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2023りんりんロードお花見ライド、本当に久しぶりのセンチュリーライド [雑談]

まあ、毎年恒例の「りんりんロードお花見ライド」なんで2023と付けましたが、以前なら毎週ホイホイ走っていたんですよねぇ(泣)

昨年7月ごろから事実上自転車生活が休業となり、今年から何とかボチボチ走り出しましたが、約半年のギャップと加齢が加わり、100㎞前後を走るのがやっとという感じで、「オーバーセンチュリーライド」はご無沙汰しておりました。


ま、出来ない、しない言い訳ならなんとでも付きますが(苦笑)、亡母の納骨も終わり暖かくなってきたので、ここは男らしく言い訳などせず、ロングライドを実行して玉砕してみることにしました。


4月1日のエイプリルフールの日に出かけましたが、これは何かの嘘か間違いかというほど、この時期にしては気温が高い日が続いていましたね。
とはいえ晴天で放射冷却で肌寒いなか、本当に久しぶりに日の出前の4:30頃自宅を出発してナイトライドから始めました。
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とはいえ、お彼岸を過ぎていますから、だいぶ陽が長くなってきました。
しかし、流石に夜明け前はまだ寒く、鬼怒川自転車道を南下していくと、行く先に霊気・・・じゃない冷気が立ち込めてきて川霧が流れ込んできました。
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この場所はこの手の状態だと間違いなく川霧が発生して溜まっていきます。
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場所によっては雲海のようにも見えて、結構幻想的です。
 
そこに熟柿のような真っ赤な朝日が昇ってきました。
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日が昇れば徐々に気温は上がってきますが、まだこの時点では5℃程度です。
此処で何時も筑波山が見えるポイントなんですが、「春霞」で見えません。
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本日は久しぶりのロングライドという事で、以前で言えばイベント出場並みの事前準備をしました。
準備は装備では無く、主に体の方の準備で、健康管理、睡眠時間、カーボローディング等をしっかりしておくことが肝心で、耳タコですがライドの成否は8割は事前準備で決まります。
さて無事に何時もの岩瀬駅に到着です。
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桜は満開の峠を越えた感じで、散り始めた風花びらが舞っていい感じです。
しかし、鬼怒川を走っていても感じましたが、草や木々の芽吹きが、明らかにこの季節としては早すぎるようです。
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そういえば宇都宮の桜の満開時期が、例年より2週間早いと聞きましたが、確かにそんな感じですね。
まあ、20年近くも同じところを飽きもせず(苦笑)、春夏秋冬走っているので判る事も有るという事ですね。
まあ満開という事で、りんりんロードは所々「桜のトンネル」状態です。
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筑波さん休憩所に近づいてさてトイレでも・・・あれれ!
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なんと、改修工事で取り壊されていました。
水道も空気入れも撤去されてしばらくは使えないようでしたね。
いやいやこれからシーズンだというのにねぇ・・・・・
まあそれは良しとして、それにつけても人出が多いです。
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休憩所でのんびりとしてしまった事も有りますが、風向きが変わって東寄りの強い風が吹き出したため、筑波から土浦までは完全に向かい風です。
で、ヘロヘロに成ってしまったので、霞ケ浦まで行かず、コメダで補給です。
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最近外食もなく、ほぼ自炊で「ケチケチ生活」を楽しんでいますが(笑)、週に1回のコメダのモーニングが一番の贅沢に成っていますねぇ(苦笑)
帰路は基本筑波までは追い風で順調に走れますが、スタミナとかではなく足に負担が来ているようで、使い切った感じはないのですが、各関節や筋が軋んで悲鳴を上げ始めました。
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とはいえ、ここは長年の経験で、ペダリングやポジションを変える事で稼働する筋肉を使い分けられるので、エアーサロンパスなど使わずに、なんとか最後までは走れそうです。
この辺りは桜のトンネルが見事・・・はいいんですが、道を塞いで撮影モードのギャラリーがなんとも邪魔で危ないのは、まあ例年の事です。
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ここは綺麗に筑波山が一望できるポイントですが、いつの間にか「撮影ポイント」の看板がかかっていました。
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筑波山休憩所に戻ってきましたが、だんだん風が強くなってきました。
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ここは慌てずペースを落として桜を楽しみましょう(笑)
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まあ、明日の仕事とか、自宅に帰らなくてはという縛りが現在は一切ないわけで、ダメなら不時着して何処かで宿泊してしまうとか、自転車預けて電車で帰るという手もあり、「何がなんでも」という強迫観念なくライドを楽しめる立場なのですから、色々と試してみたいですね。
さて、時間を掛ければあとは「スキル」で走れることは再確認したわけですが、163㎞走って翌日の体の状態は、そんなに悪くなく脚の痛みも「想定内」の場所で、アフターケアで回復しているので、「再始動」の第一歩としては上々の結果だったと思います。

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やっとロードバイクらしいお出かけが出来た! [雑談]

3月11日といえば「東日本大震災」12年目の日で、各地で慰霊行事などが行われています。

そんな時にあんまり能天気に「あはは!やっぱりロードバイクって楽しい!」なんて記事を書くのも、あまりに空気読んでねぇぞ!・・・・・は、いったん置いておきましょう(苦笑)。


さて朝の最低気温5℃、日中は20℃で、風が終日弱いとくればこんなサイクリング日和はありません。

さっそく準備したてのLOOKで出かけました。

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いや、本当に良い天気です。
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これだけの気候であれば、防寒装備は無しで身軽な事この上なく、気温が上がると身体も解れていて空気も軽くなるので、自然とペースが上がってきて。身体の暖気が終わるころには25㎞/h~30㎞/hの速度レベルで巡航できます。
最近遅くなる一方の自分が言うのもなんですが(苦笑)、やはりロードバイクは25㎞/h以上の巡航速度で乗れる事に面白みがあるアイテムですよね。
さて鬼怒川自転車道も久びりに乗ると、路面にマーキングが施されて初めての人でも走れるようにとの整備が「一応」なされているようで、かといって路面そのものは未整備のところも多く、まあ限られた予算で最低限度の努力は試みているという所でしょう。
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残念ながら栃木県は行政のトップレベルで自転車の理解と情熱が乏しい県ですので、これ以上多くを望むことは出来ないのが現実でしょうから、見捨てられないだけありがたいと感じるべきなのでしょうかね?
何時ものコースで岩瀬駅に到着です。
いや、この見慣れた風景は和むなぁ(笑)
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毎年恒例の桜のつぼみの観察ですが、流石今月は異常高温傾向とあれば、開花まであと一歩1といった感じですね。
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りんりんロードはほぼ再舗装が完了していましたが、唯一残っていた真壁の区間の再舗装も終了していました。
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此方の県は行政のトップの自転車に対する理解と情熱が溢れているおかげか(苦笑)、りんりんロード関連の整備には潤沢な予算がつぎ込まれていて、隣県としてはうらやましい限りです。
もっとも、個人的には心情的には此方がホームコースで(笑)地元への執着が日増しに薄れていくのも事実なんですが・・・・
ほんと、筑波山をこのアングルで見ると心が落ち着きますね。
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筑波山界隈は梅が丁度見ごろであり、どの梅も満開で梅の花の甘酸っぱい香りが心地用です。
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ランチは真壁のサイクリングロード沿いの「焼きそばsat.TuZKu」さんで、大盛目玉焼きトッピングです。
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このお店は若いご夫婦のご家族で営業されていますが、小さなお嬢ちゃんも含めて(笑)皆さん朗らかで、何時も暖かい対応にこちらも心が温かくなりますね。
実は本日のツーリングは、本当に大勢のサイクリスタともお話をすることが出来て、先の小さいお嬢ちゃんから82歳のベテランサイクリスタまで、いやこんなに人と話したのは何か月ぶりだろうというくらい会話しました。
何というか「お独り様」生活もかれこれ4か月近くに成りますが、ある意味快適故に家の中に「引きこもり」、冗談でなく何日も誰とも話さなくとも生活できてしまうので、やはり出かけて色々な人と交流を持ち、自分に刺激を与えないといけないなと、改めて思いました。
いや、ようやく「どすこいライダー」らしい記事が書けるようになってきたことが嬉しいですね。
あとはグルメ物を探して紹介しなくちゃなぁ(苦笑)

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久々のバイクツーリング旅行で、桜咲く伊豆へ [オートバイ]

昨年の夏に、北海道へフェーリーを使ってのオートバイツーリングをしましたが、それ以後自分を取り巻く環境は激変してしまいました。

まあ、ようやく落ち着いて来ましたので、半年ぶりにオートバイでツーリング旅行に行きました。


この時期ですと、昨年自動車で車中泊旅行に行った伊豆に行けば、「河津桜」が満開で、しかもジオスポットの「大室山の山焼き」の行事にもかち合うという事で、行先は伊豆で決まりです。

一応自動車の車中泊も視野に入れて準備しておきましたが、天気は良さそうなので、バイクで25日土曜日の6:30頃自宅を出て、下道をのんびり走ります。

まあルート選定とかしていなかったので、国道4号線から122号線、環状八号、246号という主要道路を繋いで走っていたのですが、土曜日の午後という事をすっかり忘れていて(苦笑)、環状8号線から延々と渋滞の中をノロノロ進むことになりました。


秦野市をこえて、上りの山岳地帯に入ると黒雲が内陸部から流れてきて、御殿場に入るまで結構な雨に降られましたが、雨具を着なくともPCXはカウルやロングシールド、チンガードなどが効いているのか、思ったほど濡れないので、あとは雨が上がって走っている間に乾いてしまう程度で済みました。


さて、明日の予定は状況見て動こうと考えていたので、宿泊地は何処にでも動ける伊豆半島の中心部、伊豆の国市にある、「道の駅 伊豆のへそ」に併設されている、「HESO HOTEL」に宿泊しました。

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ま、特に目的がある訳でなく、場所で一番安いもので選んだだけだったのですが、じつはこのホテル、道の駅にこれまた併設されている、自転車観光の拠点としてメリダが運営している「MERIDA X BASE」の中で運営されているホテルでした。

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メリダのHPの解説によると「XCITING(EXCITING)」 「XCELLENT(EXCELLENT)」「XPERIENCE(EXPERIENCE)」

の3つのXをコンセプトにMERIDAの「楽しさ」を「最高」の環境で「体験」することができます。
ご購入前の検討だけでなく、様々なイベントやサイクリング途中の休憩施設や集合場所」

