重いテーマです

なぜこんな記事を書いたかというと、一般の方には全く流れていない情報ですが、自転車イベントで、過酷な長距離を走ることで、最近国内でも人気が急上昇中の「ブルベ」ですが、その界隈でオーソリティとも言われているブルベ界屈指の大ベテランの方が、海外遠征中にトラックにはねられて死亡してしまったとい事で、ブルベの関係者の間では強い衝撃が走っています。

一般道、それも車でも大変なような山間部等を、をそれこそ何日も昼夜を問わず走り続ける長距離ブルベの場合、そのための体力や技術と同じくらい、いや最も大切なのことが「無事に走りきるための危機管理と安全意識」であり、そのスキルと意識が高いからこそ、大きなリスクを認識してそれを克服できるわけです。
当然故人の方もそういった意味ではブルベライダーのお手本とも言える立派な方で、協会の重鎮でもあったわけですが、そんな人でも事故による「死」から逃れられなかったという「不都合な現実」が、各関係者に重い現実を認識しざるえない事態に追い込んでしまったのだと思います。

自分に振り返ってよくよく考えてみると、安全性に関するスキルは年々向上してきていて・・・・これは加齢とともに「臆病」になってきていることとも関係があるのですが、とくに安全性に関しては、危険に対しては過敏に反応するようになっていて、走行に当たり極力「交通事故のリスク」を減らす方向で進んできています。
「挑戦」とう意味と「自分試し」という意味では、攻めるという方向性で考えると、どうしてもある程度のリスクを覚悟せざる得ないのですが、であれば尚更リスク回避の方向で万全の準備や「撤退する勇気」の大切さが大きなウェイトを占めるようになってきました。

でもです、それでもです、いくら気をつけてもです、スキルがあってもです、意識が高くともです!
「不運」という名の死神は「運命」という名の鎌を振り落として、大切な命を刈り取っていってしまうのかもしれませんし、抗いようが無いのかもしれません。

こういう話をすると必ず聞くのが「人の生き死には運次第なのだから、努力なんで「続けて」も無駄なんだよ」という知った風な捨て台詞です。
でも僕は運命に全てを委ねて、「絶望」に身を委ねる人間が大嫌いです!
「絶望は死に至る病である」とはよく言いますが、たとえ抗えぬ運命であったとしても、その瞬間まで自分ので出来ることを、出来るだけ努力し続けなければいけないはずで、だからこその人生なのだと思います。

ちょっとキザで大げさな話ばかり書いてしまい、今PCの前で赤面しながらキーを叩いておりますが(苦笑)、結論はいつものようにシンプルで「それでも僕はペダルを回し続ける」という事だけです。
だってペダルを回すの事がイコール自分の人生であるのなら、自ら人生を放棄してしまうことなんかできないからだと思っているからです。

自分は公道に出るとき、正直いつも「今日が最後かもしれないな」と思いながら自宅を出ています。
だっていくら気をつけても、後ろから「暴走車両」、「前方不注意の車両」、横から「一時停止無視の車両」などと「遭遇」してしまったとき、事故に巻き込まれ「死亡」するリスクが非常に高くなるからです。
ただ、「KYT(危険予知トレーニング)」のスキルと経験から、本人の警戒レベルが落ちていなければ、正確な判断ができれば、かなり大き「不運」が訪れても、それを回避できる、もしくは被害を最小限に抑えられる公算が高くなることも否定しがたい一つの「現実」です。

とにかく天に召される、または不幸にもペダルを回せなくなるその日まで、生き延びるための努力をし続けようと思います。
交通安全の維持ととその達成は、一過性の「特効薬」で劇的に得られることはなく、毎日の、常にその瞬間の絶えまぬ努力でしかえられないという「否定しがたい真実」と、常に向き合っていなければいけない物なのかもしれませんね。