ロングライドを完走するパフォーマンスを取り戻して、以後の事はその結果考えようという、問題解決を先送りにする事にしました。


とにかく以前のように機材に頼ったり、走り込んで体力を付けて力づくで走りきるというのは、まず無職オジサンに余計な資金は無く(笑)、パワーと持久力で乗り切るという以前の走り方では、衰えて悪化した膝や腰、以前負傷で痛めた肘がおそらく持たないか、最悪取り返しのつかない故障を呼び込むだけで、残された手段は、とにかく体重を落として体力や身体負担を減らしてペースを稼ぐ」しかありませでした。


ロードバイクの、特にロングライドの場合体重を落とすことは良い事しかなく

1、上り勾配が楽になるので、体力や足の消耗を抑えられる。

2、平坦路でもペース維持は軽い方が負荷が少なく、結果速いペースで走れる

3、力に頼らなければ、筋肉の発熱量や乳酸発生が低く、消耗が抑えられる。

と偉そうに書いていますが、こんな事は何十年も前から分かっている事で、なんで実現できなかったのかと、ホント自分の根性なしにはため息が出ます(泣)


4、ダイエットの具体的な方法

さて、方針が決まればもうブレる事はありませんし、かつて行ったダイエットの方法も判っているので、落とす事自体は問題は無いはずです。

問題なのは、これがまた一過性のモノに成ってしまっては全く意味がなく、出来れば退職後の生活パターンや、加齢の中健康を維持できるものでなければいけないという事です。


まあここで「幸いにも」と言うと語弊があるのですが、定職を持たず完全に独り暮らしとあれば、食事の内容やタイミングは自分の思う通りに出来るという事です。


まあ極端な話、鳥のササミとプロテインだけと言う、あまり健康的とは言えない方法も取れますが、健康全般を考えればそのような方法はNGです。

また、ダイエットを行う事でストレス溜まったりすることもNGで、出来ればあまり意識しない暮らしを行う事で、少なくとも体重が増えない生活習慣が身に着くのがベストと考えました。


そこで決めたことは

1、減量ペースは2㎏/月程度にるす。

2、100g単位での増減で一喜一憂しない。

3、食事を朝食中心として、ご飯1合に野菜の味噌汁とタンパク質のオカズに

4、昼食はかなり軽めにして、夕食はプロテインにする。

ですが、最初の一か月はみるみる落ちていたものの、8月前にピタリとも落ちなくなってきました。

まあ運動量を増やせばよいのですが、この暑さでそうもいかず、色々考えてここは掟破りのドーピングを行う事にしました。


まあ怪しげなダイエットサプリは頭から信じていないので、まず加齢で落ちている代謝を促進するため、より効果の高い「還元系コエンザイムQ10」を導入して、トドメに糖と脂肪を抑えるサプリメントを導入しました。

このサプリは「富士フィルム」で開発されたもので、安直ですがネームバリューに頼った形に成りますが、期待にたがわず効果が確認できています。

これで当初の2㎏/月は維持できたので、なんとか以前のイベント走行時のMAXの107㎏は達成できて、105㎏も目算が付いた感じです。


さてこの体重に成るまで膝が心配でしたのでロードバイクの走行を控えていたのですが、昨日乗った感じでは、ほぼ以前のペースに近い速度を出したうえで、関節の痛みや後半のタレが殆ど無かった事から、涼しくなって走行距離を増やしていけば、年内にまた二桁体重に戻す事も不可能ではないようです。


5、今後の目標

もちろん最終目標は再来年の佐渡ではありますが、とりあえず来年5月の佐渡を目安に、ウェアやカーボローディング実施込みで、乗車時に100㎏切りを実現するためと、体脂肪率20%切りを実現するためには計算上96㎏を維持する必要がある為、来年の3月目安で減量を達成し、春のセンチュリーライドに挑戦してみて、佐渡に向けて最終調整を行うという予定で進めていきたいと思います。


実は減量は健康上の理由も大きく、腎臓の負荷を下げるために、今まで飲んでいた各種薬を減らす事が必要となり、その為には血圧を薬無しで正常値にする必要がある為、減らしておく必要も有ったんです。

まあ、血圧が上がるストレスの2大原因は解消されているので(苦笑)、あとは体重さえ管理していれば血圧も上がる事は無くなると思います。


6、総括

まあ色々とカッコつけて書き出しましたが、何のことは無いその根っこは自分自身に負けたくないので、挑み続ける」に集約されるのだと思います。

先の事など思い悩んでも、自分ではどうにもならない事も有りますので、今、自分に出来る事を、諦めずに継続して努力して、後は「行く先は風に聞いてくれ」と言うように、ある意味「老後を焦らず開き直る」ことにしました。

まあダイエットも何事も無ければ・・・・といって何事が起きて邪魔され続けてきた過去から、油断は大敵ですが・・・・

まあ、そのうち何とかなるでしょう!!














 







nice!(6)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

「旧車祭りIN美和」見学。帰路にイタリアンと温泉を堪能 [雑談]

連休も終わり本当なら梅雨まで天候が安定する季節のはずですが、何だこりゃこの天候は!

まあ、連休中も遠出はせず、その後の旅行もキャンセルし、ロングライドも皆無とまるで「引きこもり老人」と化しているような感じです。

正直、あまり気分が乗らず、出かけるのなら自宅でアニメでも見てのんびりしていた方が気が休まるというのは、あまり好ましい状態ではありません。

運動量が激減した反動で、体重が増加しており、ますます「億劫になる」という「負のスパイラル」に陥っていますね。


一番ヤバいなぁと思うのは、ロードバイクに乗っていても、まったく楽しいとは思えない状態になっている事です。

現状100㎞走るのは苦痛で、体力維持で60㎞程度流すのが精一杯です。


こりゃ本当にロードバイクを全部売り払って「自転車趣味引退」かと思ってしまいます。

過去にもこうなる事は何度か有って、無理やり機材変更やイベント設定などで乗り切ってきましたが、今回はどうなるのか先が見えないです。

古いONDAフォークのクネクネフレームのピナレロのフレームでも探して一台作ろうかななんて、いやいや増車は無いでしょう!(苦笑)

て、何処かに大きなサイズのFP3やFPクワトロ余っていませんか(オイ!)


とまあ暗い書き出しで恐縮ですが、完全に引きこもっている訳でなく、天気の良い日は出来るだけオートバイでツーリングに出かけたりして、新しいルート開拓も進んでいるので、心情的にはそちらに傾いているとも言えますね。

ただし本日のような天候だと、何時雨が降り出すかわからず、出かけるのがおっくうに成ってしまうのですが、本日は茨城県常陸大宮市の旧美和村の美和山村開発センターで「旧車祭りIN美和」があるというので、行って見る事にしました。


ま、ホントはバイクで行きたかったのですが天候も考慮に入れて、車の機能維持の為の可動もかねて、出かける事にしました。

なにせ普段ほとんど動かしていないので、こういう時に長距離走らせておくことにしました。


朝8:00に自宅を出て、35㎞ほど先なので、1時間もせず現地に到着です。

途中でいすゞの「ベレG」「クラウンエステート」等が向かっていました

DSC_0674.jpg
DSC_0677.jpg
国産から外車、80年代の車やバイクや自転車等、結構ユルイ基準で集まった
色々なものが見られました。
これは「ジャガーマークⅡ」ですね、
DSC_0678.jpg
旧車というと、オリジナルのストック状態を尊ぶ向きがありますが、「そんなこと言ってられない」と、色々な部品や改造で動態保存を維持している個体が多く見られました。
また、結構マニアックで希少な改造部品が付いた個体を購入した方も多く「何でコレが付いているのかはよくわからない」なんてものもあります。
これなんかはグロリアにL28を搭載していますが、希少な「N42ブロック&ヘット」の個体に、なんとバイク用のケイヒンのCRキャブを6連に改造したものが付いていていました。
DSC_0676.jpg
イヤー、これは本当に面白くて一日中ここに居られますな!
自分は自動車趣味は終了させてしまいましたが、こうやって見る分にはお金がかかる訳でもないので(苦笑)、勢い余って自分から手を出す事さえしなければ、気楽に楽しめますね。
さてこのまま帰るのではつまらないと、北上してドライブを楽しむ・・・・と言いたいのですが、なんというか車を運転していても全く面白くありません
まあ、そういう車両ではありませんから仕方がありませんが、正直「大きくて眠たい」だけで何の刺激もありません。
 