なのだそうで、最新のメリダバイクが取り揃えてあるという事で、今度はこれを目的にここに来ても良いかなと思いました。

以前なら最新のロードを・・・となっていたでしょうけど、周囲は山だらけの場所ですし、なにせ根性挫けているので(苦笑)今度此処で最新のEバイクをぜひ試してみたいと考えています。

面白い名前の「HESO HOTEL」の方ですが、素泊まりで3998円と、とてもリーズナブルで、施設もまだ新しいので快適に宿泊できました。

此処は、自転車抜きでも今後利用したいと思いましたが・・・・・確か今回自転車は一切絡まない旅のはずだったんですが、自分はどうも自転車の方から縁を切ってくれないようですね(苦笑)


さて本番の翌26日ですが、朝食を朝マックで済ませて、まず「大室山」へ向かいます。

実は、2週間前に天候不良で中止になっていたの自動車で来てしまっていて、その時にある程度のロケハン済ませて追いだので、バッチリ見えるポイントである地区の駐車場に目星を付けていました。

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「さくらの里」という所の駐車場ですが、自分が行ったときはまだガラガラで、まだ時間も早かったことから、此処から「河津桜」を見に行くことにします。
事前の情報では、満開という事で休日には周辺の道路が大渋滞と聞いていたのですが、9:00頃はまだ渋滞というほどの車列に成っておらず、40分ほどで現地に到着しました。
とはいえ駐車場周辺は混雑が始まり、ほとんど埋まっている状態でしたが、2輪専用駐車場はまだガラガラでした。
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やはりこういう有名観光地の場合、自家用車で直接乗り込むのは渋滞を増長させて自分が嫌な思いをする以上に、地元に迷惑をかけてしまうものだと思いますねぇ。
地元の人に聞くと、手前の駅に車を置いて「伊豆急行」で来るのが一番良いとのことです。
自分の場合は、昨年手前に車を置いて、折り畳み自転車で平日に来ましたが、広範囲に見て回れるメリットもあり、次回はまたその手で来ようと思います。
さて駐車場から会場の河沿いに向かって歩き出しますが、既に菜の花も満開状態で黄色いジュウタンに成っています。
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桜も期待通りに満開です。
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今年は規制なしの通常開催という事ですが、自分は特に気にしていませんでしたので、出店とかがたくさん出してくれるのなら大歓迎です。
此処から海の方に歩いて行きます。
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この日は本当に快晴で気持ちが良い観光日和です。
今度は海から上流に向かいます。
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この辺りだと柑橘類も豊富に実っていますね。
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河津小学校の校庭に桜という構図です。
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まだ10:00頃ですが、この時間帯なら混雑もさほどではないです。
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さてここでランチも済ませてしまおうという事で、色々屋台を物色しましたが、伊豆に来たならやはり海鮮物は外せないという事で、サバの干物、みりん星が目に留まり、その場で七輪で焙ってくれるというので注文しました。
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正直魚が苦手な自分ですが、自分の歳の栃木県在住の人間には結構多いんですよね。
なにせ当時内陸部の栃木県は、冷凍技術低かったこともあり、何度か冷凍と解凍を繰り返して生臭いモノと相場が決まっていて「魚嫌い」になるんです。
自分の場合30代半ばまで「生魚が食べられない」人間でしたが、日本中旅をすることで「本当に新鮮で美味しい海産物」に触れる事で、何とか食べられるようになったくらいです。
しかし、その魚嫌いが、皮付のまま骨も残さずペロリと平らげてしまうくらい、本当に美味しい干物でした。
これはビール・・・というより白いご飯が欲しかったです(笑)
此方は桜のエキスが入ったソーダ水で、酸味が効いて美味しかったです。
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更に進むと数種類の柑橘類を販売している露店で、それを絞った生ジュースを販売していました。
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生絞りのフレッシュジュースで、さっぱりしました。
11:00を回ったころで、渋滞も本格的に成ってきて、駐車場待ちの大渋滞に成っていました。
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自分の場合、自転車やオートバイのアクセスが当たり前に成って、自動車での渋滞は本当に勘弁してほしくなりましたねぇ。
 
とはいえオートバイも大集合状態です。
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ぱっと見で、随分高級なバイクがずらっと並んでいるように見えます。
なんだかブーム時のロードバイクの車列を見ているような感じですね。
さて肝心な大室山の山焼きですが、12時から麓の方から始まるという事で、急いでそちらに向かいます。
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ちょうどロープウェイの反対側に来た辺りで煙が見え始めました。
当初の場所で見ようと移動しました。
ただ地元の方に「火の回りは早いからあっという間だよ」と聞いたのですが、ほんとうに、あれよあれよという間に火勢が広がっていきます。
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さくらの里駐車場に着いた時には「真っ黒こげ」でしたね(笑)
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今回初めての見学で、要領が分からなかったのですが、次回は一か所に腰を据えてじっくり見た方が良さそうだと思いました。
写真というより、タイムライン撮影みたいな方が面白いかもしれません。
さて13:00頃には終わってしまいましたので、あとはノンビリとしたかったので、まず近場の温泉を探しました。
この日は本当に見晴らしがよい日で、大島がクッキリ見えます。
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で、せっかくだから海が見える露天風呂に入りたいという事で、検索をかけたところ、大川温泉磯の湯という露天温泉があったので、そこに向かいますが地図上にある場所に見つかりません。
何度か通り過ぎて横を見ると、あっ!あの道路下の建物か?という事で、道路反対側に降りて道路下の駐車場にバイクを止めます。
で、この先に本当にあるの?
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なんか、雰囲気怪しいですよねぇ(笑)
道路の下を潜り抜けて海岸線沿いに出ると小さな船着き場があります。
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その先の汚い小屋(失礼!)がどうもそのようです。
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脱衣所があるだけの簡素な露天風呂ですが、自分はこういう野趣あふれた趣のある温泉の方が好きですね。
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他にお客さんがいないのと、ロッカーが無く(苦笑)湯船の横に荷物を持参していたので、一般的に本当はダメなのですが、湯船を撮影しました。
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かなり熱い源泉で、泉質も良く気持ちの良いお風呂で、時間も時間だったのか余り混むこともなく、何組かのお客さんと歓談しながら2時間程ノンビリ浸かっていました。
この後少し早いですが、この日に宿泊する熱川のホテルにチェックインしました。
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熱川の温泉街を抜けて海岸線沿いにあるホテルですが、部屋から海がバッチリ見える「全室オーシャンビュー」というロケーションで、これだけで十分価値がありますね。
夕方になると夕日に照らされた大島が綺麗です。
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翌朝は露天風呂から綺麗な朝日を拝もうと5時ごろ起床しましたが、既に水平線は朱に染まっていました。
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日の出です。
これは自分の部屋から撮影しました。
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こんな風景を見ながら露天風呂で朝風呂が出来るなんて!
ああっ贅沢三昧ですな(笑)
この後朝食を食べて8:30頃ホテルを出発します。
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さて、このホテル、眺望もよく設備も古いながらそこそこで、朝食も美味しく、値段もまあまあだったんですが、おそらく経営主体が海外資本の運営グループとかに買われて再生されたホテルだと思うんですが、従来のイメージからすると、驚くほど従業員の姿がホテル内に居ません。
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ホントに少人数で、表に出ている人間はすべて外国人従業員なのは珍しくなく、従業員のレベルも決して低くはないのですが、一人でかなりの業務量を重複してこなしているようで、これでは「サービス」の部分での「おもてなし」というモノはほとんど期待できません。
まあ、今のご時世ですからそういった付加価値のあるサービス受けたければそれなりの料金を払うべきなのでしょうし、海外のホテルなどを見ても従業員は海外の労働者を使っているなど当たり前なので、この点に文句はありませんが、チェックインは細かいニュアンスが通じない故か、やたらに時間がかかつてしまい、オマケにチェックアウト時は、朝食の給仕でフロントが居ないので出来ない始末で、明らかに従業員の数が少なすぎたようです。
さて、ホテルを出て帰路につきますが、まあ主要道路を繋いで最短距離で帰るのが一番楽なのですが、せっかくこれだけ天気が良いのですから、景観を楽しみながらツーリングしたくなるのが人情というモノでしょう(苦笑)
という事で、海岸線では無く「伊豆スカイライン」で、半島の尾根沿いに芦ノ湖を目指すルートを取ります。
途中まではまるで茨城県の田舎の広域農道の様な感じですが、途中から富士山がくっきり見えてきました。
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此方は巣雲山展望台からの富士山です。
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自分たちのように北関東の人間にとって、南側から見える富士山は見慣れない山容で新鮮ではあります。
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伊豆スカイラインを抜けて芦ノ湖に出たときに、1号線で帰るか、御殿場から246、もしくは山中湖まで行って道志道で帰るかの選択に成りますが、せっかくだから山中湖まで行こうと御殿場に向かいます。
御殿場付近からまじかの富士山です。
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ここから山中湖に向かおうとしますが、一昨日自分が降られた雨はこの辺りだと雪になっていたようで、路面も日陰は凍結していたので、危険と判断して引き返して246号で帰ることにします。
芦ノ湖から御殿場に降りる道も、所々凍結していましたので、本当に恐る恐る走っていたので周囲からは「下手糞なライダーだな」とののしられていたかもしれませんが、路肩に雪が積もり、融雪剤が撒いてある道路で、車体を傾けて速度を出して走る「蛮勇」は、自分は持ち合わせておりません(苦笑)
ルート選択もそうですが、人から「臆病者」と罵られるぐらいが丁度良く、死にたくなければ臆病者に成るのが一番です。
ま、若いころはまだ勇気が残っていたので(苦笑)、何度も死にそうになったという「反省」の上の発言ではありますがね!
この後は撮影もなく、粛々と帰路を走っているだけです。
厚木の手前で若干渋滞に会って迂回したほかは、主要道路を北上して、19:30には自宅に無事到着しました。
往路は245㎞、帰路は320㎞、途中250㎞程走り回り、今回のツーリング旅行のミッションコンプリートです。
燃費は往路は48.5㎞/リットルで、復路は53.5㎞/リットルと、渋滞や山道ばかりでも相変わらず高燃費なのが、お財布にとってもやさしいですね。
しかし、原付二種125㏄のスクーターで走る距離やルートでは無かったかもしれませんが(苦笑)、このバイク不思議と疲労感が少なく快適に長時間走れる特性のようで、自分の使い方に最適のバイクのようです。
ただし勾配が10%近くに成ると、50㎞/h以上で出なくなり、「モアパワー」と思うのですが、これは自分がバイクでも「どすこいライダー」で「重量超過」からだと思いますので、たとえエンジン付きに乗ろうとも、減量からは逃れられないという事のようですね(苦笑)

