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ブログの再開、自宅の整理と実母の葬儀、相続について [危機管理]

実母の余命は年内との担当医の診断を聞いて、自分は迷わずその場で実母に全てを告知しました。

「残酷な」という意見もあるでしょうが、かのブラックジャック先生も「告知して希望を失うような患者の相手はしない」主義でしたので(苦笑)淡々と事実を告げましたが、拍子抜けするほど「無反応」で強がりなのか絶望したのかは知りませんが、残念ながらそんな本人を心情を斟酌しなければいけない程、此方も暇ではありませんでした。


◆何より肝心な予算管理

まず、入院前に実母の預金通帳、印鑑カードを引き取りました。

こんな時にお金の話とは思われるでしょうが、「地獄の沙汰も金次第」ではありませんが、一番面倒なのは最期を迎えるにあたっての経理なんです。


とにかく、お金が出ていくは出ていくは!、入院費、備品購入、介護食、介護備品購入など、羽が生えたようにお金が飛んで行きます。

そして何が一番手間と費用が掛かったかというと、それは自宅の整理に関係したモノでした。


◆半ばゴミ屋敷化した自宅の再生

実母が病気になる前からの事ですが、清掃能力が完全に欠落していて、大掃除など自分がやっていたのですが、とにかく実母の動く範囲には膨大な日常品と称する「タダノゴミやガラクタ」が、遺跡のように蓄積されており、最初の検査入院の時には、リビング回り、キッチン、実母の自室などを「なんとか人間が普通に暮らせるように」清掃するのに、2週間ほどかかってしまい、出てきたゴミは、優に軽トラ一台分はありました。


床も汚れているを通り越して、ごみや埃が堆積してドロの層が固まっており、その撤去や、ごみの中から明らかに未使用の健康食品やサプリメント、化粧品、電気製品を分別して再利用できるようにするなど、とにかく説明しきれない程ひどい状態の回復に奔走させられました。



特に酷かったのがキッチンと一坪の食品庫で、もはやそこは腐った食材と製造年度不明の瓶詰めと焦げたり錆びたりしている鍋や釜、これまた未使用の膨大な食器が、所かまわず積みあがっていました。

 

最初錆びた瓶のふたを開けて、腐った中身を捨てて、瓶を洗ってと分別を進めていましたが、2時間ほどでゴミ袋4つも出来上がり、それでも変わることのない眼前のゴミの山を目の前にして、心を病んでしまいました(苦笑)


こんなことしていたら、自分が病院送りに成ってしまうわい!と、さっそくネットで「家屋の清掃業者」を検索して、専門の業者に依頼してしまいました。

その業者は、いわゆる「ゴミ屋敷」や「独居老人の死亡案件処理」も引き受ける専門業者で、埼玉の方から来ていただきましたが、そんな専門家が見積もりに来て現状を見せたところ、5秒ほど立ち尽くしてポカーンとしていた後に「この清掃は、完全に特殊事例に該当しますので、費用が掛かることはご容赦いただけますか?」と言い出しました(苦笑)

また「これは一人で何とかしようとしてはいけない案件です」とまで言われて、ある意味納得の上で依頼しました。


しかし、今回の事で、介護・医療関係者や、同じ境遇の方々とお話しする機会がたくさんあったのですが、どうもこの「ゴミ屋敷製造老人」は、決して珍しい話ではなく、意味もなくモノを買い込んで、使いもせずゴミを増やすというのは、個人というより「世代の持つ精神的な病理」と言えるもののようです。
で、結局5人ほど来ていただいてそれらのゴミの分別や廃棄、敷地内に転がっているゴミのをまとめると、2トントラック2台分のゴミが出てしまい、オマケに食品が腐敗していたためその清掃と、そこにネズミや害虫が発生していた事も有り、別の駆除業者に、家全体の徹底駆除と消毒も必要となり、費用総額は優に三桁諭吉様に達してしまいました(泣)
そのうえこれでもまだ、実母の自室の清掃とゴミの廃棄が別にあるという始末で、ありがたくないというより、非常に厄介な「遺産」と言えるでしょう。
ここで「遺産相続」に関してですが、一般的には被相続人の資産の相続という「ボーナスポイント」的な受け取り方をされていると思いますが、自分はその考え方が大嫌いで、相続人は、被相続人の「人生の正負を全て受け継ぐ」べきものであり、それらをひっくるめて「ドンと来い!」と肝を据えてかかる覚悟が無い人間は、欲に駆られて身の丈以上の相続を欲すると、「身の破滅」に繋がるという事は、間違いが無いことだと自分は思っています。
さて、実質10月から2か月ほどこの整理に忙殺されていました。
まあ、何処かに遊びに行こうと思えば行けない事もなかったのですが、何時「ご家族をお集めください」という、「危篤の連絡」が病院からいつ来るか分からないうえ、他の親族は間違いなく間に合わないので、自分は出かけても1時間以内で病院に駆け付けられる事が大前提でしたので、ロードバイクでのロングライドは封印となり、7月末からこのブログと共に「封印」していました。
◆臨終と葬儀
終末医療医院に転院して1か月たった12月に入り、病院より「心拍が安定しないので急いで来てください」とあり、その日は大丈夫だったのですが、駆け付けて面会した時が最後となり、翌日息を引き取りました。
結局最後はだれも親族に看取られることなく、突然心拍が弱って自分に連絡が来てから5分後には、心拍停止で死亡が確認されました。
生前は賑やかな実母で、親族や知人もたくさんいたはずなのですが、コロナの影響もあり面会が制限されているとはいえ、誰に最後の挨拶をするでなく、「だれにも知らせないでくれ」と言い出して、まあ自分に言わせれば勝手に旅だってしまった事は、本人の本音や心情はともかく、今まで生きてきた関わり合いを自分から断ち切って、誠に自分勝手に自分の人生を閉じてしまったわけで、生前より「一人称人間」で、すべてが自分しか無かった人間の最後としては、それにふさわしい寂しい最後だったと言えます。
 
勝手に旅立つのはまあ仕方ないとして、残された人間はそうはいかず、やるべき事が山のように残されています。
此方も初めてではないので、戦闘モードに突入すれば済みやかに作戦行動に移行し、お恥ずかしい話、「危篤」の報を受けて病院に向かう間に登録して会員になっている(既に4回利用しているお得意さん)葬儀社に遺体の引き取りと葬儀の段取りの連絡をして、臨終を確認後は速やかに近い身内から順に連絡を取り、葬儀に向けての準備を進めます。
全くまるで全てが計画されたように行動していて、1週間前には喪服もクリーニングに出してあったとは、これが不審死なら間違いなく「容疑者」として取調室に連れていかれていましたねぇ(苦笑)
臨終後2時間で葬儀社に遺体を引き取ってもらい、葬儀日まで予定の式場で保管してもらいます。
以前ならまず自宅に一度搬送して葬儀日を待つという感じでしたが、最近は葬祭場も霊安施設などがあり、遺体の腐敗処理(エバーミング)や化粧直しなどを行って、葬儀場で何時でも関係者が面会できるようにしてくれます。
葬儀の日程は主にその地域の「火葬場」のスケジュールが優先され、時期によっては混みあう事も有り、大安や友引を避けたり、土日に集中したりと思うような日程が取れないケースもあります。
自分の場合以前12月28日に叔母が死亡したときは、焼場も公共施設で既に休みに入り、しばらく葬儀が出来なかったなんて事も有りました。
また居住地域以外で死亡した場合なども、基本的に火葬場は立地している土地の住人が優先であり、住民以外は費用も高く取られるなど面倒なことが増えるケースもあります。
葬儀もコロナ禍だった影響があり、家族だけでひっそりと行う「家族葬」が一時期はほとんどでしたが、栃木県にかんしては、新聞の「お悔やみ覧」を毎日観察したところ、約7割は普通の葬儀を開いていた事も有り、自分も通常の形で葬儀をするという事で、葬儀社を通じて主要な新聞に掲載してもらいました。
実母は自宅で介護状態になってから知人との連絡が途絶えていて、連絡が行き届かないと後日焼香に来られる事となり、それはそれで面倒(汗)なので、出来るだけ通夜と本葬に来てもらう配慮はしておきました。
これで来るかどうかは本人の人徳次第でしょう(苦笑)
喪主のベテラン(苦笑)の自分の見立てでは、限られた親族とごく親しい知人だけでこじんまりとした葬儀を想定していましたが、驚いたのは自分が以前いた職場の元同僚が結構来てくれたことで、人の繋がりは暖かいモノですね。
反対に実母の知人はあまり来ることは無く・・・・失礼ながら同年代の場合その方々も棺桶に片足突っ込んでいるケースも多く、晩年の人間関係について考えさせられる葬儀でした。
◆役場への手続きと相続について
葬儀が終わったからといってホッとできないのが手続き関係です。
基本的に医院などで死亡した場合、「死亡診断書」がでてそれを葬儀社に渡して手続きをいたくして、「埋葬許可書」を役場に申請します。
家族が行うのは、同じく死亡診断書をもって、役場に「除籍手続き」と、国民健康保険の場合、その終了手続きを行います。
年金に関しては「年金事務所」に別途申請を行いますが、おおむねここまでは1日有れば何とかこなせます。
 