刺激を求めようとすると「道交法違反」に成りますし、リスクが高くなるだけですから勢い安全運転に成ります。
これが「オートバイ」だと、のんびり走っていても「オープンエア」ですし、適度な刺激もあり、日本の田舎の山道を流すのであれば十分です。
当然「リスク」も伴いますから万人に進めるわけにはいきませんが、ああ自分はもう「オートバイ乗る以前」の自分には戻れなくなっているかもしれませんね。
さてお昼ですが、以前ツーリングで走った大田原市の「伊王野」近くにGoogMapで見ると、イタリアンカフェがあるようでした。
「garden AUX PARADIS(ガーデンオゥパラディ)」というお店で、R294から横に逸れた山道を走ると、更に山の上に走っていき、一山が庭として整備してあるようで、そこの頂上にカフェとジェラード、フレグランスショップがあるという、まあ栃木の糞田舎にあるとは思えないような、何ともおしゃれなお店でした。
DSC_0684.jpg
一番人気は「ヘーゲルナッツ風味のチキンカレー」でしたが自分は季節の生パスタを選び、今の時期は「チキンと益子産ブロッコリィの生パスタ」を頼みました。
DSC_0680.jpg
特に凝った味付けはありませんが、生パスタの湯で具合やソースの味付けなどは、しっかりイタリアンの基本が出来ている調理だと思いました。
DSC_0682.jpg
何というか季節の草花やハーブを愛でつつ、ヘーゲルナッツのチキンカレーを
食べて、香水を選びつお茶をして豊かな時間を過ごすという、いや田舎のクソ親父にはおよそ似つかわしくない空間ではありますが、休日は常に満員状態の人気店とのことで、もはや田舎と言えば蕎麦と山菜とお饅頭とイワナの塩焼きというのは昭和の情景で過去のものに成っているようです。
おなかが膨れれば次は当然「温泉」で(苦笑)、カフェの直ぐ近くのこれまた山の上にある「東山道那須温泉」に行きました。
看板の矢印は「こんな道上っていくの!」という怪しいコンクリートの市道と、ソーラーパネルがある急こう配の細い道を上っていくのですが、夜間や雪の積もった冬季は勘弁してほしいような道で、自分はこういう道は臆することなく慣れているのですが(おいおい)、東京から来た人などは怖気図いて引き返してしまうような場所に在りました。
DSC_0685.jpg
その代わりと言っては何ですが、眺望は抜群で、晴れていれば那須高原から那須連峰を一望できる絶景を拝むことが出来ます。
正直この界隈の日帰り温泉の中では屈指の眺望かもしれません。
2年前ほどに出来たというこの温泉の施設は、最低限の大きさで大人数が入れる余裕はありませんが、新しくて清潔感もあり、好感が持てます。
多分民間の温泉?だと思うのですが、入湯料は500円と安く、お湯はこの付近や那珂川沿いに多いアルカリ泉のヌルっとした「美肌の湯」で、温度も適温ですから、この眺めを見ながら長湯を楽しむことが出来ます。
DSC_0686.jpg
湯上りは300円のソフトクリームを楽しみました。
DSC_0687.jpg

これはミルク風味が豊かで甘みも抑えて在り、自分の中では美味しい部類に入るソフトクリームでした。


いや、なんのかんのとドライブを一日楽しみました。

こういう内容の記事を書くのは本当に久しぶりで、自分らしい内容の記事に成って満足ではありますが、ドライブ自体は「自動車の運転がつまらない」という、自分の人生史上初めての感覚を味わってしまった事に、少なからず衝撃を受けています。


実はつい最近も「ロードバイクにの乗っても面白くない、ワクワク感が無い」という感情があふれ出したことに動揺していて、今度は自動車もか!という事態に困惑しています。


自分はいったいどうなってしまったんだろう?と戸惑う反面、冷静に成れば実は答えも見えています。

多分自分の人生を縛り付けていた大きく重い制約が一気に無くなり、どのような未来を選ぶも自由という状態に戸惑っているのですが、一つ言える事は、ここは慌てて答えを出すのではなく、じっくり見定める必要があるという事だと思います。


まあ、勢い余って昔の古いレオーネRXⅡ見つけてレストア始めたり、W124のメルセデス探し出したりしないように自重しなければ(苦笑)

nice!(6)  コメント(2) 
共通テーマ:自動車

2023りんりんロードお花見ライド、本当に久しぶりのセンチュリーライド [雑談]

まあ、毎年恒例の「りんりんロードお花見ライド」なんで2023と付けましたが、以前なら毎週ホイホイ走っていたんですよねぇ(泣)

昨年7月ごろから事実上自転車生活が休業となり、今年から何とかボチボチ走り出しましたが、約半年のギャップと加齢が加わり、100㎞前後を走るのがやっとという感じで、「オーバーセンチュリーライド」はご無沙汰しておりました。


ま、出来ない、しない言い訳ならなんとでも付きますが(苦笑)、亡母の納骨も終わり暖かくなってきたので、ここは男らしく言い訳などせず、ロングライドを実行して玉砕してみることにしました。


4月1日のエイプリルフールの日に出かけましたが、これは何かの嘘か間違いかというほど、この時期にしては気温が高い日が続いていましたね。
とはいえ晴天で放射冷却で肌寒いなか、本当に久しぶりに日の出前の4:30頃自宅を出発してナイトライドから始めました。
RIMG7464.JPG
とはいえ、お彼岸を過ぎていますから、だいぶ陽が長くなってきました。
しかし、流石に夜明け前はまだ寒く、鬼怒川自転車道を南下していくと、行く先に霊気・・・じゃない冷気が立ち込めてきて川霧が流れ込んできました。
RIMG7466.JPG
この場所はこの手の状態だと間違いなく川霧が発生して溜まっていきます。
RIMG7471.JPG
DSC_0578.jpg
DSC_0579.jpg
場所によっては雲海のようにも見えて、結構幻想的です。
 