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絶品チャーハンを求めてポタリング [雑談]

2月も末に成ると、ボチボチ梅の花の匂いが薫ってくる頃ですが、けして暖かくは無いですよねぇ。

運動不足にならないように、出来るだけ出かけたいのですが、今日のように朝から曇りだと気温が上がらず、ついコーヒーすすりながらチョコレートつまんで、のんびりアニメでも見たくなります。

もうダメ人間一直線ですな(苦笑)


で、こういう時は何時ものコースだと気が乗ってこないので、なにか「ご褒美」を用意して、怠け心に鞭打って出かけるに限ります。

何かないかとGoolMapを見ていたところ、宇都宮市の南に隣接している下野市・・・いやいやこの「下野市」は悪名高き「平成の大合併」で出来た地名で、かな広範囲の市町村を飲み込んでしまった結果、「下野市」では、いったいどの辺りなのか地元の人間でも判りません。


で、旧名の「石橋町」で、地元の人間が「東京街道」と呼んでいる旧4号線を南下して、石橋警察署の北側に、「チャーハン専門店こう米」というお店を見つけたので、さっそく出かける事にしました。


自宅のある宇都宮市の東部からだと、目の前を通る国道4号線を真っすぐと20㎞ほど走ればついてしまいますが、それではトレーニングにならないので、田舎道をつなげて、「田川自転車道」を南下して石橋を目指します。


田川自転車道は、整備状態がよろしくなく正直サイクリスタには不人気の自転車道ですが、近所のポタリング程度のライドなら、一般道と違って車に気を使わない分お気楽に走れます。

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栃木県には何本か河川沿いにサイクリングロードがありますが、だいたい「こんな感じ」の整備状況で、「まあ走れなくはないかな?」なら良い方で、舗装が荒れていたり、道が途切れていたりと、県の行政はサイクリング環境にほとんど関心を示しません。
また田川のサイクリングロードが途切れてしまっていたのは、2019年10月12日に関東地方を襲った台風19号で所々越水したり、護岸が削れてしまったりと大きな被害があり、その復旧工事が続いているからです。
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この台風19号は静岡から東北にかけて大きな被害を出した台風で、この田川も
宇都宮の中心地で、1947年の「カスリーン台風」で氾濫して以来の越水反乱があり、この台風を基準に行われていた治水を見直す必要に迫られました。
あっ、硬い話はこのくらいにして、目的のチャーハンですね。
お店には10:30頃到着してしまい、11:00オープンなので近所をぐるぐる回って10:50に再訪したら、既に何人か並んでいる状態でした。
いろいろなチャーハンやサイドメニューもありましたが、まず一番基本の「こう米チャーハン」を単品で注文しました。
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本当はサイドメニューの「から揚げ」なんかも魅力的だったんですが、なにせ拙者は修行中(ダイエット中)の身故、ここは我慢です(笑)
チャーハンそのものは、米粒がホロホロとしつつ、火加減が絶妙でフワフワ感もあり、正直どのような調味料を使ったのかわからない深みのある味わいは、間違っても家庭で出来るようなシロモノではなく、「チャーハン専門店」の看板には偽りはありません。
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なんでもこのお店は2年ほど前に開店したそうですが、並んでいた常連さんのお話では、最近になって急に有名店になって混雑し始めたそうです。
とにかくわざわざ来ただけの事はあり大満足でした。
さてこのまま真っすぐ帰ってもつまらないので色々と寄り道をします。
実は下野市は関東地方の中でも古い歴史が重なっている地域で、国指定の史跡「下野薬師寺跡」や古墳群などが多くあり、先の田川の西側に南北に延びる河岸段丘沿いに幾つもの古墳もあります。
これはそのうちの一つ神主台地にある「後志部古墳群」です。
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ちゃんとした前方後円墳があります。
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実のところ自分はあまりこういった物に興味がない方でしたが、何も有名な場所に見学に行かなくとも、結構身近に史跡があることを知っていますので、こういう場所に興味を持てば、ポタリングするのも面白いと思っています。
まあ興味が無いのは自分だけでなく「文化不毛県」と揶揄される栃木県だけあって、こういう物の扱いは「ぞんざい」で、案内看板もなく畑や山に突然現れるという感じのものが少なくありません。
まあ、かつての行政の執行者は、道路や工業団地を造るのは熱心ですが、こういった史跡の保存や地域振興の為の文化活動、またサイクリングロードの件もそうなんですが、サイクリング文化の醸成なんかも興味はないようです。
もう一つの古墳は「浅間神社」という神社に成っています。
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神社そのものは大正15年に建立されたようです。
この石碑は紀元2600年・・・・と言っても若い日人は判らないでしょうけど「ゼロ戦」が正式配備された昭和15年の事で、おそらく当時の皇族が参拝した記念碑と言いう意味なんだと思います。
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この付近は古墳群だけでなく、国指定遺跡「上神主・茂原官衙遺跡」で、7世紀当時の行政の中心地としての役所跡や倉庫群があったようです。
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何というか、普段暮らしているとまず関心を持たない事ではあるんですよね。
自分は「産業遺産」とか「治水の歴史」みたいなものは興味あるんですが。
さて、多少寄り道しながら、北に向かえば自宅方向ですが、アバウトに東に向かえば鬼怒川にぶつかるので、あとは鬼怒川自転車道を北上して帰るルートを取ります。
途中疲れたのでコンビニで休憩です。
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こういうポタリングには、ロードバイクよりスタンド付きのクロスバイクの方が気楽に走れますね。
このコンビニは自分が通っていた高校の南の方にあり、高校時代はこの時期はランニングでこの辺りも走ったのですが、北関東自動車道が通ったり、インターパークというショッピングモールが出来たりと、流石に40年も経っているので随分変わっていますね。
田舎道をのんびり走って、鬼怒川にぶつかりましたので、あとは北上するだけです。
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まあ今日は風が無かったので走り易かったですが、やはりこの寒さだと100㎞超えのロングライドはチョットしり込みしちゃいますね。
そんなことを言うような人間では無かったはずですが(苦笑)、加齢と半年のブランクですっかり気弱に成っていますので、こうやって出かけるだけマシという事で勘弁してください。
と言いつつ、ブログの方も何となく調子を取り戻しつつありますので、自転車ネタ見つけて新しい記事をアップしていきますね。

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今年は真壁のひな祭りが再開 [雑談]

2月に成り、節分を過ぎて旧暦でも年が代わったわけですが、母の49日も過ぎて、自分もようやく色々と動けるようになりました。

世の中もコロナ禍から元の生活を取り戻す方向で動いていますので、タイミング的にはここ数年できなかったことが、暖かくなった頃から動き出せますね。


自転車の方もロードバイクも乗り出して、介護太りの解消も蟻の歩みのようにジリジリと進んでいます。

一応目標は5月連休頃に、ある程度「実戦」がこなせる程度に回復させる事で、ここは焦らずコツコツ走り続けるしかありません。


勤めていた以前なら、土日に無理をしても走らなければなりませんでしたが、なにせ時間だけは使い放題の「遊び人」の身分ですので(苦笑)、極力気象条件が良い時を選んで走り出すようにしています。

そうすると、結構平日に成ることが多いようで、今年も休日に天候が崩れるパターンが多いようですね。


そういえばこの時期は自分のホームコースの「つくばりんりんロード」沿いの、桜川市の旧真壁町の市街地で「ひな祭り」が行われているシーズンです。

例年何時ものツーリングの途中で「ランチ」を取るついでに寄っていた感じですが、今年は3年ぶりの開催という事で、19日の日曜日にこれを目当てにバイクで行って見る事にしました。

日曜日にしたのは、平日だと屋台などの出店が閉まっているからで、バイクにしたのは、暖かいものの前線が通過して午後から天気が悪くなるからです。


さて、ある程度暖かくなってから自宅を出て真壁を目指しますが、何時もの通り自転車のツーリングルートを走るのでは面白くないので、方向だけ決めてあとは風任せで走ったことのない道を選んでバイクの感触を楽しみます。


この日は異常に暖かい日で、とても2月とは思えない風景に成っています。

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とはいえ、勝手知ったる他人の県の地理で(苦笑)、ツーリングやイベントで散々走り回った地域ですので、適当に道を繋いで走ると直ぐに見知った街道に出て、あっという間に真壁に到着です。

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ある程度の混雑も予想して、繁華街を避けて裏道から会場駐車場を目指しましたが、10:30ごろは駐車場もガラガラでした。


街に出ましたが、こちらもちょっと寂しい感じです。

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開催決定が遅れて、出店を見合わせた方も多かったと聞きました。
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なんと「三菱デボネア」で、ナンバー付の実動車のようです。
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こちらは夏祭りとかで使われる山車ですね。
この後お囃子の実演もやっていました。
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此方の祭りも今年は開催されるでしょう。
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これは昔の郵便局の建物ですね。
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真壁はこういった古い町並みが特徴です。
えど時代からの町並みが残っていて、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
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肝心のひな祭りですが、この町がかつて栄えていた頃に飾られてたであろう、時代を感じるひな人形が、各民家で展示されています。
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申し訳ないのですが、自分は正直「お人形さん」は興味が無いのですが、人形ごとにそれぞれ特徴があることは判ります。
人形師の方の技量や時代背景などが表れているのだと思います。
 
おっコペン!て、自分はどうしてもこちらに眼が行きますね。
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昔の商店は、車を家の中に車を入れていたんですよね。
こんなことが出来るのは、昔の自動車が本当にコンパクトだったからですが、自動車が生活の道具で、本当に日常の生活と密着していた頃に、高価な道具を大切にしている習慣があったという事は、今の人にも知って欲しいですよね。
これは、酒屋さんの奥にあった冷蔵庫で、一般的な冷媒を使った冷蔵庫では無く、地下水を循環させて温度を下げるものだそうで、昔はビールが木の樽で配達されていた時代のモノで、特に夏場など冷蔵庫が無いと直ぐに風味が落ちるので保冷施設が無い酒店には配達してくれない時代があったので、設置したそうです。
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これを作ったメーカーさんは、まだ現存しているそうです。
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これも機械ですね(苦笑)
此処の方はたくさんの古いバイクを所蔵していて「ホンダドリーム」とかも展示していましたが、この「モトコンポ」は実動車で、実際エンジンをかけてくれました。
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この方はこのほかに5台所有されていたそうですが、ほとんど譲ってしまったそうです。
ただ、近所の方に譲ったら転売してしまった事に激怒してしまい、本当に大切にしてくれる人に渡したいとのことです。
年配者でいろいろとコレクションしている人の「あるある」ですが、本人はある意味人生をかけて収集した貴重なコレクションであっても、家人・・・特に奥さんにとっては「邪魔なゴミ」というケースは少なくなく、廃棄物扱いでぞんざいに扱われて売り払われてしまうんですね。
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こちらは、オーナーの所蔵のイタリアンバイクですが、現在不動車で、その上3年前の水害で水没してしまったそうです。

