秋を先取り!三沢基地祭りへ往復1600㎞のバイク旅 [旅行]
こう先が見えないと本当にイライラしますね。
何時に成ったら少しは過ごしやすくなるのか?夏バテ?後遺症?気分的な問題?とにかくやる気が起きません。
だからという訳でもないのですが、9月8日開催の青森県にあるアメリカ空軍三沢基地のオープンハウス(基地祭)に行った記事が今頃出ます(苦笑)。
さて、何時もは車で行き、昨年は車中泊を利用して行ってますが、今回はオートバイで、特に往路は下道使い、ノンビリト東北の太平洋岸、特に三陸海岸をツーリングするのが主な目的でした。
今回下道中心のツーリングで青森まで行くとなるとほぼ二日かかると見越して、前日の7日に現着してノンビリできるように、5日の早朝4:00に自宅を出ます。
日程に余裕があった方が焦って無理しないで済むので安全です。
暗いうちは大好きな変な裏道(笑)は危ないので、暗いうちは国道4号線を北上して、郡山に入る頃には今度は通勤渋滞を避けるために裏道に入り、相馬市で太平洋岸に出ます。
この辺りのルートは何度も走ったこともあり、宮城県の女川まではバイクで行ったこともあるので、初日はこちらを目指して走ります。
宮城県山元町付近で海が見たかったので、休憩で浜吉田の海岸に出ます。
震災以降、福島県から宮城県の平野の沿岸部は、この堤防が延々と続いています。
この日は暑いは暑いのですが、海岸に出ると内陸のようなムシムシ感はなく、結構快適に走れました。
まあ、普段は沿岸部でも海鮮物はあまり好きでないので選びませんが、せっかくなので、この先の「鳥の海港」のお店で「ヒラメの天丼」を頂きます。
肉厚で柔らかく、美味しい魚の天ぷらは、アッサリしていて食べやすく、疲れた胃でも問題なく頂けました。
しかし、ここまで鮮度が良ければ、同じヒラメでも「浸け丼」にすればよかったのかな。
さて本日の宿泊先の女川は、あまり日帰り温泉がないような感じで、松島から内陸部に入った温泉施設に行こうとしたら、やはり温泉施設の横に小さな看板があり「元湯 湯ノ原温泉」とあって田んぼのあぜ道を入っていきます。
すると、随分歴史を感じる古い温泉宿が現れました。
ここは、江戸時代から近くのお寺さんの参拝客相手の湯治場として始まった温泉のようで、入浴施設は流石に最近改築されていたようですが、随分趣のある温泉でした。
しかし、この辺りはかれこれ20年以上前から「松島基地祭」見学で通過していたはずなんですが、全く目に入らなかったというのもお恥ずかしい。
やはりキツキツで予定を組んで移動しているときと、時間に余裕があってあまり焦らないで移動しているときでは、目に入る風景が違ってくるのでしょうね。
この後海岸線沿いに出ないで、内陸側に回り込んで石巻市の中心地をかすめて、女川に到着します。
ここは以前宿泊したことのあるトレーラーハウスのビジホで、こういう作りは「隣のイビキやどんちゃん騒ぎ」が聞こえにくいので(笑)結構快適です。
翌日はある意味今回のメインイベントの「三陸海岸ツーリング」の開始となります。
早朝はまだ曇っていますが、気温は低く走る分には爽快です。
ちなみに三陸海岸は高速道路の無料区間が続くので、長距離移動の車はほぼそちらに流れますが、自分はより海岸沿いに近い旧道に進みます。
すると、本当に頻繁にこういう表示が現れます。
三陸海岸は皆さんも学校で習った(ハズですが?)、「リアス式海岸」で、ノコギリの様にギザギザの海岸線で、港湾や平地があるのはV字型に切れ込んだ海岸線の奥に「猫の額」の様にあるだけです。
震災では此処に津波が収束して、非常に高い標高まで津波が押し寄せました。
現地でここを見て振り返ると、驚くほど標高の高いところまで津波が押し寄せたことがわかります。
さて、まだ11:00ちょっとすぎですが、こういう地方は飲食店がこちらの都合よくあるわけでないので、早めに取ろうと、グルメ妖怪アンテナを起動させていたら、このお店にたどり着きました(笑)
このお店「麺飯店 喜楽」さんは地元住人に長い事愛されている有名店で、駅前に有ったのが震災後こちらに再建されたそうです。
チャーハンを作るために振るう中華鍋の音が絶えない店内で、本当は麺類なんでしょうが、チャーハンと、野菜たっぷりのスープを頼みます。
鶏ガラをタップリ仕込んだお店自慢のスープがすべてのメニューの基本であり、おそらく先代から引き継いだであろう娘さんが作る伝統の味は、久しぶりに「街中華の王道」を味わいました!!