で、ここでもお金の問題が出てきます。
死亡した本人の銀行口座などは、新聞などのお悔やみが掲載された時点でロックされてしまうのものでしたが、銀行によってはそこまで手間をかけられないらしく、これは金融機関によって対応が分かれます。
経験者はご存じだと思いますが、「親が死んで直ぐにATMに行って親の口座からお金を落とした」が、常識(苦笑)でしたが、最近は特殊詐欺の影響もあり、ATMも一日20万円以上は下せないので、ケースバイケースですね。
自分の場合これも計画的に(苦笑)以前より必要経費は少しずつ引き出しておきました。
これもあまりに計画が過ぎたようで、入院費用や備品購入、自宅の清掃や葬儀関連の費用など、用意しておいた金額ほぼピッタリの出費でした。
相続に関しては、1銀行の口座や株券など、2不動産、3生命保険、4遺品などの物品に大別されます。
それらは色々な手続きがあって面倒なのですが、公的証明として絶対に必要になるのが、死亡した本人の「除籍証明」です。
宇都宮市の場合は届け出があってから2週間で本人が除籍された「戸籍謄本」が取れますので、これが死亡した公的証明として絶対に必要になります。
あと相続は民法上3親等の親族までが対象に成りますので、それを確認し、相続人との関係を証明する「原戸籍(全部記載)」と、相続者の戸籍謄本、また捺印する印鑑はすべて「実印」となりますので「印鑑証明」がけっこな枚数必要になります。
自分が一番最初に手続したときは、何にどんな書類が必要か全くわからなかったので、市役所の出張所の所員と顔見知りになるくらい、手続き先で「不足しています」と言われて、トボトボと何度も取りに行ったものです(笑)
基本的に相続関係は、同居していて、実子であればあまり面倒な事はありませんが、被相続人に子供がいない場合、先の3親等の親族がすべて相続対象に成りますので、人数が多いほど面倒になります。
また「遺言書」で親族以外に相続を指定された「遺贈」のケースも、遺言書を公的書式にする手続きが必要でこれも面倒になります。
養子が居る場合も、養子は2種類あり、普通の養子の場合、養子先の親だけでなく実の親の相続の権利と扶養の義務が生じますが、「特別養子」の場合、戸籍上に、実の親との親子関係は記載されず「いなかった」事にされるため、相続は発生しません。
まあ普通の家庭の場合あまり込み入った相続にならないと思いますが、そういう事情があるのに、親が遺言状をちゃんと用意して公正証書にしていない場合、結構厄介な事に成ることも少なくはありません。
ちなみに遺言状は本人の「直筆の署名」が絶対条件で、数件出てきた場合は日付けが新しいものが有効になります。
実は我が家の場合、このあたりが非常に複雑で珍しいケースが含まれており、家系も遡ると結構面白い事に成っていたり、まあブログで書けない分量の「やんごとなき」事がありましたから、自分は随分色々と勉強させられました。
もし、これが犯罪絡みだったら、横溝正史著作の「犬神家の一族」のような複雑な人間関係と、肉親同士の「愛憎」が渦巻いていた事でしょうね(苦笑)
相続も肉親であるが故、血が濃いからこそ、それこそ数十万円のお金で大乱闘の末絶縁してしまうほどもめるケースも少なくありません。
此処に不動産が絡むとさらに厄介ですが、自分の場合実母に不動産は無かったので銀行関係と生命保険(受取人に成っていた)の書類をそろえて郵送すればそれでひと段落と言ったところで、今までで一番簡単な手続きに成りました。



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ブログの再開、実母の末期がん発覚と入院まで [雑談]

まだこのブログに立ち寄ってきてくださる方がおられましたら、「お久しぶりです」!

まあ、なんとか身辺整理も進んできて、落ち着いてブログを書こうという気に成ってきました。

昨年8月に実母の末期がん発覚以来、自体が急速に進行していきました。

担当医の見立ては「早ければ年内に」というお話が最初から飛び出して、事実その通りに成り、12月6日に西方浄土に帰らぬ旅に出てしまいました。


その間あまりにいろいろな事が、振り返る暇もなく自分に降りかかり、とにかく平常心を心がけて事に当たってきました。

まあ、自分としてはこの事を振り返るつもりは毛頭ありませんが、とにかく何があったかは纏めておこうという事に成り、長らく休止中のブログの再開と相成りました。


相変わらず長文で無駄にクドイ表現の記述に成りますので、真剣に読んでいただけないとは思いますが、おそらく同じ境遇の方が困っていると察しますので、幾何かお役に立てればと、何があったかを書き綴ってみます。



◆新型コロナと肺がんの発覚・進行について

肺がんの自覚症状として、痰が出るとか胸に詰まりがあるとかは1か月ほど前からあったようですが、コロナの感染をきっかけに一気に症状が進行して、総合病院で検査しようという事に成りました。

固形物が取りにくく、食事が滞っていた事も有り体力が落ちていたのでそのまま入院という事に成り、改めてPCR検査で陽性反応がでたので、まずコロナでの隔離入院が必要になり、2週間の経過観察の入院と癌の精密検査を行いました。

とにかく最初の検査で肺のレントゲンの右下に7㎝程度の癌の影が映っており、ほぼ末期の「ステージ4」は確実視されていました。


しかし、一昨年もコロナ感染の疑いで呼吸器科の医院でレントゲン撮影にわずかに影があり、がんの疑いありという事で血液検査を行いましたが、その時点では「シロ」でした。

自覚症状の件なども考慮に入れると、急速に悪性腫瘍が拡大したことになり、あり得ない事例ではないとしても、余りに早すぎることが疑問でした。

まあ、巷ではコロナの後遺症やワクチンの影響とか色々言われていますが、その他の症状等を考慮すると、実母は確実に免疫が低下していたようです。


◆終末医療の選択

検査入院後、体力がやや回復したので2週間自宅で様子を見るという事で、別の医院で「PET撮影検査」を行い、肋骨に転移が認められた事と、後の検査で肺の癌腫瘍が壊死して右肺全体に癌細胞がばらまかれている事が発覚しました。

その時点で、高齢で体力が落ちているので、摘出も抗がん剤の治療もできないという事に成り、インターフェロン系の投薬も抗体の適合性が無く万事休すという事で、治療や延命措置をせず、痛みだけを抑えて穏やかに最期を迎えるという「終末医療」の方針が決まっていましたが、様子を見てから検討という事で自宅療養を続けました。


◆自宅療養の限界と、要介護認定

実はこの自宅療養が大変で、一応寝たきりでは無いので所謂「下の世話」がないのが唯一の幸いで、何が困ったかと言えば実母の生活習慣の乱れと食事の我儘が強すぎる事でした。