これも車やバイクのレストア「あるある」話で、なんでもショップに依頼して預けたら、何時に成っても連絡が無く放置されていたそうです。
海外のレストア番組「カーSOS」や「クラッシックカーディーラーズ」などでは「悪徳業者にインチキ修理されて」や「貴重な部品をはぎ取られて放置」や「修理代金持ち逃げされた」なんて話は良く出る話なんですが、機械のレストアはマニュアル通りに出来るものでなく、非常に手間がかかるものですので「相場」も存在せず、これは良心的なショップや職人に巡り合えるかどうかという「人脈」が結構重要な要素になるものだと思います。
こちらもひな人形には何の関係もないのですが、鉄道のジオラマを展示していて、これは真壁にかつて走っていた。関東鉄道筑波線・・・・いまは「つくばりんりんロード」の在りし日の姿をジオラマで表現したものだそうです。
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さて、お祭りにつきものの「B級グルメ」を期待していたのですが、どうもあまり出店されていないようで、確かにイベントとしての本番は3月4日土曜日のフィナーレ日が一番盛り上がるとは思います。

そんな中路地裏でいい匂いがしたので立ち寄ってみたら、豆腐屋さんが揚げたてのガンモドキを販売していました。

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自分が行ったらちょうど売り切れで、残念!・・・と思えますが、直ぐに追加分を揚げますとのことで、しばらく休憩しながら待って、火傷するほど熱々の揚げたてガンモドキを食べることが出来ました。

正直、揚げたてのガンモドキがこれほど美味しいとは思いませんでした!


実は今回程じっくり見られたのは初めてで、色々な方とお話しする事も出来ましたので、自分としては結構楽しめました。

ただ、往年のお祭りの規模を知っているだけに、随分寂しくなったなというのが正直な感想でした。


それはコロナ禍で3年過ぎてしまった事が、経済的な問題だけでなく人々の心に大きな傷を残しているからだとも感じました。

やはり横のつながりが途絶されることで、孤立して心をすり減らしてしまった方々がけして少なくなく、特に高齢者の方々は、コロナ禍が過ぎて「よし!もう一度頑張ろう」という気概が途切れて、「諦めてしまった」という話を所々で耳に入ってきました。


この真壁町の様子を見ても、お祭りなどの実行委員会など自分より高齢な方々がほとんどで、若い人の姿が目立たない事からも、町興しをしようとしても、住民達の高齢化や人口減少などで、もうその力が無くなってきたところに、コロナ禍がとどめを刺した・・・・なんて地方も少なくないのではないでしょうか?


なんかお祭りを楽しみに行ったはずなんですが、どうもそういう所に眼が言ってしまうのが、なんとももどかしい所ですね。


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こんな時代だからバイクもドライブレコーダーを [オートバイ]

いやはや、これは歳のせいだけでなく、半年も遠ざかっていた影響でブログの書き方を忘れてしまったようです。

以前はどうやってまとめてたのでしょうか?


さて、自分が遠ざかっていただけでなく、最近ブログ文化自体が衰退していて、一時の勢いがないのは判っていました。

自分もツイッター等に慣れてしまうと、正直一つの記事を作るのが物凄く面倒に成ってしまいました。

その時の言いたいことを140字程度で呟けたり、写真や動画主体でインスタグラムやフェースブックの方がはるかに楽ですし、請求力も遥かにあることは間違いのない「現実」なのだと思います。


でも、自分がブログにこだわりたいのは、この「面倒くささ」であって、手間がかかるからこそ作り込む面白さがあると思っています。

そもそ自分の文書作成能力を鍛える為という目的もありましたしね。


ただ、以前ほどの情熱は既に存在していないので(苦笑)、以前よりタップリ時間は取れるはずなのに、気が向いた時に作業をするのが前提となるので、更新の間隔は長くなると思います。

これも義務感でなく自然体で臨んで行きたいですね。


さて何時も通りクドイ前置きで恐縮(懐かしいフレーズだなぁ)ですが、ここからが本題で、今回は愛車の原付2種のスクーター「PCX」に、ドライブレコーダーを付けてみましたという話です。

とにかく「不幸な時代」に成ったものだと情けない限りですが、交通事故も映像の証拠を残しておかなければ、平気で嘘ついて逃げ延びようという輩が珍しくないうえに、2輪の場合は路上では「交通弱者」であり、平気で煽られたり当て逃げされてしまう事が珍しくなく、自爆で命を失う事に加えて理不尽に撃墜されて死んでしまっては、これこそ死んでも死に切れません!


まあこれは自転車の場合も同じと言えて、ロードバイクへのドライブレコーダーも真剣に検討していて、両方で使えるヘルメットマウント式を真剣に検討していたのですが、なにせ自分の場合「日が昇ってから沈むまで」走ってしまうロングライダーであって、収録時間が問題となって設置型に落ち着きました。


これも贅沢を言えばキリが無くなりますが、条件として

1、前後2つのカメラがある

2、モニターで、後方確認をルームミラーのように出来る。

3、出来れば2万円程度

4、取り付けが面倒でない

等を検討して、以下の商品を購入しました。

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実際はタイムセールで19999円と何とか2万円以内で購入出来ました。
さて取り付けようとしましたが、実は懸念していましたが、PCXはフルカウルの為、結構面倒な事に成ると予想していましたが、やはり配線を綺麗にするためには、該当する部分のカウルを外さなければいけないようで、今回は「簡易的」に外部配線で、電源もモバイルバッテリーを使うという、チョットいかさまに近い方法で実装しました。
 
まあ本体の耐久性が分からないので、本格的に配線してしまうと直ぐに交換なんてこともあり得るので、様子を見て大丈夫そうなら別件も含めてカウルを外すときにきちんと電源も含めて配線しようと考えました。
幸いというか、自分のPCXはロングシールドに代えてあり、メータカウルの上に広大なスペースがあるので、此処に機器や配線を纏めてみました。
本体に小さいモニターがあり、これで後方カメラを移せば「電子式ルームミラー」の代わりに成ります。
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自分がバイクに乗って一番不満なのは、真後ろの確認が出来ない事で、自動車に乗っているときは常に視界の隅で後方確認しているクセが付いているので、いちいち視線をサイドミラーに移して後方を確認するのが本当に面倒でした。
あとPCXのカウルは綺麗なラインを描いて優れたデザインなのですが、カメラを固定する平面を探すのが大変で、結局横に飛び出した形で固定しました。
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後方カメラはデイトナで販売しているナンバープレートにかませるアダプターを使って設置します。
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で、今回最も有効なパーツは、リアBOXに貼った「前後録画中」の黄色いシールかもしれません(苦笑)
実際これを車にも貼っていますが、いい気になって煽ろうと近づいてきた愚か者が、このシールに気が付いて後ろに下がっていくケースが多いです。
そもそも「証拠が残る」から煽らないなどという根性が、ぼくは根底から気に入りません!
実際PCXでも後ろから煽られる頻度は劇的に低下しました。
話はそれますが、自分はバイクで速度を出すつもりは無く、かといってノロノロ走っている訳でもなく、法定速度より若干早い程度で様子を見て走っていますが、栃木県の場合本当に質が悪く、郊外の農道などそんな自分を凄まじい速度で追い越していく車は少なくありません。
事故の重篤度は速度に比例して悪化していきますから、一般道でそんな速度で走って事故など起こせば、その結果は悲劇的なものになることは、読み書きができて免許取れる人間なら誰でも理解できるはずなんですが、そのあたりの抑制が効かない人間は、前頭葉がそもそも少ないか、加齢で機能が低下している・・・まあ単なる大バカ者と言えるでしょうね。
自分はバカは相手にしたくないので、ドライブレコーダーが「お守り」か「護符」の代わりに成って安全に走行できれば2万程度は安いものだと思います。
しかし「護符」で退散するという事は、もはや人間ではなく「魑魅魍魎」の類の「化け物」なのかもしれませんね(苦笑)
あっ、ツイッターのように文字制限が無いのは気持ちが良すぎて、つい余計な事をたくさん書いてしまいました。
さて、話を無理やり戻しますが、これが実際撮影した画像です。
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昼間で明るいので条件は良いですが、ナンバープレートなども十分判別できますので、まずまず実用性があるドラレコだと思います。
ただ、これが現実的に役に立ってくれる事が無いほうが良いのは言うまでもなく、馬鹿者除けの護符で終わってくれることを祈るのみです。
と、こんな感じの記事に成りましたが・・・・・
いや、自分で読んでもあまりまとまりが無く、いまいちだなぁ(泣)
まあ、今回「リハビリ」のつもりで記事をまとめましたが、徐々に戻していくことにしましょう。
 

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ブログ再開、4度目の人生の大きな節目を迎えて [雑談]

さて、そろそろタイトル通りの「楽しい自転車生活」をお送りしなければ、タイトル詐欺ブログに成ってしまいますね(苦笑)


自分の場合今までの人生を振り返ると4回の大きな変節点がありました。

1、9歳、実家の事業失敗による暗転

これは本当に自分のせいではない、今風に言うと「親ガチャ案件」です。


両親は自分が生まれる前から喫茶店を営んでいましたが、父親が共同事業者とボーリング場を開いて失敗し、故郷から何度か引っ越したあと、新規の事業展開もうまくいかず、オマケに保証人に逃げられて多額の借金を抱える事に成りました。

更に実父の不倫事案で夫婦仲が冷え込み、借財の事も含めて、毎日激烈な夫婦喧嘩が絶えず、更に不倫した相手の男が怒鳴り込んできたり、家の立ち退きを要求されたりと、いきなり9歳を境目に人生が暗転していきました。


正直もっといろいろ酷い事があり、自分は今でいう不登校や、学校の担任のモラハラなどに会い精神的にもどん底に追い込まれて、実はそのころの記憶が、かなりの部分欠損してしまいました。