そこに熟柿のような真っ赤な朝日が昇ってきました。
DSC_0584.jpg
RIMG7474.JPG
日が昇れば徐々に気温は上がってきますが、まだこの時点では5℃程度です。
此処で何時も筑波山が見えるポイントなんですが、「春霞」で見えません。
RIMG7475.JPG
本日は久しぶりのロングライドという事で、以前で言えばイベント出場並みの事前準備をしました。
準備は装備では無く、主に体の方の準備で、健康管理、睡眠時間、カーボローディング等をしっかりしておくことが肝心で、耳タコですがライドの成否は8割は事前準備で決まります。
さて無事に何時もの岩瀬駅に到着です。
RIMG7478.JPG
RIMG7479.JPG
桜は満開の峠を越えた感じで、散り始めた風花びらが舞っていい感じです。
しかし、鬼怒川を走っていても感じましたが、草や木々の芽吹きが、明らかにこの季節としては早すぎるようです。
RIMG7481.JPG
RIMG7482.JPG
そういえば宇都宮の桜の満開時期が、例年より2週間早いと聞きましたが、確かにそんな感じですね。
まあ、20年近くも同じところを飽きもせず(苦笑)、春夏秋冬走っているので判る事も有るという事ですね。
まあ満開という事で、りんりんロードは所々「桜のトンネル」状態です。
RIMG7483.JPG
RIMG7484.JPG
筑波さん休憩所に近づいてさてトイレでも・・・あれれ!
RIMG7487.JPG
なんと、改修工事で取り壊されていました。
水道も空気入れも撤去されてしばらくは使えないようでしたね。
いやいやこれからシーズンだというのにねぇ・・・・・
まあそれは良しとして、それにつけても人出が多いです。
RIMG7488.JPG
RIMG7489.JPG
RIMG7490.JPG
休憩所でのんびりとしてしまった事も有りますが、風向きが変わって東寄りの強い風が吹き出したため、筑波から土浦までは完全に向かい風です。
で、ヘロヘロに成ってしまったので、霞ケ浦まで行かず、コメダで補給です。
DSC_0587.jpg
最近外食もなく、ほぼ自炊で「ケチケチ生活」を楽しんでいますが(笑)、週に1回のコメダのモーニングが一番の贅沢に成っていますねぇ(苦笑)
帰路は基本筑波までは追い風で順調に走れますが、スタミナとかではなく足に負担が来ているようで、使い切った感じはないのですが、各関節や筋が軋んで悲鳴を上げ始めました。
DSC_0588.jpg
とはいえ、ここは長年の経験で、ペダリングやポジションを変える事で稼働する筋肉を使い分けられるので、エアーサロンパスなど使わずに、なんとか最後までは走れそうです。
この辺りは桜のトンネルが見事・・・はいいんですが、道を塞いで撮影モードのギャラリーがなんとも邪魔で危ないのは、まあ例年の事です。
RIMG7493.JPG
RIMG7495.JPG
ここは綺麗に筑波山が一望できるポイントですが、いつの間にか「撮影ポイント」の看板がかかっていました。
RIMG7497.JPG
筑波山休憩所に戻ってきましたが、だんだん風が強くなってきました。
RIMG7498.JPG
ここは慌てずペースを落として桜を楽しみましょう(笑)
RIMG7502.JPG
まあ、明日の仕事とか、自宅に帰らなくてはという縛りが現在は一切ないわけで、ダメなら不時着して何処かで宿泊してしまうとか、自転車預けて電車で帰るという手もあり、「何がなんでも」という強迫観念なくライドを楽しめる立場なのですから、色々と試してみたいですね。
さて、時間を掛ければあとは「スキル」で走れることは再確認したわけですが、163㎞走って翌日の体の状態は、そんなに悪くなく脚の痛みも「想定内」の場所で、アフターケアで回復しているので、「再始動」の第一歩としては上々の結果だったと思います。

nice!(7)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

やっとロードバイクらしいお出かけが出来た! [雑談]

3月11日といえば「東日本大震災」12年目の日で、各地で慰霊行事などが行われています。

そんな時にあんまり能天気に「あはは!やっぱりロードバイクって楽しい!」なんて記事を書くのも、あまりに空気読んでねぇぞ!・・・・・は、いったん置いておきましょう(苦笑)。


さて朝の最低気温5℃、日中は20℃で、風が終日弱いとくればこんなサイクリング日和はありません。

さっそく準備したてのLOOKで出かけました。

RIMG7431.JPG
いや、本当に良い天気です。
RIMG7432.JPG
RIMG7433.JPG
これだけの気候であれば、防寒装備は無しで身軽な事この上なく、気温が上がると身体も解れていて空気も軽くなるので、自然とペースが上がってきて。身体の暖気が終わるころには25㎞/h~30㎞/hの速度レベルで巡航できます。
最近遅くなる一方の自分が言うのもなんですが(苦笑)、やはりロードバイクは25㎞/h以上の巡航速度で乗れる事に面白みがあるアイテムですよね。
さて鬼怒川自転車道も久びりに乗ると、路面にマーキングが施されて初めての人でも走れるようにとの整備が「一応」なされているようで、かといって路面そのものは未整備のところも多く、まあ限られた予算で最低限度の努力は試みているという所でしょう。
RIMG7434.JPG
残念ながら栃木県は行政のトップレベルで自転車の理解と情熱が乏しい県ですので、これ以上多くを望むことは出来ないのが現実でしょうから、見捨てられないだけありがたいと感じるべきなのでしょうかね?
何時ものコースで岩瀬駅に到着です。
いや、この見慣れた風景は和むなぁ(笑)
RIMG7436.JPG
毎年恒例の桜のつぼみの観察ですが、流石今月は異常高温傾向とあれば、開花まであと一歩1といった感じですね。
RIMG7435.JPG
りんりんロードはほぼ再舗装が完了していましたが、唯一残っていた真壁の区間の再舗装も終了していました。
RIMG7437.JPG
此方の県は行政のトップの自転車に対する理解と情熱が溢れているおかげか(苦笑)、りんりんロード関連の整備には潤沢な予算がつぎ込まれていて、隣県としてはうらやましい限りです。
もっとも、個人的には心情的には此方がホームコースで(笑)地元への執着が日増しに薄れていくのも事実なんですが・・・・
ほんと、筑波山をこのアングルで見ると心が落ち着きますね。
RIMG7438.JPG
筑波山界隈は梅が丁度見ごろであり、どの梅も満開で梅の花の甘酸っぱい香りが心地用です。
RIMG7439.JPG
ランチは真壁のサイクリングロード沿いの「焼きそばsat.TuZKu」さんで、大盛目玉焼きトッピングです。
RIMG7440.JPG
このお店は若いご夫婦のご家族で営業されていますが、小さなお嬢ちゃんも含めて(笑)皆さん朗らかで、何時も暖かい対応にこちらも心が温かくなりますね。
実は本日のツーリングは、本当に大勢のサイクリスタともお話をすることが出来て、先の小さいお嬢ちゃんから82歳のベテランサイクリスタまで、いやこんなに人と話したのは何か月ぶりだろうというくらい会話しました。
何というか「お独り様」生活もかれこれ4か月近くに成りますが、ある意味快適故に家の中に「引きこもり」、冗談でなく何日も誰とも話さなくとも生活できてしまうので、やはり出かけて色々な人と交流を持ち、自分に刺激を与えないといけないなと、改めて思いました。
いや、ようやく「どすこいライダー」らしい記事が書けるようになってきたことが嬉しいですね。
あとはグルメ物を探して紹介しなくちゃなぁ(苦笑)

nice!(9)  コメント(2) 
共通テーマ:日記・雑感

絶品チャーハンを求めてポタリング [雑談]

2月も末に成ると、ボチボチ梅の花の匂いが薫ってくる頃ですが、けして暖かくは無いですよねぇ。

運動不足にならないように、出来るだけ出かけたいのですが、今日のように朝から曇りだと気温が上がらず、ついコーヒーすすりながらチョコレートつまんで、のんびりアニメでも見たくなります。

もうダメ人間一直線ですな(苦笑)


で、こういう時は何時ものコースだと気が乗ってこないので、なにか「ご褒美」を用意して、怠け心に鞭打って出かけるに限ります。

何かないかとGoolMapを見ていたところ、宇都宮市の南に隣接している下野市・・・いやいやこの「下野市」は悪名高き「平成の大合併」で出来た地名で、かな広範囲の市町村を飲み込んでしまった結果、「下野市」では、いったいどの辺りなのか地元の人間でも判りません。


で、旧名の「石橋町」で、地元の人間が「東京街道」と呼んでいる旧4号線を南下して、石橋警察署の北側に、「チャーハン専門店こう米」というお店を見つけたので、さっそく出かける事にしました。


自宅のある宇都宮市の東部からだと、目の前を通る国道4号線を真っすぐと20㎞ほど走ればついてしまいますが、それではトレーニングにならないので、田舎道をつなげて、「田川自転車道」を南下して石橋を目指します。


田川自転車道は、整備状態がよろしくなく正直サイクリスタには不人気の自転車道ですが、近所のポタリング程度のライドなら、一般道と違って車に気を使わない分お気楽に走れます。