今度は中華スープをベースに作られた「ラーメン店のカレーライス」を食べに行きたいです!
このお店の駐車場から奥に上り坂に成っていきますが、一の一番奥まで津波が到達しています。
そして反対側の下り方向ですが、要するにこれらの風景が震災当時すべて海面の下に成ってしまったという事で、所々空き地とかはありますが、ここまで現地は復興出来ました。
現地の方々とも色々話しましたが、我々みたいな外部の人間は時々来ては偉そうなこと言いますが、現地の方々からすれば2011年3月11日から現在まで、ずっと時計の針は動いているし、現状も完全復興には程遠いという事で、「見た目はともかく、現状は櫛の歯が欠けたようで、とても復興とは・・・」というお話でした。
これは国道にまんべんなく設置されている標識の説明ですね、非浸水区間の高いところには「もしもしピット」という退避エリアが設けてあり、そこから通報できるようになっています。
夕方ごろには目的地の八戸市に到着で、気温は高いですが空は鱗雲が流れてすっかり秋の空です。
翌日は航空祭前日ですが、ここ三沢は何度も来ているので概ね周囲の状況も把握していますし、ウロウロしていると疲れるわガソリンも減るわで良い事も無く、以前来たアプローチラインの真下にある海岸線に行きます。
見晴らしがよく離着陸の機体が真上を飛ぶ絶好のビューポイントで、ここで椅子を出してお菓子を食べて、PADでアニメを見ながら一日のんびり過ごしました。
前日だとよその基地からくる外来機が時折通過していきます。
今回は撮影する気は全くないので、カメラさえ持ってきていません。
もうそういうのは飽きてきたというのもありますし、雰囲気を楽しみたいという方向に落ち着いた感じですね。
まあ、昨今「撮り〇〇」はどの世界も疎まれる存在というのも大きいですね。
「X」でも書きましたが、地方の旅行ではさぞ地元の山海の珍味と地酒で酒池肉林!と思われているのかもしれませんが、この日の夕食はコンビニで買ったPBの安い缶酎ハイと「南部せんべい」です。
此処に限らず旅行の夕食&晩酌はコンビニ飯が普通になりましたね。
あっ、でも我慢したから南部せんべいではなく、これぞ地元のソウルフードだし、第一僕が大好きだからという事もあります(笑)
航空祭当日は、先日と同じ場所に陣取って飛行展示を楽しみました。
ブルーインパルスは無しですが、ここ三沢は見ものが多く飽きる事はありません。
噂のF22ラプターは来なかったようですが、個人的には航空自衛隊のF35Aの飛行が印象的で、302飛行隊はこの機体の飛行特性をモノにしているのだなという印象でした。
戦闘機という物は、特に最新鋭機の場合など実際の戦術作戦に運用できるようになるまではかなりの時間と手間が必要なモノで、まして今まで存在していなかった種類の性格や性能を有するF35を、実際使えるようにする苦労は多くの人達の想像を絶するものだと思います。
さて午前中で飛行プラグラムは殆ど終了しているので、お昼前に現地を出てこの人宿泊地の宮古まで今度は三陸海岸沿いを南下します。
この日の午後は快晴で、本当は高速使って早めにホテルにという計画でしたが、
あまりに気持ちが良いので予定をすっ飛ばして、下道の果てなく上下左右にクネル国道45号線で、ノンビリ走りを堪能しました。
しかし、結果として往復1600㎞走って思いましたが。このADV160は、本当に旅の相棒として「頼りになるマシン」で、色々な環境や路面状態を安心して長距離走る事が出来ます。
パワーや操縦特性や音や振動など、特筆して優れてたり官能的という訳では無いのですが、「過不足なく癖も少なく神経を使わないで安心して走れる」というバランスの良さが、本当にロングライド向けだと思います。
翌日は宮古市から宇都宮市の自宅まで帰り着くプランですが、天気情報を子細に検討すると「内陸部で午後の遅い時間程天気が悪化する」感じで、各地の天気予報というより広域で雨雲レーダーの予想を見ると、沿岸沿いに南下して、できれば日没前に帰宅するというプランになりました。
ただしGoogleMapdeでルートを検索すると540㎞程となり、これは下道だけでは宇都宮到着は夜中になる勢い・・・要するにほぼ不可能で、基本的に高速を使って、雨雲を避けつつ出来るだけ早く南下して、状況見て内陸部の裏道辿って帰宅するというプランで帰宅しました。
台風が来る前に8月恒例「河口湖自動車博物館」見学 [旅行]
恐らく8月は記事のアップはこれで最後ですね。
本当はやりたかった事、書きたかった事が山ほどあるのですが、毎日この湿気で蒸されているだけで、何もやる気力が完全に失せてしまっています。