正直よく生きていたし、グレ無かったなぁと自分でも思います。

高校の担任に詳細を説明したとき、驚愕の表情で「お前のような奴は、物凄い不良になるか、親を見返そうと奮起するかどちらだが、普通に平気な顔をして生きている奴見た事が無い」と言われたことがあります(苦笑)


まあ、かなり早い時点で「この親に頼っていては命が無い、自分の事は自分で何とかしよう」と、問題解決のための方策を、学校の勉強そっちのけで(笑)学校や地域の図書館で調べまくったり、同じような境遇の親友たちと、夜を徹して討論したりして、答えを探していました。


また、当時としては珍しかった、「アニメ特撮オタク」に成っていましたので、これも今でいう「中二病」の元祖のような存在になっていました。

今でも「宇宙戦艦ヤマトと機動戦士ガンダムの生放送の第一話を見た」を自慢の種にしているくらいですから、かなり重症の中二病患者でしたね。

これも今風に言うと完全に「黒歴史」ですよね(笑)


専門学校時代は千葉県の柏市の学校に行くため、流山市に一人暮らししていましたが、実家を離れて家事を考えないで良い時間は、自分にとって「至福の時」だったと思います。友達にも恵まれて楽しい学生生活・・・・と行かないところが自分の難儀な星回りで、とある問題人物が自分たちのゼミに在籍していて、ゼミ全体をかき回して大問題となっていて、自分もその当事者の一人だったので、その対応と解決に1年以上費やす羽目になり、いやホントに毎日大変でした(苦笑)

その人物は、今風に言えば完全にADHD(注意欠如・多動性障害」で社会性が無く、重度の虚言癖があり、自分を被害者に見立てる事で周囲の関心を持とうとするタイプで・・・・と後に気が付いたのは「自分の母親と実は全く同じだった」という事で、自分は常にこの手のタイプの人間に人生を捻じ曲げられつつ、抵抗して戦ってきた人生だったんだなぁと、深いため息が出ましたね。


2、20歳で社会人へ、住宅会社の営業職へ

なんとか未成年時代は乗り越えて、地元の住宅会社の営業職に就職することが出来ました。

これも、学費を稼ぐため住宅会社の現場作業の肉体労働のバイトを通じて、その会社に認められての正規社員登用でしたが、採用理由が「あんな辛くて儲からない仕事を真面目に務める忍耐力は、ヤクザな営業の業務に耐えられるだろう」という事だったと後で聞いたことがあります(苦笑)


しかし、本当にこの仕事は辛かったです。

今から37年前の1980年代後半の頃ですから、週休二日などは無く朝は8時から夜は23時まで拘束され、週一の休みもお客さんに呼び出られ、オマケに社会人一年生なのに「お客様の人生を左右するのが住宅計画です」などしたり顔で、平気で自分の2倍以上生きたお客さんを相手にして、そのころはノルマが「半期で6棟1億円」でしたので、本当に大変でした。


しかも、最初に配属された営業所の上司がパワハラ野郎で、営業所全員が苦しんでいるような状態で、深夜にクドクドと嫌味を言われ続けてついにブチ切れて、ケンシロウの様なオーラ出しながらぶん殴ろとして、先輩の空手の有段者に羽交い絞めされて止められたという事件がありました。

その時の上司の「あんなクダラナイ奴手を出して犯罪者に成ってもつまらないゾ」という言葉は、以後自分が無事に社会人として生きていける為の「金言」となりました。


まあ、そんな事も有りましたが「石の上にも3年」を心に決めていたので、一人前に成るまで辞めないと、ある程度成績が出せるように成ってから5年勤続して、26歳で自宅を建ててから、一昨年まで勤めていた自動車関係の会社に転職しました。


3、自分の趣味を仕事にして

物心ついたころから自動車が好きで、子供の頃は「カーグラフィック」「オートスポーツ」を愛読書にして「サーキットの狼」「スーパーカー」の洗礼例を受けた世代ですから、車に乗るのが大好きで、本当は高校進学の時に工業系や自動車整備専門学校を受験しようとして、両親の理不尽な大反対で未来の夢を断たれたという反動から(笑)、地元にある自動車会社のテスト業務を委託されている会社に転職しました。


職種としては「テストドライバー募集」という魅力的な内容がかえって怪しく(笑)、会社説明を受けたら「まあ、普通免許があれば・・・」という頼もしい説明にかえって疑心暗鬼になりましたが、委託先の企業と同じ就業形態という事で、週休2日はおろか年間休日も120日あり、オマケに有給休暇が完全取得が絶対という、まるでおとぎ話のような世界(笑)の魅力には勝てず、年収が半分になる(!!!)事など気にもならず転職しました。


実際の業務は自動車の耐久性試験で3交代でコースを走らせる「夜勤勤務」が主体で、その車の整備や点検、データ計測、車両の分解組み立てなど、文系人間で、実際車の重整備などしたことない自分には大変な事も多かったですが、委託先の企業はまだその時代は家族的なところがあり、委託や請負の社員であっても「面倒見る」文化が残っていて、色々な事を教えてもらったり、勉強する時間や機会も設けてくれたりと、自動車や機械工学の基礎、金属工学など、以後の自転車の整備などをに役立ちました。

まあ、結局早期退職するまでこの会社でお世話に成りましたが、この会社にいて本当に良かったのは、多くの仲間に出会えたことだと思います。


4、生涯を共にする自転車の生活を得る

まあ、その仲間を得ることが出来たのも、自分が子供の頃から大好きだった自転車趣味を再開させたからです。

とにかく、物心ついた時から目の前に現れる「不可解で理不尽な難儀」を、撃退するだけで精一杯で、正直なところ人生の目標とか夢を実現しようとか、自分自身の将来の事になんの希望も持てない人間に成っていました。


その結果としての自分自身の健康管理の概念が無く、ストレスからの暴飲暴食、偏った食生活、睡眠時間の不足、運動不足がたたっての肥満や生活習病のオンパレードとなり、30代後半の頃には何時突然死してもおかしく無い状態と会社の健康診断で指摘され、とどめは2度ギックリ腰を発病させたときに担当医の方に言われた言葉でした。

「このままの体重だと、膝の故障もありますし50代になったら確実に歩けなくなりますねぇ」ニコニコしながら宣告されて、この時は心の底から戦慄を覚えて全身が凍り付いたことを覚えています。

自分は「結婚をするつもりが無く、老後は確実に「独居老人」に成ることがよそうされて(結局その通りに成りましたが)、誰に頼る事も出来ないとあれば

自分の健康、とくに自分の足で歩けることは最低限の必須条件であり、ここにで初めて自分の将来の為にダイエットで体重を落として健康な体を確保するために、本格的に自転車で運動する事に成りました。


ダイエットのために週末にはクロスバイクに乗るようになっていましたが、これを機に往復20㎞の通勤も自転車に切り替えて本格的に乗り込みました。

週末も乗る距離を徐々に増やしていき、100㎞乗れるように成ったころ、自転車雑誌で160㎞の距離を走る「センチュリーライド」と、新潟市の佐渡の島一周210㎞走る「佐渡ロングライド」の存在を知り頭から離れなくなりました。


そのころ職場の同僚とクロスバイクでサイクリングしたり、エンデューロレースに出たりと徐々にのめり込んでいきましたが、このロングライドを行う事が目的に成り、ロードバイクを購入して装備を整えたりトレーニングをいろいろ工夫していったりとした結果、気が付いてみると何の生きる目的もなく根無し草のように生きた自分が、初めて生きる意味を持つことが出来ていました。

以後はこのブログを開設してから書き込んできた通り、自転車中心の生活をしていました。



5、新しいステージを迎えて

そして、定年3年前に早期退職し、母親を見送って完全に独り暮らしとなり、ある意味今までと全く違う、ほとんどすべてが自分の都合で動ける人生が、正直「始まってしまった」という所です。

 

実のところ、いろいろな選択肢が想定されていますし、そのどれを選択するのも自分の判断次第なのですが、大きく分けると

1、現状の延長で今の住居と人間関係を継続させる

2、見たことのない風景を求めて、別の場所に転居する

となりますが、慌てて動くとロクな事が無いですし、とくに期限がある訳でもないので、変に義務感に駆られてとかなく、自然体で考えて行動していこうと思っています。

 

一つ言える事は、このブログをアップして意向、もう自分の過去のネガティブな部分を振り返ることはしないということです。

その決意をはっきりさせるために、今回恥を忍んで(苦笑)色々と書き綴りましたが、これをもって次回の記事より元の「楽しい自転車生活」応援を中心としたものを書いていきたいと思います。





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ブログの再開、自宅の整理と実母の葬儀、相続について [危機管理]

実母の余命は年内との担当医の診断を聞いて、自分は迷わずその場で実母に全てを告知しました。

「残酷な」という意見もあるでしょうが、かのブラックジャック先生も「告知して希望を失うような患者の相手はしない」主義でしたので(苦笑)淡々と事実を告げましたが、拍子抜けするほど「無反応」で強がりなのか絶望したのかは知りませんが、残念ながらそんな本人を心情を斟酌しなければいけない程、此方も暇ではありませんでした。


◆何より肝心な予算管理

まず、入院前に実母の預金通帳、印鑑カードを引き取りました。

こんな時にお金の話とは思われるでしょうが、「地獄の沙汰も金次第」ではありませんが、一番面倒なのは最期を迎えるにあたっての経理なんです。


とにかく、お金が出ていくは出ていくは!、入院費、備品購入、介護食、介護備品購入など、羽が生えたようにお金が飛んで行きます。

そして何が一番手間と費用が掛かったかというと、それは自宅の整理に関係したモノでした。


◆半ばゴミ屋敷化した自宅の再生

実母が病気になる前からの事ですが、清掃能力が完全に欠落していて、大掃除など自分がやっていたのですが、とにかく実母の動く範囲には膨大な日常品と称する「タダノゴミやガラクタ」が、遺跡のように蓄積されており、最初の検査入院の時には、リビング回り、キッチン、実母の自室などを「なんとか人間が普通に暮らせるように」清掃するのに、2週間ほどかかってしまい、出てきたゴミは、優に軽トラ一台分はありました。


床も汚れているを通り越して、ごみや埃が堆積してドロの層が固まっており、その撤去や、ごみの中から明らかに未使用の健康食品やサプリメント、化粧品、電気製品を分別して再利用できるようにするなど、とにかく説明しきれない程ひどい状態の回復に奔走させられました。