とにかく勝手な時間に寝て、夜中でも起きてゴソゴソするなどで、通常の時間での3食の時間に起きていないときが多く、食事の世話をする方とすれば「怒り心頭」でした。

おまけにほとんど猫のように(苦笑)「気に入らなければ、具合が悪ければ餌に口もつけない」有様で、体の為に必要なカロリーや栄養素を取らなければいけないという概念を持っていない事もあり、固形物が食べられないと用意した流動食を受け付けない事が増えました。


おまけに決められた薬を飲まない事の方が多く、飲んだとウソをついて枕元に隠していたりと、正直何でこんなクズの面倒を見なければいけないのかと、自分の精神崩壊しそうになってきました。


そんな時、我が家のかかりつけ医に、定期的にもらっている薬を取りに行ったときに、実母と自分の様子を見て「このまま息子さん一人での介護は限界で、早急に要介護認定を受けて介護ケアを受けるべきだ」というありがたいアドバイスと、関連部署への根回しをしてくれたので、地元の「包括支援センター」に行き、要介護認定の手続きを進めました。


手順としては、包括支援センターに申し込んで、介護認定の査定を専門の人間に依頼、要介護の等級が決定次第、その等級の援助内容にあった介護プランを、指定された介護プランナーが選定して、各種サービスが受けられるという感じです。

ま、これは悪口ではないのですが(笑)、なにせ「お役所仕事」なので、此方の都合で動いてくれることは無く、事務手続きの手順を順当に踏んだとしても時間がかかることは事実で、必要になるはるか前の段階で手続きを進める必要があり、実は我が家のケースもサービス認定は入院の後に決定通知があり、医療行為の入院の場合介護保険からの支援は無く、要するに「間に合わなかった」わけです。

 

実は3年前に痴呆の症状を拗らせて親子関係が崩壊しかけたときに、要介護を受けようとしましたが、実母が意固地になり認定を受けられなかったという経緯も有ったのですが、この手の話は珍しい事ではなく、介護する家族をとことん追い詰めているんですよ。


さてその後結局如何なる食事も投薬すら受け付けない実母に対して、完全に堪忍袋の緒が切れて、自分自身が介護することを放棄することにしました。

こう書くと自分は余程酷い冷血漢にしか見えませんが、実はここで真面目に自分ですべて解決しようと思い込む事は大変危険で、よくて親に暴力を振るうようになるか、悪くすれば「一家心中」などという悲劇に向かって一直線に成ってしまいます。


まあ言葉通りに放り出す訳では無く(苦笑)、担当医の指示で食事を受け付けなく成ったら入院させてくださいという指示に従ったわけです。

これも困った老人看護あるあるなのですが、家族の言う事はミジンコ程も聞かないくせに、医者のいう事は淡々と従うという、家族からすればウンザリするような親は決して少なくないようです。

 

そして入院前に、親戚と知人に連絡して「本人最後の面談」の段取りを付けました。

ご存じの通りコロナ禍の中、ほとんどの病院は「面会不能」状態であり、お見舞い出来ない以上、入院すれば次に会えるのは良くて「臨終の際」という事に成り、まだ意識があって会話ができるうちに自宅に来てもらって、最後の面会をしてもらいました。


親戚達にも余命が年内という事で説明して来てもらいましたが、当の本人は「ただ風邪ひいただけだし」と強がりなのか見栄なのか、来てもらった親戚が当惑する始末で、特に実弟はお別れに来たのになんだ!あの態度は激怒して帰ってしまう始末で、まあ本当に居るだけでトラブルの面目躍如のフィナーレを飾ってしまいました(苦笑)。

 

入院後はモノが無いと喚くは、夜中に苦しいとナースコールも使わず騒いで個室に強制送還されるはで、ほとんど最後の悪あがきを繰り広げておりましたが。


◆終末治療専門医院への転院

その間も終末医療を行う医院や施設を選定していただき、転院に備えましたが、栃木県で末期がんの終末医療を専門に行っている大病院は「済生会病院」と「国立がんセンター」しかなく、またこちらはもっと重篤な症状、要するに痛みがひどく本人がかなり苦しまなければいけない患者が優先されるそうで、実母の場合そこまでの痛みを伴うことなく、呼吸が徐々にできなくなってくる苦しさがメインに成るようでした。


そこで、広義の終末医療を受け入れているる医院や施設・・・・・まあ口が悪い人に言わせれば「現代の姥捨て山」と揶揄されていますが、治療行為をせず穏やかに最期を迎えるための処置、ハッキリ言えば痛み止めやモルヒネなどを使って、胃ろうや人工心肺装置などは付けず、心肺停止による蘇生処置もしない医院を選抜してもらい、実母の生家のすぐ近くで、通っていた中学校の目の前、更に自分の親の墓地が目の前にあるという場所の医院を、最期を迎えるのにふさわしいという事で選ばせてもらって、そこに転院する事に成りました。


転院の手続きで久しぶりに顔を合わせて・・・というより、おそらくこれが最後の会う機会に成りそうでしたが、此方は手続きで忙しく、特に感慨がわくことは無かったのですが、実母は転院する病院が、自分の両親も入院した病院で、自分の最期を迎える病院であることは理解しており、別れ際は気のせいでなければ目が赤くなっていたと思います。


なんというか話が湿っぽくなってきましたが、実はここからが自分にとってはまさしく「悪夢」で、思い返したくない程の苦労が待ち受けているのでした。


続きます。






 





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全国の基地祭再開!今回は千歳基地にバイクでアクセス [オートバイ]

北海道千歳市の、航空自衛隊千歳基地にて、7月31日に「千歳基地祭」が、3年ぶりに開催されました。

まあ、此処に限らず陸海空自衛隊のイベントは、ほぼ3年ぶりの開催に成っています。

コロナ禍第7波・・・・もう止めましょうよこういった茶番は!


と書きながら、この記事がアップされなかった原因は、自分が「コロナ感染者」に成ってしまったからです(泣)

実は今年は5月連休前頃から持病の「副鼻腔炎」が再発したようで、頭の芯が重く鼻水が出る症状が続いていて、身体も怠く調子が今一でした。

それがこのところの暑さで体力が落ちていた影響で、千歳に行く1週間前くらいから症状が悪化していて、熱は無く抗体検査でも陰性だったので、スケジュールを強行しましたが、帰宅翌日から高熱が出てしまい、簡易抗体検査で陽性が出てしまいました。

恐らくコロナウィルスの感染そのものは、早い時期からあり潜伏してたけど、体力があるうちは症状が出なかったものの、旅の疲れで一気に症状が出てしまった感じです。

自覚症状も無く、抗体検査程度では検出されない「キャリア」の存在は、巷で聞いてはいましたが、まさか自分がそうだったとは?

結局この状態では通院しても意味が無いと、コロナ禍初期の頃に買い溜めておいた「解熱剤」や「症状緩和の漢方薬」「パルスオキシメータ」「栄養補助食品」を活用して、自主隔離で自宅療養で回復させました。


さて肝心の千歳基地祭ですが、以前ですと自家用車で行くか、飛行機で行ってレンタカーを借りる等と言う交通手段を使っていましたが、今回は経費節減の目的で、バイクを使って大洗から「三井商船フェリーさんふらわー」を使うことにしました。