来年もこんな感じでしょうから、8月の過ごし方は考えておかないとですね。
さて、気を取り直して(笑)、8月というと河口湖にあるクラッシックカーや、旧日本軍の軍用機の発掘、再生、保管の事業をしている「河口湖自動車博物館」が、この1っか月間だけ一般公開する期間で、毎年訪れています。
本当はバイクのツーリングを兼ねて、伊豆でのんびり温泉でも入ってという予定のミッションでした。
じつは月曜日が天候がまだ安定していたので出かけるはずでしたが、前日の夜中に緊急アラートが夜中に鳴り響いて起きだして睡眠不足に成っていたので、断念して、自動車での日帰りドライブに変更しましました。
何時ものケチケチ旅行で、高速を使わず下道で河口湖を目指すので、早めに2:30に自宅を出ます。
何もそんな早く出なくてもと思われるでしょうけど、過去の経験上この時間なら、平日の朝の市街地の通勤渋滞に巻き込まれないで済みます。
自宅を出てから概ね天気が安定していて、これならバイクでもと一種のも居ましたが、この空気感は何時何処で豪雨に遭遇するか予想もつかないので、オートバイで特に山間部などで遭遇すると「ずぶ濡れで済めば儲けもの」というリスクが大きすぎます。
夜中だと空いているので、あまりマニアックなルートを通らなくてよいので、新4号から125号、埼玉県道3号から横にそれて16号に乗って淡々と走っていましたが、入間市を走っている辺りで正面に虹が立っていました。
実際には二重線の綺麗な虹で朝から縁起が良い・・・ではなく、この先が雨雲が通過したか、降っている途中という意味で、やはりこあと段々雨が強くなっていました。
時間には余裕をもって出かけたので、途中で仮眠など取りながら9:30に現地に到着します。
この日は一台だけオートバイで来ていたお嬢さんが居ましたが、天候の話などして開園になったのでまず自動車館から見学します。
以前ならこの手のクラッシックカーは全く知識がありませんでしたが、最近はかなり解るようになってきました。
毎年見に行って何が面白いの?と思われるでしょうけど、細かく見ると色々と発見もあります。
これは本当の意味での「原動機付き自転車」で、成程ゴムローラーでリムに動力を伝達していたんですね。
フロントは凝ったリンクのサスペンションが付いています。
自転車そのものも、鋼管をラグで継いだ凝った構造で、最近はまず見られないものですね。
これは有名なメルセデスのガルウィングで、当時の超スーパーカーですね。
ここは個人所有の博物館で、原田氏という、かつてこの懐かしい「CIBIE」のランプなどの代理店をされていた方が創立されたものです。
最近の車は補助等をつける事自体ほとんどなくなってしまいましたが、当時はまともにナイトランや悪天候を走るのなら必須の装備で、特にこのCIBIEはあこがれの商品でした。
これは、ツーリングカーレース用のGTRで、「クニさん」こと故高橋国光氏が乗った車体ですね。
クニさんは原田氏所有の「ハラダレーシング」から、「ロイスRM1」という、当時画期的なレーシングカーで、「富士CGシリーズ」に出場して、驚異的なタイムで優勝したのを覚えています。
お次は、これも有名な70年代のF1マシン「六輪タイレル」こと「タイレルP34」です。
これは1976年、富士スピードウェイで開催された日本で初めてのF1レース決勝で、フランス人のパトリック・デパイユが2位に成ったマシンです。
特徴的なフロント二軸のサスのリンク構造や、ブレーキ冷却など現代水準から見れば随分雑で荒っぽい感じもします。
計算を念入りに行って開発を繰り返して投入したというより、実際これは実験的意味合いの強いモデルだったもので、P34というのは試作番号だったそうです。
このオープントップの4輪バギーみたいな車は、奥のミニを設計したイギリスの「アレックス・イシゴニス」が、軍用車両として(未採用)開発した「ミニモーク」です。
イメージ的にミニのルーフを切り払って補強した程度と思われていますが、ドライブトレインやサスペンション周り以外は完全に新規設定で、この手の車はトラックのような「ラダーフレーム」が多いのですが、モークはモノコックボディで、鉄板を溶接して作った箱を接合した「バスタブ」のような構造で、これで強靭なフレームを実現しているという、なんとも合理的というか独創的な設計で作られていて感心しました。
何処かで見たような?と思いだしたら、70年代のF1で使われていた「ツインチューブアルミモノコックフレーム」構造そのままで、発売が1964年で、F1ででは革新的なロータス25が1962年から採用して、ジム・クラークがグランプリを席巻していたマシンでしたので、設計段階で刺激を受けていたのでしょうか?