特に酷かったのがキッチンと一坪の食品庫で、もはやそこは腐った食材と製造年度不明の瓶詰めと焦げたり錆びたりしている鍋や釜、これまた未使用の膨大な食器が、所かまわず積みあがっていました。

 

最初錆びた瓶のふたを開けて、腐った中身を捨てて、瓶を洗ってと分別を進めていましたが、2時間ほどでゴミ袋4つも出来上がり、それでも変わることのない眼前のゴミの山を目の前にして、心を病んでしまいました(苦笑)


こんなことしていたら、自分が病院送りに成ってしまうわい!と、さっそくネットで「家屋の清掃業者」を検索して、専門の業者に依頼してしまいました。

その業者は、いわゆる「ゴミ屋敷」や「独居老人の死亡案件処理」も引き受ける専門業者で、埼玉の方から来ていただきましたが、そんな専門家が見積もりに来て現状を見せたところ、5秒ほど立ち尽くしてポカーンとしていた後に「この清掃は、完全に特殊事例に該当しますので、費用が掛かることはご容赦いただけますか?」と言い出しました(苦笑)

また「これは一人で何とかしようとしてはいけない案件です」とまで言われて、ある意味納得の上で依頼しました。


しかし、今回の事で、介護・医療関係者や、同じ境遇の方々とお話しする機会がたくさんあったのですが、どうもこの「ゴミ屋敷製造老人」は、決して珍しい話ではなく、意味もなくモノを買い込んで、使いもせずゴミを増やすというのは、個人というより「世代の持つ精神的な病理」と言えるもののようです。
で、結局5人ほど来ていただいてそれらのゴミの分別や廃棄、敷地内に転がっているゴミのをまとめると、2トントラック2台分のゴミが出てしまい、オマケに食品が腐敗していたためその清掃と、そこにネズミや害虫が発生していた事も有り、別の駆除業者に、家全体の徹底駆除と消毒も必要となり、費用総額は優に三桁諭吉様に達してしまいました(泣)
そのうえこれでもまだ、実母の自室の清掃とゴミの廃棄が別にあるという始末で、ありがたくないというより、非常に厄介な「遺産」と言えるでしょう。
ここで「遺産相続」に関してですが、一般的には被相続人の資産の相続という「ボーナスポイント」的な受け取り方をされていると思いますが、自分はその考え方が大嫌いで、相続人は、被相続人の「人生の正負を全て受け継ぐ」べきものであり、それらをひっくるめて「ドンと来い!」と肝を据えてかかる覚悟が無い人間は、欲に駆られて身の丈以上の相続を欲すると、「身の破滅」に繋がるという事は、間違いが無いことだと自分は思っています。
さて、実質10月から2か月ほどこの整理に忙殺されていました。
まあ、何処かに遊びに行こうと思えば行けない事もなかったのですが、何時「ご家族をお集めください」という、「危篤の連絡」が病院からいつ来るか分からないうえ、他の親族は間違いなく間に合わないので、自分は出かけても1時間以内で病院に駆け付けられる事が大前提でしたので、ロードバイクでのロングライドは封印となり、7月末からこのブログと共に「封印」していました。
◆臨終と葬儀
終末医療医院に転院して1か月たった12月に入り、病院より「心拍が安定しないので急いで来てください」とあり、その日は大丈夫だったのですが、駆け付けて面会した時が最後となり、翌日息を引き取りました。
結局最後はだれも親族に看取られることなく、突然心拍が弱って自分に連絡が来てから5分後には、心拍停止で死亡が確認されました。
生前は賑やかな実母で、親族や知人もたくさんいたはずなのですが、コロナの影響もあり面会が制限されているとはいえ、誰に最後の挨拶をするでなく、「だれにも知らせないでくれ」と言い出して、まあ自分に言わせれば勝手に旅だってしまった事は、本人の本音や心情はともかく、今まで生きてきた関わり合いを自分から断ち切って、誠に自分勝手に自分の人生を閉じてしまったわけで、生前より「一人称人間」で、すべてが自分しか無かった人間の最後としては、それにふさわしい寂しい最後だったと言えます。
 
勝手に旅立つのはまあ仕方ないとして、残された人間はそうはいかず、やるべき事が山のように残されています。
此方も初めてではないので、戦闘モードに突入すれば済みやかに作戦行動に移行し、お恥ずかしい話、「危篤」の報を受けて病院に向かう間に登録して会員になっている(既に4回利用しているお得意さん)葬儀社に遺体の引き取りと葬儀の段取りの連絡をして、臨終を確認後は速やかに近い身内から順に連絡を取り、葬儀に向けての準備を進めます。
全くまるで全てが計画されたように行動していて、1週間前には喪服もクリーニングに出してあったとは、これが不審死なら間違いなく「容疑者」として取調室に連れていかれていましたねぇ(苦笑)
臨終後2時間で葬儀社に遺体を引き取ってもらい、葬儀日まで予定の式場で保管してもらいます。
以前ならまず自宅に一度搬送して葬儀日を待つという感じでしたが、最近は葬祭場も霊安施設などがあり、遺体の腐敗処理(エバーミング)や化粧直しなどを行って、葬儀場で何時でも関係者が面会できるようにしてくれます。
葬儀の日程は主にその地域の「火葬場」のスケジュールが優先され、時期によっては混みあう事も有り、大安や友引を避けたり、土日に集中したりと思うような日程が取れないケースもあります。
自分の場合以前12月28日に叔母が死亡したときは、焼場も公共施設で既に休みに入り、しばらく葬儀が出来なかったなんて事も有りました。
また居住地域以外で死亡した場合なども、基本的に火葬場は立地している土地の住人が優先であり、住民以外は費用も高く取られるなど面倒なことが増えるケースもあります。
葬儀もコロナ禍だった影響があり、家族だけでひっそりと行う「家族葬」が一時期はほとんどでしたが、栃木県にかんしては、新聞の「お悔やみ覧」を毎日観察したところ、約7割は普通の葬儀を開いていた事も有り、自分も通常の形で葬儀をするという事で、葬儀社を通じて主要な新聞に掲載してもらいました。
実母は自宅で介護状態になってから知人との連絡が途絶えていて、連絡が行き届かないと後日焼香に来られる事となり、それはそれで面倒(汗)なので、出来るだけ通夜と本葬に来てもらう配慮はしておきました。
これで来るかどうかは本人の人徳次第でしょう(苦笑)
喪主のベテラン(苦笑)の自分の見立てでは、限られた親族とごく親しい知人だけでこじんまりとした葬儀を想定していましたが、驚いたのは自分が以前いた職場の元同僚が結構来てくれたことで、人の繋がりは暖かいモノですね。
反対に実母の知人はあまり来ることは無く・・・・失礼ながら同年代の場合その方々も棺桶に片足突っ込んでいるケースも多く、晩年の人間関係について考えさせられる葬儀でした。
◆役場への手続きと相続について
葬儀が終わったからといってホッとできないのが手続き関係です。
基本的に医院などで死亡した場合、「死亡診断書」がでてそれを葬儀社に渡して手続きをいたくして、「埋葬許可書」を役場に申請します。
家族が行うのは、同じく死亡診断書をもって、役場に「除籍手続き」と、国民健康保険の場合、その終了手続きを行います。
年金に関しては「年金事務所」に別途申請を行いますが、おおむねここまでは1日有れば何とかこなせます。
 
で、ここでもお金の問題が出てきます。
死亡した本人の銀行口座などは、新聞などのお悔やみが掲載された時点でロックされてしまうのものでしたが、銀行によってはそこまで手間をかけられないらしく、これは金融機関によって対応が分かれます。
経験者はご存じだと思いますが、「親が死んで直ぐにATMに行って親の口座からお金を落とした」が、常識(苦笑)でしたが、最近は特殊詐欺の影響もあり、ATMも一日20万円以上は下せないので、ケースバイケースですね。
自分の場合これも計画的に(苦笑)以前より必要経費は少しずつ引き出しておきました。
これもあまりに計画が過ぎたようで、入院費用や備品購入、自宅の清掃や葬儀関連の費用など、用意しておいた金額ほぼピッタリの出費でした。
相続に関しては、1銀行の口座や株券など、2不動産、3生命保険、4遺品などの物品に大別されます。
それらは色々な手続きがあって面倒なのですが、公的証明として絶対に必要になるのが、死亡した本人の「除籍証明」です。
宇都宮市の場合は届け出があってから2週間で本人が除籍された「戸籍謄本」が取れますので、これが死亡した公的証明として絶対に必要になります。
あと相続は民法上3親等の親族までが対象に成りますので、それを確認し、相続人との関係を証明する「原戸籍(全部記載)」と、相続者の戸籍謄本、また捺印する印鑑はすべて「実印」となりますので「印鑑証明」がけっこな枚数必要になります。
自分が一番最初に手続したときは、何にどんな書類が必要か全くわからなかったので、市役所の出張所の所員と顔見知りになるくらい、手続き先で「不足しています」と言われて、トボトボと何度も取りに行ったものです(笑)
基本的に相続関係は、同居していて、実子であればあまり面倒な事はありませんが、被相続人に子供がいない場合、先の3親等の親族がすべて相続対象に成りますので、人数が多いほど面倒になります。
また「遺言書」で親族以外に相続を指定された「遺贈」のケースも、遺言書を公的書式にする手続きが必要でこれも面倒になります。
養子が居る場合も、養子は2種類あり、普通の養子の場合、養子先の親だけでなく実の親の相続の権利と扶養の義務が生じますが、「特別養子」の場合、戸籍上に、実の親との親子関係は記載されず「いなかった」事にされるため、相続は発生しません。
まあ普通の家庭の場合あまり込み入った相続にならないと思いますが、そういう事情があるのに、親が遺言状をちゃんと用意して公正証書にしていない場合、結構厄介な事に成ることも少なくはありません。
ちなみに遺言状は本人の「直筆の署名」が絶対条件で、数件出てきた場合は日付けが新しいものが有効になります。
実は我が家の場合、このあたりが非常に複雑で珍しいケースが含まれており、家系も遡ると結構面白い事に成っていたり、まあブログで書けない分量の「やんごとなき」事がありましたから、自分は随分色々と勉強させられました。
もし、これが犯罪絡みだったら、横溝正史著作の「犬神家の一族」のような複雑な人間関係と、肉親同士の「愛憎」が渦巻いていた事でしょうね(苦笑)
相続も肉親であるが故、血が濃いからこそ、それこそ数十万円のお金で大乱闘の末絶縁してしまうほどもめるケースも少なくありません。
此処に不動産が絡むとさらに厄介ですが、自分の場合実母に不動産は無かったので銀行関係と生命保険(受取人に成っていた)の書類をそろえて郵送すればそれでひと段落と言ったところで、今までで一番簡単な手続きに成りました。



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ブログの再開、実母の末期がん発覚と入院まで [雑談]

まだこのブログに立ち寄ってきてくださる方がおられましたら、「お久しぶりです」!