DSC_0420.jpg
栃木県には何本か河川沿いにサイクリングロードがありますが、だいたい「こんな感じ」の整備状況で、「まあ走れなくはないかな?」なら良い方で、舗装が荒れていたり、道が途切れていたりと、県の行政はサイクリング環境にほとんど関心を示しません。
また田川のサイクリングロードが途切れてしまっていたのは、2019年10月12日に関東地方を襲った台風19号で所々越水したり、護岸が削れてしまったりと大きな被害があり、その復旧工事が続いているからです。
DSC_0421.jpg
この台風19号は静岡から東北にかけて大きな被害を出した台風で、この田川も
宇都宮の中心地で、1947年の「カスリーン台風」で氾濫して以来の越水反乱があり、この台風を基準に行われていた治水を見直す必要に迫られました。
あっ、硬い話はこのくらいにして、目的のチャーハンですね。
お店には10:30頃到着してしまい、11:00オープンなので近所をぐるぐる回って10:50に再訪したら、既に何人か並んでいる状態でした。
いろいろなチャーハンやサイドメニューもありましたが、まず一番基本の「こう米チャーハン」を単品で注文しました。
DSC_0423.jpg
本当はサイドメニューの「から揚げ」なんかも魅力的だったんですが、なにせ拙者は修行中(ダイエット中)の身故、ここは我慢です(笑)
チャーハンそのものは、米粒がホロホロとしつつ、火加減が絶妙でフワフワ感もあり、正直どのような調味料を使ったのかわからない深みのある味わいは、間違っても家庭で出来るようなシロモノではなく、「チャーハン専門店」の看板には偽りはありません。
DSC_0424.jpg
なんでもこのお店は2年ほど前に開店したそうですが、並んでいた常連さんのお話では、最近になって急に有名店になって混雑し始めたそうです。
とにかくわざわざ来ただけの事はあり大満足でした。
さてこのまま真っすぐ帰ってもつまらないので色々と寄り道をします。
実は下野市は関東地方の中でも古い歴史が重なっている地域で、国指定の史跡「下野薬師寺跡」や古墳群などが多くあり、先の田川の西側に南北に延びる河岸段丘沿いに幾つもの古墳もあります。
これはそのうちの一つ神主台地にある「後志部古墳群」です。
DSC_0426.jpg

ちゃんとした前方後円墳があります。
DSC_0427.jpg
DSC_0429.jpg
DSC_0431.jpg
実のところ自分はあまりこういった物に興味がない方でしたが、何も有名な場所に見学に行かなくとも、結構身近に史跡があることを知っていますので、こういう場所に興味を持てば、ポタリングするのも面白いと思っています。
まあ興味が無いのは自分だけでなく「文化不毛県」と揶揄される栃木県だけあって、こういう物の扱いは「ぞんざい」で、案内看板もなく畑や山に突然現れるという感じのものが少なくありません。
まあ、かつての行政の執行者は、道路や工業団地を造るのは熱心ですが、こういった史跡の保存や地域振興の為の文化活動、またサイクリングロードの件もそうなんですが、サイクリング文化の醸成なんかも興味はないようです。
もう一つの古墳は「浅間神社」という神社に成っています。
DSC_0433.jpg
DSC_0437.jpg
神社そのものは大正15年に建立されたようです。
この石碑は紀元2600年・・・・と言っても若い日人は判らないでしょうけど「ゼロ戦」が正式配備された昭和15年の事で、おそらく当時の皇族が参拝した記念碑と言いう意味なんだと思います。
DSC_0432.jpg
この付近は古墳群だけでなく、国指定遺跡「上神主・茂原官衙遺跡」で、7世紀当時の行政の中心地としての役所跡や倉庫群があったようです。
DSC_0439.jpg
DSC_0440.jpg
DSC_0441.jpg
何というか、普段暮らしているとまず関心を持たない事ではあるんですよね。
自分は「産業遺産」とか「治水の歴史」みたいなものは興味あるんですが。
さて、多少寄り道しながら、北に向かえば自宅方向ですが、アバウトに東に向かえば鬼怒川にぶつかるので、あとは鬼怒川自転車道を北上して帰るルートを取ります。
途中疲れたのでコンビニで休憩です。
DSC_0443.jpg
こういうポタリングには、ロードバイクよりスタンド付きのクロスバイクの方が気楽に走れますね。
このコンビニは自分が通っていた高校の南の方にあり、高校時代はこの時期はランニングでこの辺りも走ったのですが、北関東自動車道が通ったり、インターパークというショッピングモールが出来たりと、流石に40年も経っているので随分変わっていますね。
田舎道をのんびり走って、鬼怒川にぶつかりましたので、あとは北上するだけです。
DSC_0444.jpg
まあ今日は風が無かったので走り易かったですが、やはりこの寒さだと100㎞超えのロングライドはチョットしり込みしちゃいますね。
そんなことを言うような人間では無かったはずですが(苦笑)、加齢と半年のブランクですっかり気弱に成っていますので、こうやって出かけるだけマシという事で勘弁してください。
と言いつつ、ブログの方も何となく調子を取り戻しつつありますので、自転車ネタ見つけて新しい記事をアップしていきますね。

nice!(7)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

今年は真壁のひな祭りが再開 [雑談]

2月に成り、節分を過ぎて旧暦でも年が代わったわけですが、母の49日も過ぎて、自分もようやく色々と動けるようになりました。

世の中もコロナ禍から元の生活を取り戻す方向で動いていますので、タイミング的にはここ数年できなかったことが、暖かくなった頃から動き出せますね。


自転車の方もロードバイクも乗り出して、介護太りの解消も蟻の歩みのようにジリジリと進んでいます。

一応目標は5月連休頃に、ある程度「実戦」がこなせる程度に回復させる事で、ここは焦らずコツコツ走り続けるしかありません。


勤めていた以前なら、土日に無理をしても走らなければなりませんでしたが、なにせ時間だけは使い放題の「遊び人」の身分ですので(苦笑)、極力気象条件が良い時を選んで走り出すようにしています。

そうすると、結構平日に成ることが多いようで、今年も休日に天候が崩れるパターンが多いようですね。


そういえばこの時期は自分のホームコースの「つくばりんりんロード」沿いの、桜川市の旧真壁町の市街地で「ひな祭り」が行われているシーズンです。

例年何時ものツーリングの途中で「ランチ」を取るついでに寄っていた感じですが、今年は3年ぶりの開催という事で、19日の日曜日にこれを目当てにバイクで行って見る事にしました。

日曜日にしたのは、平日だと屋台などの出店が閉まっているからで、バイクにしたのは、暖かいものの前線が通過して午後から天気が悪くなるからです。


さて、ある程度暖かくなってから自宅を出て真壁を目指しますが、何時もの通り自転車のツーリングルートを走るのでは面白くないので、方向だけ決めてあとは風任せで走ったことのない道を選んでバイクの感触を楽しみます。


この日は異常に暖かい日で、とても2月とは思えない風景に成っています。

RIMG7332.JPG


とはいえ、勝手知ったる他人の県の地理で(苦笑)、ツーリングやイベントで散々走り回った地域ですので、適当に道を繋いで走ると直ぐに見知った街道に出て、あっという間に真壁に到着です。

RIMG7334.JPG

ある程度の混雑も予想して、繁華街を避けて裏道から会場駐車場を目指しましたが、10:30ごろは駐車場もガラガラでした。


街に出ましたが、こちらもちょっと寂しい感じです。

RIMG7335.JPG
開催決定が遅れて、出店を見合わせた方も多かったと聞きました。
RIMG7336.JPG
なんと「三菱デボネア」で、ナンバー付の実動車のようです。
RIMG7338.JPG
こちらは夏祭りとかで使われる山車ですね。
この後お囃子の実演もやっていました。
RIMG7340.JPG
此方の祭りも今年は開催されるでしょう。
RIMG7341.JPG
これは昔の郵便局の建物ですね。
RIMG7342.JPG
真壁はこういった古い町並みが特徴です。
えど時代からの町並みが残っていて、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
RIMG7343.JPG
RIMG7344.JPG
肝心のひな祭りですが、この町がかつて栄えていた頃に飾られてたであろう、時代を感じるひな人形が、各民家で展示されています。
RIMG7346.JPG
RIMG7347.JPG
申し訳ないのですが、自分は正直「お人形さん」は興味が無いのですが、人形ごとにそれぞれ特徴があることは判ります。
人形師の方の技量や時代背景などが表れているのだと思います。
 