さてここに展示してある車両は博物館が所有所蔵しているもののごく一部で、入れ替えや模様替えも結構行われています。
以前なら「目玉」として中央にデンと展示されていた「スーパーカー」群は、隅っこにあります。
自分もけして興味が無い訳ではありませんが、自動車趣味も歳を重ねて熟成されていくと、だんだん怪しい方向に向かいますからねぇ(苦笑)
怪しいというか、この手の方向に向かい病気が重篤化するフランス車(笑)ではお馴染みの「2馬力」ことシトロエン2CVです。
この2CV、なんか雰囲気が違うなと後ろに回ると「まあビックリ!!」でFFのはずの2CVなのに、後ろにもエンジンがあります。
これはツインエンジンの4WDモデルの「サハラ」ですね。
ツインエンジンで「ピアッツァ」を思い出す人は、別の意味でお友達です(笑)
ランチアのラリーカーと言えばストラトスやデルタインテグラーレが有名でしょうけど、「美しさ」と言えば自分はこの「ランチアラリー」ですね。
もとは「ベータモンテカルロ」とは言いますが、ここまでくれば完全に別物ですよね。
さて、タップリ堪能してから飛行機の方に・・・と思ったら、あっという間に館内は満車です。
今年は大盛況だそうで、土日は地元のクレーマーから警察に文句が来る始末だとか。
いつもはガラガラの平日も混んでいて、これでも今回の開催で一番空いている日なのだそうで、来年は終戦80年という事もあり、更に注目される事も予想されるので、開催をどのようにするのかと、スタッフの方々が「嬉しい悲鳴」で頭を抱えていました。
此方も興味深い物だらけなのですが、これは以前も掲載した、旧海軍の艦上爆撃機「彗星」に搭載されていた、ドイツのダイムラーベンツDB601をライセンス生産した、当時の愛知航空機の液冷エンジン「アツタ」のクランクベアリングです。
普通のエンジンだと、こういったニードルベアリングは使わず、銅や鉛の合金であるホワイトメタルの表面にオイルを潤滑させていますが、元は流石にドイツ製ではあっります。
まあ、燃料噴射ポンプ、トルコン接続の遠心スーパーチャージャーとか、クランクなどに使われる耐熱合金とか、当時の日本にでは量産は難しかったようで。
最も同じライセンス品の川崎の「ハ40」よりは、アツタはマトモに動いていたという話も聞きます。
それでも飛燕で有名な「首無し機体」は、主にクランクの量産に問題があったアツタを搭載していた彗星でも発生していて、結局空冷エンジン搭載型を開発するハメに至っていはいます。
このエンジンは艦上偵察機「彩雲」に搭載されていた、中島飛行機製の「誉」エンジンで、ピストンの前にある箱は、製造プレートに「横河電機」の名前がある事から点火装置、おそらく「ディストリビューター」を撮影しています。
18個もあるプラグの点火時期を決める部品で、エンジンの熱や振動、場所からすれば外気をもろに受けて濡れたり場合によっては凍ったりと、確実に作動させるのはさぞ大変だったでしょうね。
よく外国のクラッシックカーのレストア番組で、古いポイント式のデスビを、今でいうCDIやMDIなどの、電子制御式に代えると性能が劇的に向上するのですが、プラグやハイテンションコード、イグニッションコイルなど、当時の特に日本製のモノだと、性能だけでなく、信頼性や安定性などかなり大変だったんでは?と思います。
えっ!誉だったら、シリンダーの緻密な空冷用のフィンについて語れよって?