まあ、なんとか身辺整理も進んできて、落ち着いてブログを書こうという気に成ってきました。

昨年8月に実母の末期がん発覚以来、自体が急速に進行していきました。

担当医の見立ては「早ければ年内に」というお話が最初から飛び出して、事実その通りに成り、12月6日に西方浄土に帰らぬ旅に出てしまいました。


その間あまりにいろいろな事が、振り返る暇もなく自分に降りかかり、とにかく平常心を心がけて事に当たってきました。

まあ、自分としてはこの事を振り返るつもりは毛頭ありませんが、とにかく何があったかは纏めておこうという事に成り、長らく休止中のブログの再開と相成りました。


相変わらず長文で無駄にクドイ表現の記述に成りますので、真剣に読んでいただけないとは思いますが、おそらく同じ境遇の方が困っていると察しますので、幾何かお役に立てればと、何があったかを書き綴ってみます。



◆新型コロナと肺がんの発覚・進行について

肺がんの自覚症状として、痰が出るとか胸に詰まりがあるとかは1か月ほど前からあったようですが、コロナの感染をきっかけに一気に症状が進行して、総合病院で検査しようという事に成りました。

固形物が取りにくく、食事が滞っていた事も有り体力が落ちていたのでそのまま入院という事に成り、改めてPCR検査で陽性反応がでたので、まずコロナでの隔離入院が必要になり、2週間の経過観察の入院と癌の精密検査を行いました。

とにかく最初の検査で肺のレントゲンの右下に7㎝程度の癌の影が映っており、ほぼ末期の「ステージ4」は確実視されていました。


しかし、一昨年もコロナ感染の疑いで呼吸器科の医院でレントゲン撮影にわずかに影があり、がんの疑いありという事で血液検査を行いましたが、その時点では「シロ」でした。

自覚症状の件なども考慮に入れると、急速に悪性腫瘍が拡大したことになり、あり得ない事例ではないとしても、余りに早すぎることが疑問でした。

まあ、巷ではコロナの後遺症やワクチンの影響とか色々言われていますが、その他の症状等を考慮すると、実母は確実に免疫が低下していたようです。


◆終末医療の選択

検査入院後、体力がやや回復したので2週間自宅で様子を見るという事で、別の医院で「PET撮影検査」を行い、肋骨に転移が認められた事と、後の検査で肺の癌腫瘍が壊死して右肺全体に癌細胞がばらまかれている事が発覚しました。

その時点で、高齢で体力が落ちているので、摘出も抗がん剤の治療もできないという事に成り、インターフェロン系の投薬も抗体の適合性が無く万事休すという事で、治療や延命措置をせず、痛みだけを抑えて穏やかに最期を迎えるという「終末医療」の方針が決まっていましたが、様子を見てから検討という事で自宅療養を続けました。


◆自宅療養の限界と、要介護認定

実はこの自宅療養が大変で、一応寝たきりでは無いので所謂「下の世話」がないのが唯一の幸いで、何が困ったかと言えば実母の生活習慣の乱れと食事の我儘が強すぎる事でした。

とにかく勝手な時間に寝て、夜中でも起きてゴソゴソするなどで、通常の時間での3食の時間に起きていないときが多く、食事の世話をする方とすれば「怒り心頭」でした。

おまけにほとんど猫のように(苦笑)「気に入らなければ、具合が悪ければ餌に口もつけない」有様で、体の為に必要なカロリーや栄養素を取らなければいけないという概念を持っていない事もあり、固形物が食べられないと用意した流動食を受け付けない事が増えました。


おまけに決められた薬を飲まない事の方が多く、飲んだとウソをついて枕元に隠していたりと、正直何でこんなクズの面倒を見なければいけないのかと、自分の精神崩壊しそうになってきました。


そんな時、我が家のかかりつけ医に、定期的にもらっている薬を取りに行ったときに、実母と自分の様子を見て「このまま息子さん一人での介護は限界で、早急に要介護認定を受けて介護ケアを受けるべきだ」というありがたいアドバイスと、関連部署への根回しをしてくれたので、地元の「包括支援センター」に行き、要介護認定の手続きを進めました。


手順としては、包括支援センターに申し込んで、介護認定の査定を専門の人間に依頼、要介護の等級が決定次第、その等級の援助内容にあった介護プランを、指定された介護プランナーが選定して、各種サービスが受けられるという感じです。

ま、これは悪口ではないのですが(笑)、なにせ「お役所仕事」なので、此方の都合で動いてくれることは無く、事務手続きの手順を順当に踏んだとしても時間がかかることは事実で、必要になるはるか前の段階で手続きを進める必要があり、実は我が家のケースもサービス認定は入院の後に決定通知があり、医療行為の入院の場合介護保険からの支援は無く、要するに「間に合わなかった」わけです。

 

実は3年前に痴呆の症状を拗らせて親子関係が崩壊しかけたときに、要介護を受けようとしましたが、実母が意固地になり認定を受けられなかったという経緯も有ったのですが、この手の話は珍しい事ではなく、介護する家族をとことん追い詰めているんですよ。


さてその後結局如何なる食事も投薬すら受け付けない実母に対して、完全に堪忍袋の緒が切れて、自分自身が介護することを放棄することにしました。

こう書くと自分は余程酷い冷血漢にしか見えませんが、実はここで真面目に自分ですべて解決しようと思い込む事は大変危険で、よくて親に暴力を振るうようになるか、悪くすれば「一家心中」などという悲劇に向かって一直線に成ってしまいます。


まあ言葉通りに放り出す訳では無く(苦笑)、担当医の指示で食事を受け付けなく成ったら入院させてくださいという指示に従ったわけです。

これも困った老人看護あるあるなのですが、家族の言う事はミジンコ程も聞かないくせに、医者のいう事は淡々と従うという、家族からすればウンザリするような親は決して少なくないようです。

 

そして入院前に、親戚と知人に連絡して「本人最後の面談」の段取りを付けました。

ご存じの通りコロナ禍の中、ほとんどの病院は「面会不能」状態であり、お見舞い出来ない以上、入院すれば次に会えるのは良くて「臨終の際」という事に成り、まだ意識があって会話ができるうちに自宅に来てもらって、最後の面会をしてもらいました。


親戚達にも余命が年内という事で説明して来てもらいましたが、当の本人は「ただ風邪ひいただけだし」と強がりなのか見栄なのか、来てもらった親戚が当惑する始末で、特に実弟はお別れに来たのになんだ!あの態度は激怒して帰ってしまう始末で、まあ本当に居るだけでトラブルの面目躍如のフィナーレを飾ってしまいました(苦笑)。

 

入院後はモノが無いと喚くは、夜中に苦しいとナースコールも使わず騒いで個室に強制送還されるはで、ほとんど最後の悪あがきを繰り広げておりましたが。


◆終末治療専門医院への転院

その間も終末医療を行う医院や施設を選定していただき、転院に備えましたが、栃木県で末期がんの終末医療を専門に行っている大病院は「済生会病院」と「国立がんセンター」しかなく、またこちらはもっと重篤な症状、要するに痛みがひどく本人がかなり苦しまなければいけない患者が優先されるそうで、実母の場合そこまでの痛みを伴うことなく、呼吸が徐々にできなくなってくる苦しさがメインに成るようでした。


そこで、広義の終末医療を受け入れているる医院や施設・・・・・まあ口が悪い人に言わせれば「現代の姥捨て山」と揶揄されていますが、治療行為をせず穏やかに最期を迎えるための処置、ハッキリ言えば痛み止めやモルヒネなどを使って、胃ろうや人工心肺装置などは付けず、心肺停止による蘇生処置もしない医院を選抜してもらい、実母の生家のすぐ近くで、通っていた中学校の目の前、更に自分の親の墓地が目の前にあるという場所の医院を、最期を迎えるのにふさわしいという事で選ばせてもらって、そこに転院する事に成りました。


転院の手続きで久しぶりに顔を合わせて・・・というより、おそらくこれが最後の会う機会に成りそうでしたが、此方は手続きで忙しく、特に感慨がわくことは無かったのですが、実母は転院する病院が、自分の両親も入院した病院で、自分の最期を迎える病院であることは理解しており、別れ際は気のせいでなければ目が赤くなっていたと思います。


なんというか話が湿っぽくなってきましたが、実はここからが自分にとってはまさしく「悪夢」で、思い返したくない程の苦労が待ち受けているのでした。


続きます。






 





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全国の基地祭再開!今回は千歳基地にバイクでアクセス [オートバイ]

北海道千歳市の、航空自衛隊千歳基地にて、7月31日に「千歳基地祭」が、3年ぶりに開催されました。

まあ、此処に限らず陸海空自衛隊のイベントは、ほぼ3年ぶりの開催に成っています。

コロナ禍第7波・・・・もう止めましょうよこういった茶番は!


と書きながら、この記事がアップされなかった原因は、自分が「コロナ感染者」に成ってしまったからです(泣)

実は今年は5月連休前頃から持病の「副鼻腔炎」が再発したようで、頭の芯が重く鼻水が出る症状が続いていて、身体も怠く調子が今一でした。

それがこのところの暑さで体力が落ちていた影響で、千歳に行く1週間前くらいから症状が悪化していて、熱は無く抗体検査でも陰性だったので、スケジュールを強行しましたが、帰宅翌日から高熱が出てしまい、簡易抗体検査で陽性が出てしまいました。

恐らくコロナウィルスの感染そのものは、早い時期からあり潜伏してたけど、体力があるうちは症状が出なかったものの、旅の疲れで一気に症状が出てしまった感じです。

自覚症状も無く、抗体検査程度では検出されない「キャリア」の存在は、巷で聞いてはいましたが、まさか自分がそうだったとは?