なにせ運賃が自動車で行くと片道42300円の所、400ccまでのバイクだと12600円と1/3以下と言うのは非常に大きいです。


この日は首都圏より北海道ツーリングを目指すライダーが集まっていました。

うんうん、みなさん本当に良いバイクをお持ちで、原付2種なんぞ俺しかおらんわ!
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出航は19:45なのでまだありますが、なんとも暑い一日でした。
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この「さんふらわーさっぽろ」ははじめてのるふねです。
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まだ新しい船のようですが、そういえばサンフラワーはトラック火災で一隻失っていましたね
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流石最新の船で、排気煙が全く見えないし匂いもほとんどありません
揺れも無く快適な船旅ですが、まあ特にやる事も無いので、自分のベットに籠って、パットに入れておいたアニメ鑑賞で時間を過ごしました。
翌日の午後に苫小牧に入港して、この日は札幌の格安ゲストハウスに宿泊しましたが、部屋の内容はともかくエアコンが無い部屋で(笑)今年一番の暑い日にエアコン無しなんて(泣)
なんか寝不足でふらふらしますが、朝ごはんを「すきや」で焼肉定食を食べてスタミナをつけて・・・・あれっ・全く北海道らしい観光していないぞ(笑)
さて「千歳基地祭」ですが、完全復活という訳ではなく、入場制限を設けて、一部展示機材を新千歳空港側に設けたりしましので、通常の混雑も無く、特にオートバイはそのまま敷地内の駐輪場まで入れるので、非常に便利でしたね。
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ああっ、このために免許取ってバイクを購入したようなものだものなぁ(笑)
千歳基地は何度か訪れていますので珍しい事は有りませんが、おっ!ゲートガードのF104だ!
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自分が飛行機趣味を本格化させたのは1993年からですから、現役でこの機体の飛ぶところは見ていないですね。
会場には「ブルーインパルス」のT4がスペア機含めて7機勢ぞろいです。
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スペア機は本当に必要なの?と思われる方もいると思いますが、自分は前日にバードストライクのエンジン故障やトラブルなどで、このスペア機が稼働しているのを数度目撃しています。
先に書いた通り入場制限があるので、基地祭としてはガラガラですね。
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でも自分が見始めた90年代の頃は、地方の基地祭など行くとこんな物で、比較的ガラガラでしたよ。
記念塗装のF15です
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F2戦闘機ですが、何処から?
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これは基地警備隊の警備車両です。25㎜ブッシュマスター機関砲が回転砲塔に装備されています。
対空は目視?ということで、ミサイルなどの高速目標はあまり有効ではない?
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これはF15に装備されているAIM7M「スパロー中距離ミサイル」ですが、もとは「ベトナム戦争」で使われたという骨董品で、一応最新型とはいえ、常に誘導が必要な旧式ミサイルで、こんなモノを持たされて任務する隊員の気持ちは計り知れません。
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F15は電子装備の最新規格の通信モジュールや配線を施した改良型と、従来型の旧型のシステムの2種類があって、千歳の機体は旧型で、最新型のミサイルが使えない方なのですが、かつての東西冷戦の最前線で、常に最新鋭機罪で仮想敵国と対峙していた千歳基地も、ここ最近は装備品で冷や飯を食っているという所のようです。
さて、千歳基地祭りのお楽しみは、「政府専用機」を含めた大編隊のパレードなんですが、今回はお預けという事のようです。
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写真の方も自分は一眼レフを持っていないので、望遠のついているコンデジですが、モードや露出など調整すればもう少し奇麗に撮れますが、まあこの天候だとこんな物かも。
最近珍しくなくなってきたF35Aですが、三沢基地から飛来した機体が経過飛行していますが、この機体の明細塗装や機体形状は、カメラのAFの機能を欺瞞する傾向があるらしく、AFのピントが外される傾向にあります。
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冗談でもホラ話でもなく、これもステルス機能の一つで、光学標準を外せるように成っているとか。
流石に見慣れましたがやっぱりこの「寸胴ステルス」のフォルムは、もし昭和の時代にこれが飛来したら確実に「未確認飛行物体」扱いですね。
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F15の機動飛行ですが、空域設定の問題もあるのか、高度を上げる縦系の機動は控えめ?かな
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まあ過去に宮崎で教導飛行隊や岐阜の飛行実験隊の、キレッキレの飛行などを見ていますので。
ブルーインパルスも、午後から低い雲が出てきたので、縦系の演目は無しです。
あとスモークですが、以前より「ちょっと薄くてすぐ消える」かなぁ?と思っていましたが、他の人に聞くとやはり同意見で、航跡が上空の気流等で直ぐに消えてしまい、特に曇っていると背景とのコトラストがハッキリしないので、あまりきれいに見えないですね。
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これは環境問題とかもあるので、鳥も通わぬ砂漠の基地で演技するのとは条件が違いますよね(笑)
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演目は、4機が着陸態勢に移る創設以来伝統の演目「ローリングコンバットピッチ」と、ソロの最後の「コークスクリュー」でフィニッシュです。
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しかし、ここ数年のコロナ話材の影響で、通常のツアーが出来なかった中で、チームの練度と士気を保つのは、本当に大変だったと思います。
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ブルーインパルスも、基地祭が無かったここ数年は、各地で開催されているイベントの展示飛行が中心の活動でしたが、やはり開けた基地の上空で思いっきり機動飛行してくれる姿を見たいですね。
さて、基地祭も終わり何時もなら急いで帰宅と言う慌ただしい事に成りますが、一泊宿泊を入れているので、普段は行かないところにも行けます。
で、ここは温泉でしょう!という事で、Googleで探せば、流石北海道!至る所に温泉が出て来ます。
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ここは有名な温泉ではつまらないので、千歳市の東にある、牧草地帯のど真ん中にある安平早来町の「鶴の湯温泉」に行きました。
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観光地ではなく、地元の人が利用するのんびりとした温泉で、通常の観光ルートを辿っていては絶対に来る事は無い場所で、これぞぶらり旅の醍醐味ですね。
さて遅めのお昼を取ろうという事で、今度は同町にある地元のチーズ専門店に併設されている「レストランみやもと」さんでランチです。
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甘めに煮込んだ野菜の和風ソースに、たっぷりのチーズが溶け込んでいる、ジューシーなハンバーグです。
流石チーズ専門店のチーズで、柔らかいのに物凄い弾力で、その上風味が豊かな一品です。
多分、この旅で唯一食べた「地元素材のマトモナ料理」で、あとはコンビニやチェーン店でなるべくお金を掛けない食事が多かったのは、経費の節約と言うより、最近食に対する「執着心」が薄れてきたからかもしれません。
さて、帰路のフェリー便は翌日の夕方ですので、一泊して1日ノンビリ観光・・・と思ったらどんどん雲が厚くなってきて、10時頃には結構本格的に雨が降り出しました。
折角だからと「登別温泉」だけ行ってきましたが、海岸線沿いの国道236号線を走っていたら、横殴りの風雨でずぶ濡れに成ってしまいました(苦笑)
ま、フルカウルでフェアリングやロングシールドを追加したPCXでしたので、隠れている下半身とかはあまり濡れていない事を確かめられたのは収穫でした。
とはいえレインコートなどずぶ濡れで、このままフェリーに乗船するのもうっとおしいので、時間もあるので苫小牧市内にあるコインランドリーを探して、濡れた服を洗濯して、着替えもしました
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いや、此処で乾いた服に着替えられたのはラッキーでした。
洗濯待ちで座っていると、やはり旅行中の他のライダーの方も来て、やはり装備品を乾燥させていました。
最近そこそこの街に行くと必ずコインランドリーがありますが、車中泊やライダーのツーリングにとっては、気軽に選択ができる環境は、装備品をコンパクトに出来ますし、有難い限りですね。
15:00ごろになり、そろそろ乗船手続きが始まりますので、早めに苫小牧フェリーターミナルに行きます。
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ターミナルと言うだけあって、各社のフェリーが勢ぞろいと言う感じで、此処に集結しています。
しかし、雨がますますひどく成って来ましたので、案内があるまで屋内で待ちぼうけです
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ようやくアナウンスがあって乗船準備をしますが、此処でも結構待たされるので、折角乾かしたのにまたずぶ濡れに成ってしまいます。
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この後天候がどんどん悪化していき、出航後も結構揺れていましたが、津軽海峡を抜ける頃には揺れも収まったようで、翌朝甲板に出てみると、往復の航海で初めて青空が見えてきました。
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ちょうど金華山沖辺りを通過している頃ですね。
航路は沿岸近くを通っているので、携帯電話使えることが多く、Googlemapで位置は分かります。
最後に成って夏の海らしい空をようやく拝めました。
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ようやく此処に帰ってきました。
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と、何とかバイクと長距離フェリーを組み合わせたミッションをコンプリートすることが出来ました。

一人旅だと乗船中は暇をもてあそぶのですが、最近はお供のパットでアニメを見ているので、時間はつぶせますが、あまり旅情感は無いですよね。


バイクの方も、この夏はなんだかんだで3000㎞程乗り回したおかげで、大抵の所は走れるようになりましたし、悪天候も含めて装備品も確認できましたので、復活した基地祭に行く為のアイテムとして、大活躍してもらいましょう!