おっコペン!て、自分はどうしてもこちらに眼が行きますね。
RIMG7348.JPG
昔の商店は、車を家の中に車を入れていたんですよね。
こんなことが出来るのは、昔の自動車が本当にコンパクトだったからですが、自動車が生活の道具で、本当に日常の生活と密着していた頃に、高価な道具を大切にしている習慣があったという事は、今の人にも知って欲しいですよね。
これは、酒屋さんの奥にあった冷蔵庫で、一般的な冷媒を使った冷蔵庫では無く、地下水を循環させて温度を下げるものだそうで、昔はビールが木の樽で配達されていた時代のモノで、特に夏場など冷蔵庫が無いと直ぐに風味が落ちるので保冷施設が無い酒店には配達してくれない時代があったので、設置したそうです。
RIMG7351.JPG
これを作ったメーカーさんは、まだ現存しているそうです。
RIMG7352.JPG

これも機械ですね(苦笑)
此処の方はたくさんの古いバイクを所蔵していて「ホンダドリーム」とかも展示していましたが、この「モトコンポ」は実動車で、実際エンジンをかけてくれました。
RIMG7359.JPG
この方はこのほかに5台所有されていたそうですが、ほとんど譲ってしまったそうです。
ただ、近所の方に譲ったら転売してしまった事に激怒してしまい、本当に大切にしてくれる人に渡したいとのことです。
年配者でいろいろとコレクションしている人の「あるある」ですが、本人はある意味人生をかけて収集した貴重なコレクションであっても、家人・・・特に奥さんにとっては「邪魔なゴミ」というケースは少なくなく、廃棄物扱いでぞんざいに扱われて売り払われてしまうんですね。
RIMG7361.JPG

こちらは、オーナーの所蔵のイタリアンバイクですが、現在不動車で、その上3年前の水害で水没してしまったそうです。

これも車やバイクのレストア「あるある」話で、なんでもショップに依頼して預けたら、何時に成っても連絡が無く放置されていたそうです。
海外のレストア番組「カーSOS」や「クラッシックカーディーラーズ」などでは「悪徳業者にインチキ修理されて」や「貴重な部品をはぎ取られて放置」や「修理代金持ち逃げされた」なんて話は良く出る話なんですが、機械のレストアはマニュアル通りに出来るものでなく、非常に手間がかかるものですので「相場」も存在せず、これは良心的なショップや職人に巡り合えるかどうかという「人脈」が結構重要な要素になるものだと思います。
こちらもひな人形には何の関係もないのですが、鉄道のジオラマを展示していて、これは真壁にかつて走っていた。関東鉄道筑波線・・・・いまは「つくばりんりんロード」の在りし日の姿をジオラマで表現したものだそうです。
RIMG7365.JPG


さて、お祭りにつきものの「B級グルメ」を期待していたのですが、どうもあまり出店されていないようで、確かにイベントとしての本番は3月4日土曜日のフィナーレ日が一番盛り上がるとは思います。

そんな中路地裏でいい匂いがしたので立ち寄ってみたら、豆腐屋さんが揚げたてのガンモドキを販売していました。

RIMG7363.JPG
自分が行ったらちょうど売り切れで、残念!・・・と思えますが、直ぐに追加分を揚げますとのことで、しばらく休憩しながら待って、火傷するほど熱々の揚げたてガンモドキを食べることが出来ました。

正直、揚げたてのガンモドキがこれほど美味しいとは思いませんでした!


実は今回程じっくり見られたのは初めてで、色々な方とお話しする事も出来ましたので、自分としては結構楽しめました。

ただ、往年のお祭りの規模を知っているだけに、随分寂しくなったなというのが正直な感想でした。


それはコロナ禍で3年過ぎてしまった事が、経済的な問題だけでなく人々の心に大きな傷を残しているからだとも感じました。

やはり横のつながりが途絶されることで、孤立して心をすり減らしてしまった方々がけして少なくなく、特に高齢者の方々は、コロナ禍が過ぎて「よし!もう一度頑張ろう」という気概が途切れて、「諦めてしまった」という話を所々で耳に入ってきました。


この真壁町の様子を見ても、お祭りなどの実行委員会など自分より高齢な方々がほとんどで、若い人の姿が目立たない事からも、町興しをしようとしても、住民達の高齢化や人口減少などで、もうその力が無くなってきたところに、コロナ禍がとどめを刺した・・・・なんて地方も少なくないのではないでしょうか?


なんかお祭りを楽しみに行ったはずなんですが、どうもそういう所に眼が言ってしまうのが、なんとももどかしい所ですね。


nice!(6)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ブログ再開、4度目の人生の大きな節目を迎えて [雑談]

さて、そろそろタイトル通りの「楽しい自転車生活」をお送りしなければ、タイトル詐欺ブログに成ってしまいますね(苦笑)


自分の場合今までの人生を振り返ると4回の大きな変節点がありました。

1、9歳、実家の事業失敗による暗転

これは本当に自分のせいではない、今風に言うと「親ガチャ案件」です。


両親は自分が生まれる前から喫茶店を営んでいましたが、父親が共同事業者とボーリング場を開いて失敗し、故郷から何度か引っ越したあと、新規の事業展開もうまくいかず、オマケに保証人に逃げられて多額の借金を抱える事に成りました。

更に実父の不倫事案で夫婦仲が冷え込み、借財の事も含めて、毎日激烈な夫婦喧嘩が絶えず、更に不倫した相手の男が怒鳴り込んできたり、家の立ち退きを要求されたりと、いきなり9歳を境目に人生が暗転していきました。


正直もっといろいろ酷い事があり、自分は今でいう不登校や、学校の担任のモラハラなどに会い精神的にもどん底に追い込まれて、実はそのころの記憶が、かなりの部分欠損してしまいました。


正直よく生きていたし、グレ無かったなぁと自分でも思います。

高校の担任に詳細を説明したとき、驚愕の表情で「お前のような奴は、物凄い不良になるか、親を見返そうと奮起するかどちらだが、普通に平気な顔をして生きている奴見た事が無い」と言われたことがあります(苦笑)


まあ、かなり早い時点で「この親に頼っていては命が無い、自分の事は自分で何とかしよう」と、問題解決のための方策を、学校の勉強そっちのけで(笑)学校や地域の図書館で調べまくったり、同じような境遇の親友たちと、夜を徹して討論したりして、答えを探していました。


また、当時としては珍しかった、「アニメ特撮オタク」に成っていましたので、これも今でいう「中二病」の元祖のような存在になっていました。

今でも「宇宙戦艦ヤマトと機動戦士ガンダムの生放送の第一話を見た」を自慢の種にしているくらいですから、かなり重症の中二病患者でしたね。

これも今風に言うと完全に「黒歴史」ですよね(笑)


専門学校時代は千葉県の柏市の学校に行くため、流山市に一人暮らししていましたが、実家を離れて家事を考えないで良い時間は、自分にとって「至福の時」だったと思います。友達にも恵まれて楽しい学生生活・・・・と行かないところが自分の難儀な星回りで、とある問題人物が自分たちのゼミに在籍していて、ゼミ全体をかき回して大問題となっていて、自分もその当事者の一人だったので、その対応と解決に1年以上費やす羽目になり、いやホントに毎日大変でした(苦笑)

その人物は、今風に言えば完全にADHD(注意欠如・多動性障害」で社会性が無く、重度の虚言癖があり、自分を被害者に見立てる事で周囲の関心を持とうとするタイプで・・・・と後に気が付いたのは「自分の母親と実は全く同じだった」という事で、自分は常にこの手のタイプの人間に人生を捻じ曲げられつつ、抵抗して戦ってきた人生だったんだなぁと、深いため息が出ましたね。


2、20歳で社会人へ、住宅会社の営業職へ

なんとか未成年時代は乗り越えて、地元の住宅会社の営業職に就職することが出来ました。

これも、学費を稼ぐため住宅会社の現場作業の肉体労働のバイトを通じて、その会社に認められての正規社員登用でしたが、採用理由が「あんな辛くて儲からない仕事を真面目に務める忍耐力は、ヤクザな営業の業務に耐えられるだろう」という事だったと後で聞いたことがあります(苦笑)


しかし、本当にこの仕事は辛かったです。

今から37年前の1980年代後半の頃ですから、週休二日などは無く朝は8時から夜は23時まで拘束され、週一の休みもお客さんに呼び出られ、オマケに社会人一年生なのに「お客様の人生を左右するのが住宅計画です」などしたり顔で、平気で自分の2倍以上生きたお客さんを相手にして、そのころはノルマが「半期で6棟1億円」でしたので、本当に大変でした。