ごもっともです(苦笑)
まあ偉そうに御託並べていますが、ここに来る方々は自分など赤子の如きレベルの、マニアのみならず元本職とかその筋のスペシャリストの方々がおられて、そういう方と幸運にもお話しする機会が得られるのが、自分にとっては何にも得難い体験に成っています。
と、2時間近く楽しんだ後は、近隣にある「道の駅 富士吉田」で、「ドームカレー」を頂きます。
このカレー、結構スパイシーで美味しいビーフカレーで、よくある「業務用ビーフカレー」を温めて出すだけではない?と思います。
このドームのモチーフは、もちろん隣にある「富士山レーダードーム」です。
この付近は結構頻繁に来ているのですが、この記念公園は何故かいつもスルーしていて、見学するのははじめてになります。
この気象観測用の、半径800㎞をカバーする気象レーダーは。引退してここに移設されていますが、長年にわたって日本の気象観測に貢献したものです。
ちなみにこのレーダーの設置は当時本当に難工事で、この偉業は作家であり当時現役の気象庁の職員でもあった「新田次郎」氏の小説「富士山頂」に書かれています。
たしかNHKの「プロジェクトX」の初回放送もこの話ですし、石原裕次郎氏主演で石原プロにて、超豪華キャストで映画化されていますよね。
ここは富士山の絶好のビューポイントでもありますが、ま、こうなりますわな。
台風が近づいている?のもそうですが、とにかく抱えきれないほどの水分を膨大に抱えた空気が日本列島に流れ続けているので、もうチョット地形の都合や都市部などの熱などで上昇気流が出来ればあっという間に雨に成ります。
予報を見るとこの後ここは豪雨になりそうなので、温泉入ってさっさと帰る事にしました。
温泉は、自分にとってはもうこの場所定番の「山中湖温泉 紅富士の湯」で体をほぐして、これも定番の「信玄餅ソフト」で糖分補充して、さあ帰りましょう!
帰路は山中湖付近からだったので、「道志の道」を使って相模原に抜けて、あとは天候次第という感じで走っていましたが、「道の駅どうし」を超えたあたりから、雨脚が強くなってきて、相模湖付近で道が川に成ってしまうほどの豪雨になり、このまま市街地を走るのも危険と判断して、相模原から圏央道に乗って、利根川近くの五霞で降りて、4号線で宇都宮に18:30頃帰宅出来ました。
流石に18時間で400㎞も走ると疲れないはずも無いわけですが、充実したドライブになりました。
しかし、9月に入ってもこんな感じの天候でしょうから、色々予定していたものを変更する必要がありそうです。
昨年は天候が安定し始めたのは10月中頃からでしたから。やはりこの国は四季が消滅して「雨季」か「乾季」の亜熱帯になったようですね。
タグ:河口湖自動車博物館
イベント開催の狭間で、瀬戸内海の魅力を味わう、その1 [旅行]
先月の山陰旅行のメインは「出雲センチュリーライド」と「ツールド下関」のイベント出場が大きな目的でしたが、日程が20日と27日で、そのために2度も往復するのは面倒だしお金もかかるし、ええぃ!このさい間の1週間使って、何処か行ってみようという事で、あえて細かい予定を立てづに、その時の状況や気分で自由にうろついてみることにしました。
さて、出雲センチュリーライドが終わって、バイクの再整備や衣類の洗濯、車内の清掃などをしながら島根県の出雲を出発して、まずは広島県の竹原の「忠海港」を目指します。
通常なら此処で「本四連絡橋」で渡る所ですが、時間はたっぷりあるわけですから、慌てて高速道を使う必要も無いですし、ここは「フェリー」を使ってまず愛媛県今治市の「大三島」に渡る事にします。
失礼ながら、地方の連絡船乗り場の待合室にしては非常におしゃれな作りですよね。
自家用車で大三島に渡るのに30分で2640円かかりますので、あまりメリットは無いとも言えます。
恐らく生活の脚としての連絡船の経営は、普通に収支だけ考えれば成立しない事は想像に難くなく、何とか観光目的での利用者の増加を見込んでの取り組みでしょう。
もう暗く成って来ましたが、この付近だと16:00を超えるとガソリンスタンドが閉まってしまい、造船所近くまで足を延ばして給油したりして時間がかかってしまいました。
大昔東北の日本海側を移動していて夕方に、ガス欠寸前となりとある漁村のスタンドに寄ったら既に営業終了で、結局車中泊して翌朝早朝に給油できたという事が在りましたが、やはりまだ地方は時代が昭和のまま流れているという事を思い出しました。
旅行者としては風情があってよい風景で、トランクぶら下げた寅さんが海を眺めてベンチに座っている様な場面が思い浮かびますね。