と、思ったのですが、先に書いた通りコロの感染でつまずいたと思ったら、今度は実母が検査入院の検査でコロナの陽性反応が出て隔離入院になり、自分も濃厚接触者として5日間の禁足となりました。


これで今月末まで動きが取れないだけでなく、実は実母の「肺ガン」が発覚し、隔離入院の後に検査入院と、年齢が年齢なので、既に摘出手術や放射線治療も手遅れという事で、抗がん剤による「延命」治療がしばらく続く事に成ってしまいました。


まあ、此処最近自転車そのものに乗っていない事もありますが、ロードバイクは1か月以上ご無沙汰で、「もうこのままロードバイク乗らなくてもいいかな」と思い始めた矢先の事で、自転車生活もひとまずお休みで、このブログもひとまずお休みする事にしました


まあ、辞める訳では有りませんが、多分しばらくは色々と忙しく、自分の去就も含めて環境が大きく変わる事に成る為、落ち着いてきて、心に余裕が出来たらひっそりと再開したいと思います。


それまで皆さんお元気で!




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ボンネットの先端の小さな錆を補修する [自動車]


最近めっきり乗る機会が減った自家用車ですが、屋根付きガレージにおいてあるとはいえ、風雨にさらされる事には変わりはなく、乗り出さなくとも段々汚く成って来ます。

本当ならボディカバーでもかけておけばよいのでしょうが、生活の脚でコレクターアイテムでもない自家用車で、いちいちボディカバーをめくるのも面倒と言う物です。


で、あまりに汚いので久しぶりに洗車してみましたが、ボンネットの先端にポツンとシミのような物が有り、擦っても落ちません
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まあ近くに寄らなければ気になる汚れでも・・・・・いやいや!これは汚れなどではなく赤錆では無いですか!
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恐らくボンネットの先端部でカバーもされていないので、飛び石が当たって塗膜が剥がれて(チッピング)、鉄の地肌が出たので錆が出てしまったのでしょう。
実は、自分前職でこういうボディの錆を防ぐ目的の開発での実験部隊の現場にいたので、「こうならないための対策」をするための鉄板の材質(亜鉛合金メッキ鋼板)や、保護塗料(チッピングプライマー)や、デザイン上当たりにくくする工夫(先端部の前方に樹脂カウルが来るようにするとか)のテストをさんざんやってきました。
ですが、この車はそれらの防錆設計が不十分・・・・というより、これ本当に過去のテスト結果反映しているの?と首をかしげるようなデザインや塗装でしかありませんでした。
ちなみに外観上錆が出る事は自動車の商品性に関係している項目で、まあそのままほっておくと、錆が進行して穴が開いてしまうのですが、車の4大安全性不具合の「止まらない、曲がらない、燃えない、走らない」という乗員の命に係わる部分では有りません。
ただ、新車がたかだか4年で外観に錆が出ているのは、所有する満足度が落ちる不具合では有りますよね。
まあ、このまま放置して置くと本当に錆が広がってみっともないので、最低限の補修をしておくことにしました。
まず錆は、少しでも残っていると、塗り直しても内部から膨らむ事が在るので、リューターで周辺の塗装も含めて錆を削ります
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この写真だと上端のふちに、若干赤黒い筋が残っていますが、これはNGでこの後この赤い部分が無くなるまで削りました。
地金が出た後、これをそのままにしておくと、本日のような湿気が多い天候では、あっという間に錆が浮いてくるので、手早く脱脂をしてからプライマー塗料を塗り、補修用のタッチペン塗料でその上に白い塗料を載せます。
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下地もっと滑らかであれば奇麗に塗装が乗るのですが、タッチペンではこんなもので、良く乾かしてから、もう一度重ね塗りをします。
近くで見れば粗も目だだちますが、遠目で見ればあまり気にならない程度には補修出来ました。
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まあ、目的は錆の進行を止める為なので、この後補修後から赤い点のような錆が出てこなければ、一応目的は達成したと判断できるでしょう。
しかし、大昔に自分の愛車だった、昭和61年式の「スバルレオーネRXⅡ」の時は、購入時に既に結構ボコボコだったので、数日かけて錆をサンドペーパーで落として、下地を作りサーフェーサーを塗り、錆止めのシャーシブラックや、白塗装をスプレーで施して仕上げていたことを、久しぶりに思い出しました。
あれから30年以上経ちましたが、まさか令和の現在で、最近の車に錆止め処置を施すとは思いませんでした

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ターマックの仕様を戻して快適に走るも・・・ [雑談]

しかし、この内容の書き出しもいい加減に呆れましたが、本当に天気が安定しません。


そういえば、昨日桜川市で地元のお年寄りの方々と雑談しましたが、地域の「桜川」が昨年氾濫したそうですが、70歳になる方も、生まれて初めて見た光景だったそうです。

宇都宮市も3年前の台風19号の時、宇都宮駅前の「田川」が氾濫しましたが、これも終戦直後に氾濫してからおよそ70年ぶりの氾濫で、しかも両方とも戦後に治水事業で河川改修されたのにもかかわらず氾濫した事実は、現状の天候は想定外の規模で進行しているという事なのでしょう。


そう大げさな話では無くとも、こうなると自転車等のアウトドアは計画の立てようも無く、お勤めの方は休日の天候が悪いと、本当に暫く出かけられないという事に成ります。

ま、その辺りは自由人の特典と申しましょうか(笑)、もうその日の朝の様子を見て自分の判断を信じて(笑)出かけられます。

昨日は天気予報では曇りで、最高気温30度という事ですが・・・・まあ出かけてみれば良い天気で、気温もうなぎ上りに上がっていきました。


久しぶりに夜明け前の4:30頃自宅を出ましたから、これまた久しぶりに朝日が拝めます。

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本日はターマックのホイールをWH9000 C24から、キシリウムSLRに変更して出撃です。

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この所、色々調整して何とか良い感触に成って来ましたが、どうもこのフレームとWH9000が相性が良くない気がしていて、ホイール以外のコンポーネントを同じにして比較してみましたが、少し転がしただけで全然感触が良くて、元に戻して正解でした。
WH9000とキシリウムSLRは、重量はほぼ同じで、ハブの回転フリクションとかはSLRの方があるはずですが、やはりリムとスポークの剛性の違いが大きいのでしょうね。
これはターマックのフレーム剛性との「相性」というより、重力級の自分の場合、ホイールは剛性が高いものの方が推進効率が良くなるという事です。
ちなみにこれは昨年秋の状態ですが、タイヤが「パナレーサーRACE A EVO4」ですが、タイヤ特性よりこのホイールの違いが大きいようですね。
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実はこのキシリウムSLRはお気に入りのホイールなのですが、スポークがカーボンチューブで支える特殊な構造で、ハブの締結部が摩耗してしまう構造上の問題があり、使用頻度を下げていました。
まあ、最近ロードバイクの使用頻度その物が下がっているので(苦笑)、あるものは使ってしまおうと・・・
さてこの日は日差しが出て、朝のうちは本当に快適に走れました。
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しかし気持ちが良いのは気温が低いうちだけで、既に8:00を過ぎたあたりから気温が30℃を超えてきて、くらくらするなと思ったら、気温計は35℃に達していました。
なんか久しぶりに此処まで来ましたが、結局元に戻したターマックは快調で、調子に乗ってペースを上げると、今度は暑さで「オーバーヒート」でスローダウンしてしまいました。
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もともと午後には天気が崩れるからと、朝早く出てお昼ごろには帰宅する予定でしたから、早々に帰宅できたのは幸いでした。
?
しかし、この分だと「想定通りの夏」が訪れるという保証が無さそうですね。
各種イベントなど、例年の天候を想定してスケジュールを組んでいる場合も多く、これ以上天候が「拗れる」とどうなる事やら・・・・・