しかも、最初に配属された営業所の上司がパワハラ野郎で、営業所全員が苦しんでいるような状態で、深夜にクドクドと嫌味を言われ続けてついにブチ切れて、ケンシロウの様なオーラ出しながらぶん殴ろとして、先輩の空手の有段者に羽交い絞めされて止められたという事件がありました。

その時の上司の「あんなクダラナイ奴手を出して犯罪者に成ってもつまらないゾ」という言葉は、以後自分が無事に社会人として生きていける為の「金言」となりました。


まあ、そんな事も有りましたが「石の上にも3年」を心に決めていたので、一人前に成るまで辞めないと、ある程度成績が出せるように成ってから5年勤続して、26歳で自宅を建ててから、一昨年まで勤めていた自動車関係の会社に転職しました。


3、自分の趣味を仕事にして

物心ついたころから自動車が好きで、子供の頃は「カーグラフィック」「オートスポーツ」を愛読書にして「サーキットの狼」「スーパーカー」の洗礼例を受けた世代ですから、車に乗るのが大好きで、本当は高校進学の時に工業系や自動車整備専門学校を受験しようとして、両親の理不尽な大反対で未来の夢を断たれたという反動から(笑)、地元にある自動車会社のテスト業務を委託されている会社に転職しました。


職種としては「テストドライバー募集」という魅力的な内容がかえって怪しく(笑)、会社説明を受けたら「まあ、普通免許があれば・・・」という頼もしい説明にかえって疑心暗鬼になりましたが、委託先の企業と同じ就業形態という事で、週休2日はおろか年間休日も120日あり、オマケに有給休暇が完全取得が絶対という、まるでおとぎ話のような世界(笑)の魅力には勝てず、年収が半分になる(!!!)事など気にもならず転職しました。


実際の業務は自動車の耐久性試験で3交代でコースを走らせる「夜勤勤務」が主体で、その車の整備や点検、データ計測、車両の分解組み立てなど、文系人間で、実際車の重整備などしたことない自分には大変な事も多かったですが、委託先の企業はまだその時代は家族的なところがあり、委託や請負の社員であっても「面倒見る」文化が残っていて、色々な事を教えてもらったり、勉強する時間や機会も設けてくれたりと、自動車や機械工学の基礎、金属工学など、以後の自転車の整備などをに役立ちました。

まあ、結局早期退職するまでこの会社でお世話に成りましたが、この会社にいて本当に良かったのは、多くの仲間に出会えたことだと思います。


4、生涯を共にする自転車の生活を得る

まあ、その仲間を得ることが出来たのも、自分が子供の頃から大好きだった自転車趣味を再開させたからです。

とにかく、物心ついた時から目の前に現れる「不可解で理不尽な難儀」を、撃退するだけで精一杯で、正直なところ人生の目標とか夢を実現しようとか、自分自身の将来の事になんの希望も持てない人間に成っていました。


その結果としての自分自身の健康管理の概念が無く、ストレスからの暴飲暴食、偏った食生活、睡眠時間の不足、運動不足がたたっての肥満や生活習病のオンパレードとなり、30代後半の頃には何時突然死してもおかしく無い状態と会社の健康診断で指摘され、とどめは2度ギックリ腰を発病させたときに担当医の方に言われた言葉でした。

「このままの体重だと、膝の故障もありますし50代になったら確実に歩けなくなりますねぇ」ニコニコしながら宣告されて、この時は心の底から戦慄を覚えて全身が凍り付いたことを覚えています。

自分は「結婚をするつもりが無く、老後は確実に「独居老人」に成ることがよそうされて(結局その通りに成りましたが)、誰に頼る事も出来ないとあれば

自分の健康、とくに自分の足で歩けることは最低限の必須条件であり、ここにで初めて自分の将来の為にダイエットで体重を落として健康な体を確保するために、本格的に自転車で運動する事に成りました。


ダイエットのために週末にはクロスバイクに乗るようになっていましたが、これを機に往復20㎞の通勤も自転車に切り替えて本格的に乗り込みました。

週末も乗る距離を徐々に増やしていき、100㎞乗れるように成ったころ、自転車雑誌で160㎞の距離を走る「センチュリーライド」と、新潟市の佐渡の島一周210㎞走る「佐渡ロングライド」の存在を知り頭から離れなくなりました。


そのころ職場の同僚とクロスバイクでサイクリングしたり、エンデューロレースに出たりと徐々にのめり込んでいきましたが、このロングライドを行う事が目的に成り、ロードバイクを購入して装備を整えたりトレーニングをいろいろ工夫していったりとした結果、気が付いてみると何の生きる目的もなく根無し草のように生きた自分が、初めて生きる意味を持つことが出来ていました。

以後はこのブログを開設してから書き込んできた通り、自転車中心の生活をしていました。



5、新しいステージを迎えて

そして、定年3年前に早期退職し、母親を見送って完全に独り暮らしとなり、ある意味今までと全く違う、ほとんどすべてが自分の都合で動ける人生が、正直「始まってしまった」という所です。

 

実のところ、いろいろな選択肢が想定されていますし、そのどれを選択するのも自分の判断次第なのですが、大きく分けると

1、現状の延長で今の住居と人間関係を継続させる

2、見たことのない風景を求めて、別の場所に転居する

となりますが、慌てて動くとロクな事が無いですし、とくに期限がある訳でもないので、変に義務感に駆られてとかなく、自然体で考えて行動していこうと思っています。

 

一つ言える事は、このブログをアップして意向、もう自分の過去のネガティブな部分を振り返ることはしないということです。

その決意をはっきりさせるために、今回恥を忍んで(苦笑)色々と書き綴りましたが、これをもって次回の記事より元の「楽しい自転車生活」応援を中心としたものを書いていきたいと思います。





nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ブログの再開、実母の末期がん発覚と入院まで [雑談]

まだこのブログに立ち寄ってきてくださる方がおられましたら、「お久しぶりです」!

まあ、なんとか身辺整理も進んできて、落ち着いてブログを書こうという気に成ってきました。

昨年8月に実母の末期がん発覚以来、自体が急速に進行していきました。

担当医の見立ては「早ければ年内に」というお話が最初から飛び出して、事実その通りに成り、12月6日に西方浄土に帰らぬ旅に出てしまいました。


その間あまりにいろいろな事が、振り返る暇もなく自分に降りかかり、とにかく平常心を心がけて事に当たってきました。

まあ、自分としてはこの事を振り返るつもりは毛頭ありませんが、とにかく何があったかは纏めておこうという事に成り、長らく休止中のブログの再開と相成りました。


相変わらず長文で無駄にクドイ表現の記述に成りますので、真剣に読んでいただけないとは思いますが、おそらく同じ境遇の方が困っていると察しますので、幾何かお役に立てればと、何があったかを書き綴ってみます。



◆新型コロナと肺がんの発覚・進行について

肺がんの自覚症状として、痰が出るとか胸に詰まりがあるとかは1か月ほど前からあったようですが、コロナの感染をきっかけに一気に症状が進行して、総合病院で検査しようという事に成りました。

固形物が取りにくく、食事が滞っていた事も有り体力が落ちていたのでそのまま入院という事に成り、改めてPCR検査で陽性反応がでたので、まずコロナでの隔離入院が必要になり、2週間の経過観察の入院と癌の精密検査を行いました。

とにかく最初の検査で肺のレントゲンの右下に7㎝程度の癌の影が映っており、ほぼ末期の「ステージ4」は確実視されていました。


しかし、一昨年もコロナ感染の疑いで呼吸器科の医院でレントゲン撮影にわずかに影があり、がんの疑いありという事で血液検査を行いましたが、その時点では「シロ」でした。

自覚症状の件なども考慮に入れると、急速に悪性腫瘍が拡大したことになり、あり得ない事例ではないとしても、余りに早すぎることが疑問でした。

まあ、巷ではコロナの後遺症やワクチンの影響とか色々言われていますが、その他の症状等を考慮すると、実母は確実に免疫が低下していたようです。


◆終末医療の選択

検査入院後、体力がやや回復したので2週間自宅で様子を見るという事で、別の医院で「PET撮影検査」を行い、肋骨に転移が認められた事と、後の検査で肺の癌腫瘍が壊死して右肺全体に癌細胞がばらまかれている事が発覚しました。