この桟橋から乗り込みます。
南房総の菜の花を愛でる旅、快適な車中泊を楽しむ [旅行]
さて河津桜を見て、横須賀で温泉を浸かり食事をして、2月24日の行程は終了ししました。
何処かホテルでもとも考えましたが、やはりを車中泊をと考えて、翌日の行程を考えれば、やはり房総半島に渡る方が賢明で、東京アクアラインを渡って、出来るだけ房総半島の南端に近い場所で車中泊する事にしました。
茨城県鋸南町にある、海岸線沿いにある「道の駅きょなん」に目星をつけて現地に向かいます。
何度か書きましたが、30年以上前に自動車で日本中旅行していたころは、旺文社の「マップル」片手に、その地図情報だけでいろいろ探しながら現地に行ったものですが、今はスマホで衛星写真が見られますし、ストリートビューも合わせれば、かなり詳しい現地の状態が分かります。
ろはいえ、現地に到着したのは21:00過ぎていて、真っ暗なので周辺の状況は良く解りませんが、トラックや営業車が何台か既に車中泊していました。
氷点下にはなりませんが、流石に伊豆半島の下田に比べれば寒さが堪えます。
此方は-10℃の車中泊も対応しているので、この程度はまったく問題ありませんが、多くの車中泊している営業車などはエンジンをかけて寝ていたようです。
この日は黒霧島の麦茶割で晩酌して早々に就寝しましたが、車中泊も慣れてきているのか、何の問題も無く翌朝4:30までグッスリ熟睡してしまいました(笑)。
自分、子供の頃は寝つきが悪く枕が変わると寝られないデリケートで線の細い子供でした。
まあ半世紀たって、これだけ神経も体も図太く成るのですから、いやー、人生というのはホントに解らないものですよね(苦笑)。
さて、暗いうちに移動して、何処か綺麗に朝日が見えて、かつ朝食の準備が出来るところに行きましょう。
朝日を見るという事は、少なくとも房総半島の突端である野島崎の東側まで行かなくてはなりません。
そこで、以前ロングライドイベントで訪れたことがある、千葉県千倉町千田の「道の駅ちくら」に行きます。
なんとか日の出前の明るく成ったころに現地に到着しました。
平日で6:00前のこの時間ですから、駐車場に車は無く、此処で車中泊している車も内容でした。
街道の反対側には民家があり、あまりここで騒いだりすれば地元住人には迷惑がかかるので、車中泊には不向きかもしれません。
自分は学生時代「アウトドアの基本は、その場所を使う前より綺麗にして撤収せよ」を恩師に徹底的に仕込まれましたので、ゴミを出さない事は当然ながら、現状の保安や、周辺の方々に迷惑をかけない事が大前提です。
当然駐車場で直火はもってのほかですが、シングルバーナーであっても「火気厳禁」で難しいので、そういう時は先に紹介した電気鍋の「山善コンパクトクッカー」は重宝します。
この日の朝食は前日に購入しておいたロールパン、チーズとこのシチューにします。
これも近所のスーパーの売れ残り品のワゴンセールで安く購入したものですので、期待しなかったのですが、なかなかどうしてこの手のレトルト食品としては、十分イケル風味でした。
これはそのまま食べても良いですが、鍋に移してこれをベースに野菜やベーコン入れて、牛乳、バター、チーズなどを加えて、パスタなどを煮込めば、クリームスープパスタに成ったり、余ったご飯を使えばリゾットなどにもつかえてると思います。
こんな美味しくてリーズナブルな商品が、何故売れ残りでワゴンセールで出されていたのでしょうか?
思うに、店名は控えますが自分の住居の近くの某スーパーは、顧客や店員さえも異様に平均年齢が高く(苦笑)お世辞にも所得が高いとは言えない層の顧客が多く、このような商品は彼らの趣向や食生活に合わないのでしょうね。
いや、自分もそのお仲間なので、悪く言っているわけでは無いのですよ(笑)
因みにこのスーパーの近隣に、他県からも車でワザワザ食べにくる有名な餃子店がありますが、自分ここの餃子が「美味しい」と思ったことは子供の頃から一度も無く、人気が有るのは「安上がり」だからだと思っていました。
朝食の用意が出来た所で、陽が上がってきました。
パンを頬張り、シチューをすすりながら見る、水平線から上がってくる朝日はまた格別です!
このあと、車内の装備品の整理やごみの分別などをしますが、車内が汚い、色々なモノがゴチャゴチャした状態のままでは、装備品が見つからなかったり、次の車中泊の時に準備に時間が掛かったりするので、こういう整理に手間を惜しまない事は、快適な旅行を行うには欠かせない事です。
さて、お目当ての菜の花が咲きそろう場所は何処にあるのでしょうか?