タグ:異常気象
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違和感ある天気もチャンスを見て走る [雑談]

もう完全に天気予報が当てになりません。


北関東は不安定な天気で、湿度が高い空気が吹き込んで曇り基調で所々激しく雨が降る・・・だったはずですが、一昨日朝起きてみると、空気は澄んでいて空も高く、雲は覆いながらも明らかに晴れで、気温や湿度も快適で、このチャンスに走らない理由は無いと、何時もの北回りコースを走りました。


しかし、明らかにこの時期の天候では有りません

衛星画像を見ると、日本付近は南北に気流が流れていて、台風崩れの低気圧が停滞していて、大きなオホーツク高気圧に通せんぼをさせられているようにも見えます。

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これは、気象学と言うより自分が走っているときに感じる「空気感」なのですが、常に三種類の季節の空気が、入り乱れて流れ込んできて、ある時は蒸し暑くて翌日は肌寒く成り、その変わり目は強風が吹き荒れると今度はカラッと晴れた天気が来る・・・と言うように、穏やかな季節の移り変わりと言う物は崩壊していて、気候が常に変動しているという様子が、ここ数年続いていて、今年はそれが更に顕著に成っているようです。
と、ここで素人のお天気話など何の根拠があるの?という事に成りますので、ヨットで日本一周をしたこともある気象予報士で、「ウェーザーニュース」の重鎮でもあり、TVの気象予報統括等を務めていた、「笠原久司」氏のツイッターに、詳しく解説されています。
天気予報も、特にTVで奇麗なお嬢さんがキャピキャピしながら原稿通り読まれている、定型化された天気予報の、かなりデフォルメされた内容を鵜呑みにしても、自分がバカを見る・・・場合によっては命のかかわる事もあるので、特に業務やアウトドアなどで天候が活動にリンクしている方々の場合、基本的な気象知識を持ったうえで、自分の目で見て、肌で感じて、正確な情報をもとに、自分で判断する必要はあると思います。
と、くどいお話は此処までで、結局昨日も曇りの予報は大外れで、宇都宮市周辺はまるで夏終わりのような爽やかな朝で、予報ではかなり強い北風が吹く事に成っていましたが、一昨日も同じ同じ予報で完全に外れていましたので、自分の見立てを優先して、久々に筑波山へ出かけました。
LOOKを出すのも久しぶりですね。
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LOOKには新装備です!
と、最新のサイコンとか高性能のライトとかでなく、今更なのですが、単三電池を使える小型のLEDライトで、キャッツアイのHL-EL145です。
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これは20年くらい前からあるシリーズの最新式で、自分がクロスバイクを始めた頃はHL120と言う商品でしたが、基本的な筐体は継承しつつLEDやリフレクターなどを改良して続いている商品です。
大体昔はロードバイクなどを始めると、このライトを初めて買うのが定番で、防水性が無いなど多少の欠点はあるにせよ、手ごろな値段で、市街地での通勤や通学の範囲なら十分使える商品です。
こうやってある程度の手ごろな値段を維持しながら販売を続けてくれるキャッツアイの姿勢は素晴らしいです。
で、最新式で「若干」明るくなったこの商品を試したくて購入してみました。
確かに多少明るく成っていて、配光が昔よりスポット方向で、より集光されているようで、流石にロードバイクで30㎞/h近い速度で、街灯も無い山野を走るのには全く使えませんが、シティサイクル程度の速度で住宅街を走るのなら十分使えるでしょう。
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まあ、自分の場合ナイトライドがなければ、昼間は「ディライト」として点滅で使用しているので、それに「VOLT800」を使って、バッテリーを消耗させることも無いだろうという意図もあります。
流石に点滅モードでもVOLTの方が明るいですが、普段のトレーニングならこれで十分でしょう。
ロングライドイベントなどの場合、慣れないところを走りますし、不意にトンネルなども現れることもあるので、これは迷わず明るVOLTを選びます。
さて、自宅を5:30に出ましたが、先の書いた通りこの季節としては望外の爽やかな気温と湿度で、こういう天気で走らない理由がありませんよね!
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田んぼも稲の緑が鮮やかで、「緑のじゅうたん」に黄金色の朝日が差し込む風景は気持ちが良いですね。
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筑波山も、周囲の風景も含めて本当に緑が濃くなりました。
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このコースは大体125㎞のコースで、風向きだけは予報通りで(笑)往路は順調に進み、帰路は向かい風に成りますが、夏の向かい風は以外に厳しくなく、当初風速5~7m/sとの予報で覚悟していましたが、其処まででもなく、北東から北北東の風向きだったので、思ったより消耗しないで帰宅出来ました。
まあ本来ならこの時期もっとロングライドをこなしている「はず」ですが、その点を悩んでも仕方が無いので、今は「走れるときに、走れる距離を、走れる強度で、淡々とこなす」ですね。
が!、「こんな時ですが」という注釈が必要な事態に成ってしまいました!!
元首相の白昼堂々の暗殺と言う、まるで映画のような出来事が現実に起きてしまい、いまやTVを付ければ政治家たちは「民主主義に対する挑戦に屈することなく云々」の大連呼となっています。
まあ、いまSNS上で迂闊な事は書けませんが、個人的な意見として、既に多くの人が当たり前にあると信じている民主主義と言う物は、既に瓦解し始めているのではないかと思っています。
それは怠惰な保守系政治家、無責任な革新系政治家、低俗なマスコミ、無知な国民、傲慢な国家指導者、資本至上主義のエコノミスト・・・・誰が悪いのかと言うより何が悪かったんでしょうね。
ハッキリしている事は、「今後何が起きるのか解らない状況が、より激化して進行していく」という事で、この天候の変化程度で音を上げてしまうくらいでは、到底乗り切れない世の中になると考えれば、此処は肝を据えて体調だけでも整えておく必要がありそうですね。
まあ、こんな事しか出来ない自分が歯がゆいですが、これも現実で、この現実と冷静に向き合って、色々と乗り越えていきたいですね。

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自衛隊イベント再開で、富士の裾野までツーリング [オートバイ]