その時点で、高齢で体力が落ちているので、摘出も抗がん剤の治療もできないという事に成り、インターフェロン系の投薬も抗体の適合性が無く万事休すという事で、治療や延命措置をせず、痛みだけを抑えて穏やかに最期を迎えるという「終末医療」の方針が決まっていましたが、様子を見てから検討という事で自宅療養を続けました。


◆自宅療養の限界と、要介護認定

実はこの自宅療養が大変で、一応寝たきりでは無いので所謂「下の世話」がないのが唯一の幸いで、何が困ったかと言えば実母の生活習慣の乱れと食事の我儘が強すぎる事でした。

とにかく勝手な時間に寝て、夜中でも起きてゴソゴソするなどで、通常の時間での3食の時間に起きていないときが多く、食事の世話をする方とすれば「怒り心頭」でした。

おまけにほとんど猫のように(苦笑)「気に入らなければ、具合が悪ければ餌に口もつけない」有様で、体の為に必要なカロリーや栄養素を取らなければいけないという概念を持っていない事もあり、固形物が食べられないと用意した流動食を受け付けない事が増えました。


おまけに決められた薬を飲まない事の方が多く、飲んだとウソをついて枕元に隠していたりと、正直何でこんなクズの面倒を見なければいけないのかと、自分の精神崩壊しそうになってきました。


そんな時、我が家のかかりつけ医に、定期的にもらっている薬を取りに行ったときに、実母と自分の様子を見て「このまま息子さん一人での介護は限界で、早急に要介護認定を受けて介護ケアを受けるべきだ」というありがたいアドバイスと、関連部署への根回しをしてくれたので、地元の「包括支援センター」に行き、要介護認定の手続きを進めました。


手順としては、包括支援センターに申し込んで、介護認定の査定を専門の人間に依頼、要介護の等級が決定次第、その等級の援助内容にあった介護プランを、指定された介護プランナーが選定して、各種サービスが受けられるという感じです。

ま、これは悪口ではないのですが(笑)、なにせ「お役所仕事」なので、此方の都合で動いてくれることは無く、事務手続きの手順を順当に踏んだとしても時間がかかることは事実で、必要になるはるか前の段階で手続きを進める必要があり、実は我が家のケースもサービス認定は入院の後に決定通知があり、医療行為の入院の場合介護保険からの支援は無く、要するに「間に合わなかった」わけです。

 

実は3年前に痴呆の症状を拗らせて親子関係が崩壊しかけたときに、要介護を受けようとしましたが、実母が意固地になり認定を受けられなかったという経緯も有ったのですが、この手の話は珍しい事ではなく、介護する家族をとことん追い詰めているんですよ。


さてその後結局如何なる食事も投薬すら受け付けない実母に対して、完全に堪忍袋の緒が切れて、自分自身が介護することを放棄することにしました。

こう書くと自分は余程酷い冷血漢にしか見えませんが、実はここで真面目に自分ですべて解決しようと思い込む事は大変危険で、よくて親に暴力を振るうようになるか、悪くすれば「一家心中」などという悲劇に向かって一直線に成ってしまいます。


まあ言葉通りに放り出す訳では無く(苦笑)、担当医の指示で食事を受け付けなく成ったら入院させてくださいという指示に従ったわけです。

これも困った老人看護あるあるなのですが、家族の言う事はミジンコ程も聞かないくせに、医者のいう事は淡々と従うという、家族からすればウンザリするような親は決して少なくないようです。

 

そして入院前に、親戚と知人に連絡して「本人最後の面談」の段取りを付けました。

ご存じの通りコロナ禍の中、ほとんどの病院は「面会不能」状態であり、お見舞い出来ない以上、入院すれば次に会えるのは良くて「臨終の際」という事に成り、まだ意識があって会話ができるうちに自宅に来てもらって、最後の面会をしてもらいました。


親戚達にも余命が年内という事で説明して来てもらいましたが、当の本人は「ただ風邪ひいただけだし」と強がりなのか見栄なのか、来てもらった親戚が当惑する始末で、特に実弟はお別れに来たのになんだ!あの態度は激怒して帰ってしまう始末で、まあ本当に居るだけでトラブルの面目躍如のフィナーレを飾ってしまいました(苦笑)。

 

入院後はモノが無いと喚くは、夜中に苦しいとナースコールも使わず騒いで個室に強制送還されるはで、ほとんど最後の悪あがきを繰り広げておりましたが。


◆終末治療専門医院への転院

その間も終末医療を行う医院や施設を選定していただき、転院に備えましたが、栃木県で末期がんの終末医療を専門に行っている大病院は「済生会病院」と「国立がんセンター」しかなく、またこちらはもっと重篤な症状、要するに痛みがひどく本人がかなり苦しまなければいけない患者が優先されるそうで、実母の場合そこまでの痛みを伴うことなく、呼吸が徐々にできなくなってくる苦しさがメインに成るようでした。


そこで、広義の終末医療を受け入れているる医院や施設・・・・・まあ口が悪い人に言わせれば「現代の姥捨て山」と揶揄されていますが、治療行為をせず穏やかに最期を迎えるための処置、ハッキリ言えば痛み止めやモルヒネなどを使って、胃ろうや人工心肺装置などは付けず、心肺停止による蘇生処置もしない医院を選抜してもらい、実母の生家のすぐ近くで、通っていた中学校の目の前、更に自分の親の墓地が目の前にあるという場所の医院を、最期を迎えるのにふさわしいという事で選ばせてもらって、そこに転院する事に成りました。


転院の手続きで久しぶりに顔を合わせて・・・というより、おそらくこれが最後の会う機会に成りそうでしたが、此方は手続きで忙しく、特に感慨がわくことは無かったのですが、実母は転院する病院が、自分の両親も入院した病院で、自分の最期を迎える病院であることは理解しており、別れ際は気のせいでなければ目が赤くなっていたと思います。


なんというか話が湿っぽくなってきましたが、実はここからが自分にとってはまさしく「悪夢」で、思い返したくない程の苦労が待ち受けているのでした。


続きます。






 





nice!(6)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ターマックの仕様を戻して快適に走るも・・・ [雑談]

しかし、この内容の書き出しもいい加減に呆れましたが、本当に天気が安定しません。


そういえば、昨日桜川市で地元のお年寄りの方々と雑談しましたが、地域の「桜川」が昨年氾濫したそうですが、70歳になる方も、生まれて初めて見た光景だったそうです。

宇都宮市も3年前の台風19号の時、宇都宮駅前の「田川」が氾濫しましたが、これも終戦直後に氾濫してからおよそ70年ぶりの氾濫で、しかも両方とも戦後に治水事業で河川改修されたのにもかかわらず氾濫した事実は、現状の天候は想定外の規模で進行しているという事なのでしょう。