という事で、鴨川市にある「菜な畑ロード」に来てみました。
2月末のこの時期で見事に咲きそろっているのは、流石南房総です。
最近こういった観光目的の整理された花畑が多いですが、里山の土手に自然に咲き揃うような風景の方が個人的には好ましいですね。
そういった風景を探して・・・・はまたの機会にして、翌日別の予定が有るので今回は早めに自宅に撤収することにしました。
さて、今回2泊3日の車中泊だけでの旅でしたが、元々途中でホテル泊を入れて体を休めながら連泊しようと思っていましたが、車中泊だけでも思ったより疲労感が無く快適な旅に成りました。
現在の装備での車中泊のルーティンが確立しつつあり、これで自信をもって連泊での長距離移動をこなすことが出来そうです。
まあ、愚かな政策が継続されて、お上の顔色をうかがう事しかできない連中が、移動の制限やイベントを自粛し続ける愚行が続いてしまうと、予定が大幅に狂ってくるのです。
ですが、豊かな自然や風景等は、そんなちんけな人間の悪あがき等そよ吹く風とばかりに、感動と脅威を与えてくれます。
そんな豊かな自然を、畏敬の念をもちつつ愛でる旅を、今後考えて行く事に成りそうですね。
河津桜を愛でる旅、折り畳み自転車のパーク&ライドで楽しむ [旅行]
さて河津桜を愛でる旅も当日のお話になります。
この記事が出る頃は満開で現地も大渋滞に成っているようで、あまり悠長に構えていると旬を外してしまいますので急いでまとめます。
朝食を取った尾崎ウィングから河津町に入る手前での海岸線に広場があるのでそこに車を止めて、此処から自転車で町内に入ります。
MiNiはこの姿に成ってからは初めてのパーク&ライドですが、各種コンポーネントを規格外の組み合わせで構成したバイクにしては、空気圧調整と注油だけの軽整備で問題なく快適に走ってくれます。
早速河津桜を見に行きます。
路面に矢印が有りますが、これはよくある自転車通行帯の指示ではなく、津波の避難誘導の物でした。
伊豆半島の場合東南海地震の他に、半島その物が火山活動で形作られており、伊豆諸島を含めた沿岸の地震活動や海底火山の活動も活発なところですから、防災活動は「自然災害が少ない所だから大丈夫」などと、のほほんとした栃木県とは真剣身が違います。
まして、観光客のような「一見さん」が多い場合土地勘が無い以上、だれが見ても一目でわかる表示は重要です。
河津桜は、街の中心を流れる「河津川」沿いが中心で見物できるポイントのようです。
ここは海に繋がる河口からの風景です。
早咲きの河津桜ですが、お馴染みのソメイヨシノに比べると桜色がやや強いか弁が特徴ですね。
来る前にサイトで情報を調べた時は、時期的には満開近いはずでしたが、実際は大体5分咲きという所でした。
自分が到着したときは、まだ8:30頃と時間が早かったので、お祭り会場の屋台とかはまだ開店していなかったので、川沿いに上流にノンビリ移動します。
しかし、混雑で有名な観光地ですが、平日でしかも早朝、見ごろでないとあれば、ガラガラで快適です。
この辺りは勤め人の時は望めなかったご褒美ですね。
この日は天気も良く、5分咲きとはいえ奇麗に青空に映えていますね。
伊豆急行の路線沿いに近づくと、土手沿いに菜の花が咲きそろっていました。
今年初の菜の花です。
河川沿いに上っていくと「川津来宮神社」の立て看板が有ったので、ご挨拶に行きます。
この神社は推定樹齢1000年のご神木で、国の天然記念物指定の「川津大楠」が有名なのだそうです。
まあ色々な御託はともかく、確かにこの老巨木の下にいると、すがすがしい生気が足元から湧き上がってくる感じはしますね。
この後今度は河津川沿いから踊り子花街道沿いに上っていくと、奇麗に咲いている桜の木がありました。
これは「河津桜の原木」だそうで、自生しているこの桜を庭に植えて育てたのがこの家のお亡くなりに成ったご主人なのだそうです。
後ほど調べたら、河津桜は新種の桜だった事が分かったそうです。それを地域で大切に育成して広めた事で、この地は有名な観光地に成ったのですね。
まあ、観光地化すると「騒がしい」が故の弊害もあり、それが無ければのんびりとした田舎の風情が味わいのある地域としてひっそりとしていた事でしょう。
さて、何時もの自分の旅のように、タイムスケジュールが締め切り前の漫画家のようにタイトではないので(笑)、目についたところをふらふらと散策していきます。
と、看板に「涅槃堂」とありますので、右手の山を上がってみます。
結構な勾配の坂で、この画像の個所は勾配が15%以上ありそうな急こう配で、デブな自分の場合ロードバイクでも躊躇してしまいますが、MiNiはフロントをダブルギアにした効果がてきめんで、インナーに落とせば、そもそも小径車でロードよりかなり軽いギア比に成りますので、立ち漕ぎで気張らなくともシッティングで普通に上っていくことが出来ました。
しかし、上流に上っていく方が、咲き方が進んでいますがなんででしょうかね?(笑)
予定では先日見た河津ループ橋まで上がろうかなとも思いましたが、疲れたので(笑)、対岸に渡って海岸に向かって下っていきます。
川沿いの道は一応自転車通行可ですが、これが混雑していたら危険なので押して歩く以前に此処まで乗り入れることはしなかったと思います。
まあ、これだけ人がいなければ良いですよね?