やっとと言うべきか、ほぼ3年ぶりに各種イベントが再開され始めました。
ほぼ無意味と言えたオミクロン株以降の自粛と言う名の同調圧力で、本当に多くの人達の日常や生活さえ破壊されたという事を、絶対に忘れません!
さて、個人的には自転車イベントと、以前より趣味であった陸海空自衛隊、駐留米軍の基地祭りや一般開放で日本中を旅するというお楽しみが再開できます。
以前であれば週末の休日を利用して、宿や航空券、フェリーなどを予約してほとんど「強行軍」で、要するに「お金で時間を買った」遊びであったわけですが、今は時間はタップリあるので、今回はバイクで下道を使ってノンビリと現地を目指すことにしました。
今回は7月2日に静岡県御殿場市にある陸上自衛隊富士駐屯地・富士学校の68周年記念行事に行きました。
ここで「自衛隊の基地に何を見に行くの?」という初級者の方々への疑問にお答えします(笑)
基本的に「基地祭り・一般開放」の目的は、各基地の日頃の活動を隊員の家族や関係業者、地域住民に披露して、自衛隊への理解を深めてもらうための物です。
まあ学園祭や文化祭のような物だと思っていただいて間違いありません。
昔は・・・・まあ自衛隊は長い事「武力を放棄した平和な国にある邪悪な存在」として、非常に世間の「風当り」が強かった時期が長かったので、本当に「身内」と「地元」の人達だけだったのが、例えば航空自衛隊の「ブルーインパル」のようなメジャーになったイベントだけでなく、海上自衛隊の艦船の一般公開や、陸上自衛隊の駐屯地の記念祭なども、全国から多くの方々が来るようになっています。
しかし、小学生がいきなり「M4だけどファイアフライじゃないだよ」とか、若い男性のグループが「やはり日本の艦艇は艦首に向かって上甲板が畝ってフレアが付いている方が」なんてマニアチックな内容が聞こえてくるのは、明らかに「ガールズ&パンツァー」「艦隊これくしょん」の影響なんだろうなぁ(苦笑)
さて、今回は以前検討したコースをサイコンに入れておいて、宇都宮市から県道や市道などを最短距離で繋いで、青梅市経由で八王子に南進して、そこから「道志道」で山中湖を回って御殿場に行く計画・・でした(苦笑)
一応青梅までのコースと、それ以後のコースに分けて入れておいたので、青梅でデータを入れ替え・・・あれれ?なんかサイコンがフリーズして入らないぞ?
その時は原因が分からなかったので、苦心惨憺してようやく検索出来たデータで御殿場に行き先を入れ得て走りだしたのですが、どうも八王子ではなく段々山の中に入っていきます。
この和田峠ですが、どうも地元の「山好きサイクリスタ」の聖地に成っているようです。
しかし宇都宮の聖地、ジャパンカップコースの「古賀志」の激坂が10㎞続くような(イメージです)難コースで、わしゃ此処を走るのは無理じゃな(苦笑)
なんとか道志道に出て、後は順調に御殿場の富士駐屯地に到着しました。
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早朝3時頃自宅を出て、12時頃現地に到着ですから、山中をさまよった時間も含めて9時間ほど走っていた事に成ります。
289㎞ですので、やはり下道使った移動としては300㎞/日辺りが限界のようですね。
基地祭りのお楽しみは撮影ですが、機材もバイクだと「何でもかんでも」とはいきませんから、出来るだけ簡素にする方向です。
以前ですとビデオや一眼レフカメラ持ち込んで、撮影に夢中になっていましたが、最近は重い機材抱えるのが面倒で、センサーは自分の五感、メモリーは自分の記憶にと決めています。
さてこの富士駐屯地は、富士学校や装備の試験部隊もあるので、展示品も数多く、珍しいものも展示されています。
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知る人ぞ知る、大戦中のアメリカ陸軍の「M4シャーマン」ですが、陸上自衛隊の創世記に米軍から供与された戦車です。
終戦後は既に旧式に成った戦車ですが、こんなものを短期間で5万両も量産するような国とは、絶対に喧嘩しちゃいけないですよね(笑)
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これはM4を流用した「戦車回収車両」です。
こう言った後方の支援車両や、補給物資の輸送車両などがちゃんと機能していなければ、いくら高性能な戦車を揃えても戦線は維持できません。RIMG7168.JPG
これは戦後国産戦車第一号の「61式戦車」です。
正式化された時点で、ソ連の「T54戦車」の性能と、特に生産数で太刀打ちできるのかは疑わしいといわれていましたが、自衛隊の他の装備と同じで、実戦に投入されることなく、敵国に一発の実弾を撃つことなく退役しました。
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74式もそのすべてが退役直前ですが、この車体も実戦を経験しないで余生を迎えそうですね。
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ただ、噂では、先行試作車が、秘密裏で米軍に渡され、「ベトナム戦争」にて、実戦に投入されて、現地で目撃された?なんて話もありますが、モビルスーツじゃあるまいし、そんな漫画みたいな事は無い・・・・とは言い切れなくて、実際秘密では無いにしても、アメリカ空軍の「ノースロップF5フリーダムファイター」は、試験機での実戦部隊を編成して、作戦展開していたそうです。
少数の部隊ですので、日本語の少しだけ・・・をもじって「スコシタイガー」と呼ばれていました。
これは現在主力戦車の「10式」で、「ガルパン」で大洗学園のコーチを務めた、自衛隊の蝶野一尉が搭乗して、C2から投下された戦車ですね。
そういえば蝶野一尉は、設定上ここ富士の所属に成っていましたね。
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16式は最近世界的に流行っているキャタピラでない装輪式のAFVで、路外走破性は劣りますが、ある程度道路網が整備している国なら、輸送車両など必要なく、自走で高速展開できるメリットが受けているようです。
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この後演習場で演習展示があり、上記の車両の機動展開や、演習用の空砲を使った射撃の展示があります。
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演習用の空砲なので、装薬量は少ないのですが、一般人は効いたことのない「咆哮」で、アナウンスでしきりに大きな音への注意がされていました。
しかし、戦車などの大排気量ディーゼルエンジンの唸りや、無限軌道のきしむ音、排ガスと砲撃の硝煙の混じる匂いなど、久々に堪能できました(笑)
もっと長く見ていたかったのですが、流石に300㎞バイクで走ると疲労もたまりますし、高地で気温が低いとはいえ、やはりかなりの猛暑でしたので、早めに切り上げて、温泉に入ってから富士市のビジネスホテルにチェックインしました。
翌日は色々見て回る予定でしたが、天気が悪くなる傾向でしたので、早めに戻る事にして、寄り道せず、基幹国道を繋いで最短距離で帰宅しました。
往復で約600㎞、燃費はPCXの燃費計で53.6㎞/リットルで、164円のレギュラーで、交通費は1835円、ビジネスホテルは5700円の所、じゃらんのクーポン使って4500円で、今回は殆どコンビニ飯で済ませたので、総額1万円以下で済みました。
ただ・・・・疲れますね流石に(苦笑)
距離だけならともかく、今回は記録的な暑さの中をすっと走っていたので、それで消耗したという事もあります。
しかし、途中で国道1号線の箱根峠などを走りましたが、本当にバイクが増えましたね。
これでは事故が増えるのも当然で、路肩や車線をまたいだ無謀なすり抜けも多く、これでは自動車の目の敵にされるのも仕方がありませんね。
自分はすり抜けはしない方針で、自動車からは邪魔でしょうが、制限速度プラス10㎞/h程度の巡航速度でポジションを確保して走っていましたが、自動車から無謀な煽りを受けたりとかの嫌がらせは無かったですね。
原付2種のPCXは、やはり制限速度の60㎞/h以下で、ノンビリ走る方が快適で、速度が遅ければ、それだけリスクも低減できます。
速度の出る大型バイクなど見るとかっこ良いので憧れますが、今の自分にはPCXが「ちょうど良い選択」である事は間違いないようです。


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古いロードバイクをコツコツと整備 [自転車本体]

先日ターマックの不調をレポートしましたが、昨日整備が完了して、本日はその確認に成ります。


改めて自分の所有する「2010年式スペシャライズド ターマックSL3 S’WORKS」を説明します。

この個体は2016年にフレーム単体で、販売当時39万円で販売されていたものが、10万円でヤフオクに出ていたもので、当時は手持ちの105系のコンポーネントで組んで使用していましたが、途中からマドンのおさがりの7900系のコンポに組み替えて、以後リアディレイラーだけGSに交換、スプロケを32T、クランクを180㎜に組み替えて、現在に至ります。

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昨年ホイールはレーシングゼロにして、ペダルエクステンダーや440㎜のハンドル等で、軽さを生かして高低差のあるコース向きにリセットしたのですが、そこまでは調子が良かったのですが、今年の春のイベント向けに、WH9000 C24をセットしてみたら、「あれれ?なんか思ったほどじゃないぞ?」となっていました。


しかも長い事乗らなかったのでご機嫌を損ねたらしく、ドライブトレインの清掃や注油等をメイにいにメンテをしてみましたが、特に何処かおかしいという事も無く、ホイールのハブもばらしてグリスアップして、改めて締め直しました。


加えてプレッシャーゲージで空気圧を厳密に測定して乗ってみましたが、それでもしっくりきません?