結局この状態では通院しても意味が無いと、コロナ禍初期の頃に買い溜めておいた「解熱剤」や「症状緩和の漢方薬」「パルスオキシメータ」「栄養補助食品」を活用して、自主隔離で自宅療養で回復させました。


さて肝心の千歳基地祭ですが、以前ですと自家用車で行くか、飛行機で行ってレンタカーを借りる等と言う交通手段を使っていましたが、今回は経費節減の目的で、バイクを使って大洗から「三井商船フェリーさんふらわー」を使うことにしました。

なにせ運賃が自動車で行くと片道42300円の所、400ccまでのバイクだと12600円と1/3以下と言うのは非常に大きいです。


この日は首都圏より北海道ツーリングを目指すライダーが集まっていました。

うんうん、みなさん本当に良いバイクをお持ちで、原付2種なんぞ俺しかおらんわ!
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出航は19:45なのでまだありますが、なんとも暑い一日でした。
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この「さんふらわーさっぽろ」ははじめてのるふねです。
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まだ新しい船のようですが、そういえばサンフラワーはトラック火災で一隻失っていましたね
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流石最新の船で、排気煙が全く見えないし匂いもほとんどありません
揺れも無く快適な船旅ですが、まあ特にやる事も無いので、自分のベットに籠って、パットに入れておいたアニメ鑑賞で時間を過ごしました。
翌日の午後に苫小牧に入港して、この日は札幌の格安ゲストハウスに宿泊しましたが、部屋の内容はともかくエアコンが無い部屋で(笑)今年一番の暑い日にエアコン無しなんて(泣)
なんか寝不足でふらふらしますが、朝ごはんを「すきや」で焼肉定食を食べてスタミナをつけて・・・・あれっ・全く北海道らしい観光していないぞ(笑)
さて「千歳基地祭」ですが、完全復活という訳ではなく、入場制限を設けて、一部展示機材を新千歳空港側に設けたりしましので、通常の混雑も無く、特にオートバイはそのまま敷地内の駐輪場まで入れるので、非常に便利でしたね。
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ああっ、このために免許取ってバイクを購入したようなものだものなぁ(笑)
千歳基地は何度か訪れていますので珍しい事は有りませんが、おっ!ゲートガードのF104だ!
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自分が飛行機趣味を本格化させたのは1993年からですから、現役でこの機体の飛ぶところは見ていないですね。
会場には「ブルーインパルス」のT4がスペア機含めて7機勢ぞろいです。
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スペア機は本当に必要なの?と思われる方もいると思いますが、自分は前日にバードストライクのエンジン故障やトラブルなどで、このスペア機が稼働しているのを数度目撃しています。
先に書いた通り入場制限があるので、基地祭としてはガラガラですね。
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でも自分が見始めた90年代の頃は、地方の基地祭など行くとこんな物で、比較的ガラガラでしたよ。
記念塗装のF15です
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F2戦闘機ですが、何処から?
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これは基地警備隊の警備車両です。25㎜ブッシュマスター機関砲が回転砲塔に装備されています。
対空は目視?ということで、ミサイルなどの高速目標はあまり有効ではない?
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これはF15に装備されているAIM7M「スパロー中距離ミサイル」ですが、もとは「ベトナム戦争」で使われたという骨董品で、一応最新型とはいえ、常に誘導が必要な旧式ミサイルで、こんなモノを持たされて任務する隊員の気持ちは計り知れません。
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F15は電子装備の最新規格の通信モジュールや配線を施した改良型と、従来型の旧型のシステムの2種類があって、千歳の機体は旧型で、最新型のミサイルが使えない方なのですが、かつての東西冷戦の最前線で、常に最新鋭機罪で仮想敵国と対峙していた千歳基地も、ここ最近は装備品で冷や飯を食っているという所のようです。
さて、千歳基地祭りのお楽しみは、「政府専用機」を含めた大編隊のパレードなんですが、今回はお預けという事のようです。
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写真の方も自分は一眼レフを持っていないので、望遠のついているコンデジですが、モードや露出など調整すればもう少し奇麗に撮れますが、まあこの天候だとこんな物かも。
最近珍しくなくなってきたF35Aですが、三沢基地から飛来した機体が経過飛行していますが、この機体の明細塗装や機体形状は、カメラのAFの機能を欺瞞する傾向があるらしく、AFのピントが外される傾向にあります。
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冗談でもホラ話でもなく、これもステルス機能の一つで、光学標準を外せるように成っているとか。
流石に見慣れましたがやっぱりこの「寸胴ステルス」のフォルムは、もし昭和の時代にこれが飛来したら確実に「未確認飛行物体」扱いですね。
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F15の機動飛行ですが、空域設定の問題もあるのか、高度を上げる縦系の機動は控えめ?かな
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まあ過去に宮崎で教導飛行隊や岐阜の飛行実験隊の、キレッキレの飛行などを見ていますので。
ブルーインパルスも、午後から低い雲が出てきたので、縦系の演目は無しです。
あとスモークですが、以前より「ちょっと薄くてすぐ消える」かなぁ?と思っていましたが、他の人に聞くとやはり同意見で、航跡が上空の気流等で直ぐに消えてしまい、特に曇っていると背景とのコトラストがハッキリしないので、あまりきれいに見えないですね。
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これは環境問題とかもあるので、鳥も通わぬ砂漠の基地で演技するのとは条件が違いますよね(笑)
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演目は、4機が着陸態勢に移る創設以来伝統の演目「ローリングコンバットピッチ」と、ソロの最後の「コークスクリュー」でフィニッシュです。
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しかし、ここ数年のコロナ話材の影響で、通常のツアーが出来なかった中で、チームの練度と士気を保つのは、本当に大変だったと思います。
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ブルーインパルスも、基地祭が無かったここ数年は、各地で開催されているイベントの展示飛行が中心の活動でしたが、やはり開けた基地の上空で思いっきり機動飛行してくれる姿を見たいですね。
さて、基地祭も終わり何時もなら急いで帰宅と言う慌ただしい事に成りますが、一泊宿泊を入れているので、普段は行かないところにも行けます。
で、ここは温泉でしょう!という事で、Googleで探せば、流石北海道!至る所に温泉が出て来ます。
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ここは有名な温泉ではつまらないので、千歳市の東にある、牧草地帯のど真ん中にある安平早来町の「鶴の湯温泉」に行きました。
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観光地ではなく、地元の人が利用するのんびりとした温泉で、通常の観光ルートを辿っていては絶対に来る事は無い場所で、これぞぶらり旅の醍醐味ですね。
さて遅めのお昼を取ろうという事で、今度は同町にある地元のチーズ専門店に併設されている「レストランみやもと」さんでランチです。
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甘めに煮込んだ野菜の和風ソースに、たっぷりのチーズが溶け込んでいる、ジューシーなハンバーグです。
流石チーズ専門店のチーズで、柔らかいのに物凄い弾力で、その上風味が豊かな一品です。
多分、この旅で唯一食べた「地元素材のマトモナ料理」で、あとはコンビニやチェーン店でなるべくお金を掛けない食事が多かったのは、経費の節約と言うより、最近食に対する「執着心」が薄れてきたからかもしれません。
さて、帰路のフェリー便は翌日の夕方ですので、一泊して1日ノンビリ観光・・・と思ったらどんどん雲が厚くなってきて、10時頃には結構本格的に雨が降り出しました。
折角だからと「登別温泉」だけ行ってきましたが、海岸線沿いの国道236号線を走っていたら、横殴りの風雨でずぶ濡れに成ってしまいました(苦笑)
ま、フルカウルでフェアリングやロングシールドを追加したPCXでしたので、隠れている下半身とかはあまり濡れていない事を確かめられたのは収穫でした。
とはいえレインコートなどずぶ濡れで、このままフェリーに乗船するのもうっとおしいので、時間もあるので苫小牧市内にあるコインランドリーを探して、濡れた服を洗濯して、着替えもしました
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いや、此処で乾いた服に着替えられたのはラッキーでした。
洗濯待ちで座っていると、やはり旅行中の他のライダーの方も来て、やはり装備品を乾燥させていました。
最近そこそこの街に行くと必ずコインランドリーがありますが、車中泊やライダーのツーリングにとっては、気軽に選択ができる環境は、装備品をコンパクトに出来ますし、有難い限りですね。
15:00ごろになり、そろそろ乗船手続きが始まりますので、早めに苫小牧フェリーターミナルに行きます。
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ターミナルと言うだけあって、各社のフェリーが勢ぞろいと言う感じで、此処に集結しています。
しかし、雨がますますひどく成って来ましたので、案内があるまで屋内で待ちぼうけです
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ようやくアナウンスがあって乗船準備をしますが、此処でも結構待たされるので、折角乾かしたのにまたずぶ濡れに成ってしまいます。
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この後天候がどんどん悪化していき、出航後も結構揺れていましたが、津軽海峡を抜ける頃には揺れも収まったようで、翌朝甲板に出てみると、往復の航海で初めて青空が見えてきました。
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ちょうど金華山沖辺りを通過している頃ですね。
航路は沿岸近くを通っているので、携帯電話使えることが多く、Googlemapで位置は分かります。
最後に成って夏の海らしい空をようやく拝めました。
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ようやく此処に帰ってきました。
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と、何とかバイクと長距離フェリーを組み合わせたミッションをコンプリートすることが出来ました。

一人旅だと乗船中は暇をもてあそぶのですが、最近はお供のパットでアニメを見ているので、時間はつぶせますが、あまり旅情感は無いですよね。


バイクの方も、この夏はなんだかんだで3000㎞程乗り回したおかげで、大抵の所は走れるようになりましたし、悪天候も含めて装備品も確認できましたので、復活した基地祭に行く為のアイテムとして、大活躍してもらいましょう!


と、思ったのですが、先に書いた通りコロの感染でつまずいたと思ったら、今度は実母が検査入院の検査でコロナの陽性反応が出て隔離入院になり、自分も濃厚接触者として5日間の禁足となりました。


これで今月末まで動きが取れないだけでなく、実は実母の「肺ガン」が発覚し、隔離入院の後に検査入院と、年齢が年齢なので、既に摘出手術や放射線治療も手遅れという事で、抗がん剤による「延命」治療がしばらく続く事に成ってしまいました。


まあ、此処最近自転車そのものに乗っていない事もありますが、ロードバイクは1か月以上ご無沙汰で、「もうこのままロードバイク乗らなくてもいいかな」と思い始めた矢先の事で、自転車生活もひとまずお休みで、このブログもひとまずお休みする事にしました


まあ、辞める訳では有りませんが、多分しばらくは色々と忙しく、自分の去就も含めて環境が大きく変わる事に成る為、落ち着いてきて、心に余裕が出来たらひっそりと再開したいと思います。


それまで皆さんお元気で!




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