しかし、MiNiはこれだけ走ってくれれば、もう少し遠い場所に止めてある程度の勾配のあるルートを走ってイベント会場に行くというようなミッションも、十分こなすことが出来ますね。
おっ、何と梅が咲いていて桜と梅の花の紅白コラボが実現しています。早咲き桜のなせる業ですね。
河川沿いに下っていくと、上記が立ち上っているところが目につきましたので、今度は下佐ケ野谷線を下っていくと、「峰温泉大噴湯公園」ありましたので寄ってみます。
自分は入り口を間違えたようで、南側にある「玉峯館」という、旅館の方から入っていたようです。
広場には大きなやぐらがあり、此処から決まった時間に温泉を噴出させているようです。
要するに管理されていて、自然に湧き出る「間欠泉」では有りません。
待っている間に食べようと、名物のゆで卵を買います。
勝手に「大涌谷」の黒卵を連想していましたが、普通の卵でした。
別にお腹はすいていなかったのですが、こう言う所はこの手の商品でお金を現地に落としていくのが仁義と言う物です!(笑)
見学場所は逆光に成るので、反対側に移動して噴出を待ちます。
これは完全に「観光ショー」化しているので、キチンとアナウンスがあり、時間ちょうどに始まりました。
こちら側から見ていると、湯気に虹が出るという事で待ち構えていたら下の方に出ていました。
これで一回りした感じで、まあ細かく見て歩けば他にも見どころは有りますが、今回はこれまでという事で、お昼は先ほど買ったゆで卵を食べて、河津を後にして、今度は海岸線沿いに横須賀方面を目指すことにしました。
丸一日見学して温泉ゆったり浸かってから帰宅しても良かったのですが、先ほど見た「菜の花」に触発されて、折角だから、横須賀からフェリーに乗って房総半島に渡って、菜の花を見ることにしました。
しかし、このアバウトな計画変更が仇となりました
結局ルートを詳細に検討しなかった事で、伊豆半島の付け根の真鶴付近で国道135号線がてこでも動かなくなり。結局小田原市内に入るのに2時間以上余計に時間を食ってしまいました。
原因の一つはこれです。
本当なら観光の車は「西湖バイパス」や「小田厚道路」に抜けていくのですが、工事による通行止めで、すべて小田原市内に集中してしまい、また135号線と1号線の交差点で完全に詰まってしまっているので、もう完全に逃げ場が有りませんでした。
正直此処でぐったりしてしまい、此処から江の島までは順調でしたが、鎌倉から横須賀までは当然のように混雑していますから、どうも夕方のフェリーで房総半島に渡ると、そこでお風呂などに入るなど、車中泊の準備に余裕がなくなってしまうので、まずお風呂を優先させて横須賀で日帰り温泉を探して、此処に行きました。横須賀市街地から観音崎に方面行く海岸線沿いにある「横須賀温泉 湯楽の里」という日帰り温泉です。
これはよくある日帰り健康温泉の施設で、あまり期待していなかったのですが、期待は良い方に大きく裏切られて、何と個々の露天風呂から東京湾が一望できるという、最高のロケーションの天然温泉で、食堂のレベルも高く、これは大当たりでした!
で、この後観音崎辺りで駐車場を探して車中泊しようかとも思いましたが、夜間閉鎖や有料の所ばかりで、翌日の事を考えると、房総半島にはわたっておいた方が良いだろうと、結局東京アクアラインを使って房総半島に向かいました。
時間もさることながらフェリーよりその方が高速料金の方が安かったこともあります。
と今回は此処まで!