で、基本に立ち返り、ポジションを再計測すると、これも問題は無いのですが、念のため5㎜程上シートを挙げてみました。

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おかしいなぁ?前回結構この辺りは煮詰めたつもりだったんですが、結果から言えばこれでペダリングの違和感が低下して、リズムよく走れるようにはなりました。


結果的にその他の整備の結果、可動部がスムーズに動くようにはしておいたので、それらが総合的に効果があったようで、いやロードバイクはシンプルなメカでありながら奥が深いですね。

このターマックも、もはや「古典」ともいえる旧世代のバイクとなっていて、最新のバイクと比べてしまうと、振動吸収性や空力安定性、制動力、使途の正確さ等は、相当見劣りしている事は間違いありません。


とはいえ、販売当時は基本的には同一のグレードのフレームがグランツールで覇権を争っていた「ハイエンドモデル」は、一言で言えば「伊達ではなく」、今としてはそのシンプルな潔いまでのレーシーな切れ味が、まさしく「味わえる」と言う意味で、所有し続ける価値は十分あると思います。


で、何時もなら勢いで霞ヶ浦までGo!という所ですが、今朝は気温の高さに加えて湿度も高く、全身にべったり汗が張り付くという状態で、こりゃアカン!という事で早々に引き上げてきました。

関東地方は午後になると本当に電力の供給が足らなくなるので、何か些細な事でもパズルのピースが欠ける事でもあれば、一気に広域大停電という大惨事が発生しかねない状況のようです。


こりゃ昼間狭い寝室だけ冷房かけて寝ていて、夜中から活動する方がよさそうですね。



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涼しい所でツーリングの練習中!、防げ中高年の自爆事故 [オートバイ]

どうも、関東地方は梅雨が明けてしまったようです(笑)

そりゃこれだけ暑い日が続けば仕方が無いですよね。


で、昨日は涼しい所を求めて走ってきました。

オートバイで(笑)


だって、だって、これだけ暑いと山に行くまでにへばっちゃうし、登れば登ったでヘロヘロだし・・・・

はい、へたれました!(爆笑)


まあ、来月以降長距離のツーリング&旅行案件が重なっており、より安全にかつ快適に走る為には、自分自身のスキルを少しでも上げておかないと、「栃木県在住の57歳男性が、旅行中にオートバイの事故で死亡しました」とか、書かれてしまいますから(苦笑)、


最近目立っている「中高年ライダーの事故」ですが、明らかに技量不足による「自爆」が多いというのが、どうやら実態のようです。

これはリターンライダーの方にお聞きしましたが、やはり若い頃のイメージが残ってるのに、老化した運動神経が追い付かないで、その方は崖から「スカイ・ハイ」して九死に一生を得たとのことでした。


あとこれは自分が当てはまると思いますが、中高年に成って初めてオートバイを始めたので、本的な技量が不足していて、オーバースピードや不意の飛び出しなどの回避行動などが出来ず、転倒してしまう例です。

これは周知所事実ですが、4輪もそうですが、当然2輪でも教習所レベルのカリキュラムでは、路上を安全に走り切れるスキルは身に付きません。


自分の場合、連続するコーナーの加重移動や、ループのようなコーナーで、バンクの姿勢を維持するスキルが足らないので、どうしてもリズムが良くない状況が、走行の余裕が少なくなっている原因に成っていました。

余裕が無ければ不意のアクシデントに対処できなくなりますし、そもそも楽しくありません!


で、通行量の少ない山岳路を選んで、主にフロントブレーキを使った加重移動とか、コーナーリング時の重心位置の変更などを、色々仕入れた知識をもとに実地研修して「身体に沁み込ませている」訳です。

若い頃自動車で散々練習しましたし、ロードバイクでも色々と実践してきましたから、こう言うのは嫌いじゃないんですよね(笑)


さて、この日は那須高原を抜けて、福島県の西郷村経由で、国道289号線で南会津を目指します


流石に那須高原を走っていると、平地の尋常ではない暑さは無く、快適とまで行かない物の、我慢できます。

福島県に入って西郷村から国道289号線を西に向かっていくと、徐々に標高が上がっていきます。


途中の展望台で一休みです。

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いや気持ちが良いですね。
標高は752mで、温度計は28℃ですが実際は25℃程度です。
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ここから更に標高が上がっていき、国道289号線の「甲子トンネル」付近はほぼ標高1000mで、気温は18℃と、長いトンネルを走っていると肌寒さすら感じるレベルです。
トンネルを出るとちょうどお昼くらいで、「道の駅しもごう」でおひる休憩です。
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食堂は蕎麦屋ラーメンなど基本麺類がほとんどで、値段も高かったので売っているお弁当で済ませます。
とはいえ、天むすとカツむすは結構おいしかったですよ。
この辺り自分はほぼ初めて来た場所なのですが、爽やかな高原と言った風情で、富士山周辺や伊豆高原辺りとそん色ないというのは言い過ぎでしょうか?
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じつは、この辺りは栃木県に住んでいる自分もあまり来たことが無く、大体那須高原で日帰りに成ってしまい、首都圏からの観光客もそう多くないようです。
あと道の駅と言えばお約束のソフトクリームで、此処のソフトはかなりミルク成分の濃い、美味しいものでした。
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この後は南会津から田島に向かい、国道121号線で日光まで帰ってきました。
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このコースを自転車で走れば、さぞ走りがいがあったでしょうけど、いや流石に今は無理かな(苦笑)
ちなみに今回は燃費計で59.6kmまで燃費が延びました
オイルのグレードを上げましたがそちらはあまり関係ないでしょうし、後は追加したフェアリング類の整流効果が効いているようです。
とにかく、40℃近い地上で茹ることなく、高地トレーニングで(笑)避暑には成功しました。

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いきなりの真夏?、まだ準備出来てないよ! [雑談]

えーっ、真夏ですか?、6月ですよね?

昨日も午後少し走りましたが、モワットした暑さから、乾いた南風が吹き付けてきて、35.6℃くらいまで上がりましたが、本日はその乾いた「熱風」とも言える南風が吹き荒れて、ご覧の通りの天気になりました。
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本日は気分を変えて久々にターマックを出しましたが、暫くホッタラカシしていたおかげで、えらく不機嫌のようで、これは後日再調整が必要なようです。
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なんか周りが重いというか、ドライブトレイン系のフリクションが強いというか、じつは前回乗った時も同じ印象があり、急遽イベントにマドンに変更した件もありますし、暫くぶりにバイク整備をする事に成りそうです。
さて、何時ものコースを岩瀬まで来ましたが・・・・・
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既に炎天下の路上は34℃にもなっています。
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いや、木陰にいると風も強いのでそこそこ涼しいのですが、この時点で気温は既に30℃あり、この日宇都宮市は13:00~14:00頃に最高気温の38℃が予想されています。
これはあくまで日陰の芝生の上の気温であって、アスファルトの炎天下はおそらく43℃近くまで上がるでしょう。
これは夏本番でもめったにない暑さであり、湿度が低いので多少はマシとはいえ、普段は徐々に暑さに体を慣らして行くもので、いきなりこの暑さは、笑いごとでなく問答無用であの世にご招待となりかねません(苦笑)
昨日もそうですが、やはり自律神経が対応できていないようで、なんか心拍が乱れている様な違和感があり、この日は危険防止で使うはずの「ハートレートモニター」のセンサーを忘れてしまったので、ここは潔く撤退です。
基本的に乾いた空気なので、空も青く爽快なんですが、まあ無理して走る必要も無いでしょう。
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以前なら休日で転機が良い日は千載一遇のチャンスですので、無理して走っていましたが、現状は天候を見て比較的自由に選択できますから、この「恩寵」を今のうちにフルに味わっておかなければ!
しかし、来週いっぱいはどうも真夏並みの天気が続くようです。
まあ、梅雨の入りの経緯その物が特異な状況でしたので、今の状況も「例年」通りとはいかないでしょう。
ですから天候も気温も激変する可能性がありますが、強かに身体を慣らして付いて行くしかないようですね。

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