そう大げさな話では無くとも、こうなると自転車等のアウトドアは計画の立てようも無く、お勤めの方は休日の天候が悪いと、本当に暫く出かけられないという事に成ります。

ま、その辺りは自由人の特典と申しましょうか(笑)、もうその日の朝の様子を見て自分の判断を信じて(笑)出かけられます。

昨日は天気予報では曇りで、最高気温30度という事ですが・・・・まあ出かけてみれば良い天気で、気温もうなぎ上りに上がっていきました。


久しぶりに夜明け前の4:30頃自宅を出ましたから、これまた久しぶりに朝日が拝めます。

RIMG7187.JPG


本日はターマックのホイールをWH9000 C24から、キシリウムSLRに変更して出撃です。

RIMG7188.JPG
この所、色々調整して何とか良い感触に成って来ましたが、どうもこのフレームとWH9000が相性が良くない気がしていて、ホイール以外のコンポーネントを同じにして比較してみましたが、少し転がしただけで全然感触が良くて、元に戻して正解でした。
WH9000とキシリウムSLRは、重量はほぼ同じで、ハブの回転フリクションとかはSLRの方があるはずですが、やはりリムとスポークの剛性の違いが大きいのでしょうね。
これはターマックのフレーム剛性との「相性」というより、重力級の自分の場合、ホイールは剛性が高いものの方が推進効率が良くなるという事です。
ちなみにこれは昨年秋の状態ですが、タイヤが「パナレーサーRACE A EVO4」ですが、タイヤ特性よりこのホイールの違いが大きいようですね。
RIMG6114.JPG
実はこのキシリウムSLRはお気に入りのホイールなのですが、スポークがカーボンチューブで支える特殊な構造で、ハブの締結部が摩耗してしまう構造上の問題があり、使用頻度を下げていました。
まあ、最近ロードバイクの使用頻度その物が下がっているので(苦笑)、あるものは使ってしまおうと・・・
さてこの日は日差しが出て、朝のうちは本当に快適に走れました。
RIMG7189.JPG
しかし気持ちが良いのは気温が低いうちだけで、既に8:00を過ぎたあたりから気温が30℃を超えてきて、くらくらするなと思ったら、気温計は35℃に達していました。
なんか久しぶりに此処まで来ましたが、結局元に戻したターマックは快調で、調子に乗ってペースを上げると、今度は暑さで「オーバーヒート」でスローダウンしてしまいました。
RIMG7193.JPG
もともと午後には天気が崩れるからと、朝早く出てお昼ごろには帰宅する予定でしたから、早々に帰宅できたのは幸いでした。
?
しかし、この分だと「想定通りの夏」が訪れるという保証が無さそうですね。
各種イベントなど、例年の天候を想定してスケジュールを組んでいる場合も多く、これ以上天候が「拗れる」とどうなる事やら・・・・・


タグ:異常気象
nice!(5)  コメント(2) 
共通テーマ:日記・雑感

違和感ある天気もチャンスを見て走る [雑談]

もう完全に天気予報が当てになりません。


北関東は不安定な天気で、湿度が高い空気が吹き込んで曇り基調で所々激しく雨が降る・・・だったはずですが、一昨日朝起きてみると、空気は澄んでいて空も高く、雲は覆いながらも明らかに晴れで、気温や湿度も快適で、このチャンスに走らない理由は無いと、何時もの北回りコースを走りました。


しかし、明らかにこの時期の天候では有りません

衛星画像を見ると、日本付近は南北に気流が流れていて、台風崩れの低気圧が停滞していて、大きなオホーツク高気圧に通せんぼをさせられているようにも見えます。

ひまわり.jpg
これは、気象学と言うより自分が走っているときに感じる「空気感」なのですが、常に三種類の季節の空気が、入り乱れて流れ込んできて、ある時は蒸し暑くて翌日は肌寒く成り、その変わり目は強風が吹き荒れると今度はカラッと晴れた天気が来る・・・と言うように、穏やかな季節の移り変わりと言う物は崩壊していて、気候が常に変動しているという様子が、ここ数年続いていて、今年はそれが更に顕著に成っているようです。
と、ここで素人のお天気話など何の根拠があるの?という事に成りますので、ヨットで日本一周をしたこともある気象予報士で、「ウェーザーニュース」の重鎮でもあり、TVの気象予報統括等を務めていた、「笠原久司」氏のツイッターに、詳しく解説されています。
天気予報も、特にTVで奇麗なお嬢さんがキャピキャピしながら原稿通り読まれている、定型化された天気予報の、かなりデフォルメされた内容を鵜呑みにしても、自分がバカを見る・・・場合によっては命のかかわる事もあるので、特に業務やアウトドアなどで天候が活動にリンクしている方々の場合、基本的な気象知識を持ったうえで、自分の目で見て、肌で感じて、正確な情報をもとに、自分で判断する必要はあると思います。
と、くどいお話は此処までで、結局昨日も曇りの予報は大外れで、宇都宮市周辺はまるで夏終わりのような爽やかな朝で、予報ではかなり強い北風が吹く事に成っていましたが、一昨日も同じ同じ予報で完全に外れていましたので、自分の見立てを優先して、久々に筑波山へ出かけました。
LOOKを出すのも久しぶりですね。
RIMG7176.JPG
LOOKには新装備です!
と、最新のサイコンとか高性能のライトとかでなく、今更なのですが、単三電池を使える小型のLEDライトで、キャッツアイのHL-EL145です。
RIMG7177.JPG
これは20年くらい前からあるシリーズの最新式で、自分がクロスバイクを始めた頃はHL120と言う商品でしたが、基本的な筐体は継承しつつLEDやリフレクターなどを改良して続いている商品です。
大体昔はロードバイクなどを始めると、このライトを初めて買うのが定番で、防水性が無いなど多少の欠点はあるにせよ、手ごろな値段で、市街地での通勤や通学の範囲なら十分使える商品です。
こうやってある程度の手ごろな値段を維持しながら販売を続けてくれるキャッツアイの姿勢は素晴らしいです。
で、最新式で「若干」明るくなったこの商品を試したくて購入してみました。
確かに多少明るく成っていて、配光が昔よりスポット方向で、より集光されているようで、流石にロードバイクで30㎞/h近い速度で、街灯も無い山野を走るのには全く使えませんが、シティサイクル程度の速度で住宅街を走るのなら十分使えるでしょう。
RIMG7178.JPG
まあ、自分の場合ナイトライドがなければ、昼間は「ディライト」として点滅で使用しているので、それに「VOLT800」を使って、バッテリーを消耗させることも無いだろうという意図もあります。
流石に点滅モードでもVOLTの方が明るいですが、普段のトレーニングならこれで十分でしょう。
ロングライドイベントなどの場合、慣れないところを走りますし、不意にトンネルなども現れることもあるので、これは迷わず明るVOLTを選びます。
さて、自宅を5:30に出ましたが、先の書いた通りこの季節としては望外の爽やかな気温と湿度で、こういう天気で走らない理由がありませんよね!
RIMG7179.JPG
RIMG7180.JPG
田んぼも稲の緑が鮮やかで、「緑のじゅうたん」に黄金色の朝日が差し込む風景は気持ちが良いですね。
RIMG7181.JPG
RIMG7182.JPG
筑波山も、周囲の風景も含めて本当に緑が濃くなりました。
RIMG7183.JPG
RIMG7184.JPG
RIMG7185.JPG
RIMG7186.JPG
このコースは大体125㎞のコースで、風向きだけは予報通りで(笑)往路は順調に進み、帰路は向かい風に成りますが、夏の向かい風は以外に厳しくなく、当初風速5~7m/sとの予報で覚悟していましたが、其処まででもなく、北東から北北東の風向きだったので、思ったより消耗しないで帰宅出来ました。
まあ本来ならこの時期もっとロングライドをこなしている「はず」ですが、その点を悩んでも仕方が無いので、今は「走れるときに、走れる距離を、走れる強度で、淡々とこなす」ですね。
が!、「こんな時ですが」という注釈が必要な事態に成ってしまいました!!
元首相の白昼堂々の暗殺と言う、まるで映画のような出来事が現実に起きてしまい、いまやTVを付ければ政治家たちは「民主主義に対する挑戦に屈することなく云々」の大連呼となっています。
まあ、いまSNS上で迂闊な事は書けませんが、個人的な意見として、既に多くの人が当たり前にあると信じている民主主義と言う物は、既に瓦解し始めているのではないかと思っています。
それは怠惰な保守系政治家、無責任な革新系政治家、低俗なマスコミ、無知な国民、傲慢な国家指導者、資本至上主義のエコノミスト・・・・誰が悪いのかと言うより何が悪かったんでしょうね。
ハッキリしている事は、「今後何が起きるのか解らない状況が、より激化して進行していく」という事で、この天候の変化程度で音を上げてしまうくらいでは、到底乗り切れない世の中になると考えれば、此処は肝を据えて体調だけでも整えておく必要がありそうですね。
まあ、こんな事しか出来ない自分が歯がゆいですが、これも現実で、この現実と冷静に向き合って、色々と乗り越えていきたいですね。

nice!(8)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。