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ブログ再開、4度目の人生の大きな節目を迎えて [雑談]

さて、そろそろタイトル通りの「楽しい自転車生活」をお送りしなければ、タイトル詐欺ブログに成ってしまいますね(苦笑)


自分の場合今までの人生を振り返ると4回の大きな変節点がありました。

1、9歳、実家の事業失敗による暗転

これは本当に自分のせいではない、今風に言うと「親ガチャ案件」です。


両親は自分が生まれる前から喫茶店を営んでいましたが、父親が共同事業者とボーリング場を開いて失敗し、故郷から何度か引っ越したあと、新規の事業展開もうまくいかず、オマケに保証人に逃げられて多額の借金を抱える事に成りました。

更に実父の不倫事案で夫婦仲が冷え込み、借財の事も含めて、毎日激烈な夫婦喧嘩が絶えず、更に不倫した相手の男が怒鳴り込んできたり、家の立ち退きを要求されたりと、いきなり9歳を境目に人生が暗転していきました。


正直もっといろいろ酷い事があり、自分は今でいう不登校や、学校の担任のモラハラなどに会い精神的にもどん底に追い込まれて、実はそのころの記憶が、かなりの部分欠損してしまいました。


正直よく生きていたし、グレ無かったなぁと自分でも思います。

高校の担任に詳細を説明したとき、驚愕の表情で「お前のような奴は、物凄い不良になるか、親を見返そうと奮起するかどちらだが、普通に平気な顔をして生きている奴見た事が無い」と言われたことがあります(苦笑)


まあ、かなり早い時点で「この親に頼っていては命が無い、自分の事は自分で何とかしよう」と、問題解決のための方策を、学校の勉強そっちのけで(笑)学校や地域の図書館で調べまくったり、同じような境遇の親友たちと、夜を徹して討論したりして、答えを探していました。


また、当時としては珍しかった、「アニメ特撮オタク」に成っていましたので、これも今でいう「中二病」の元祖のような存在になっていました。

今でも「宇宙戦艦ヤマトと機動戦士ガンダムの生放送の第一話を見た」を自慢の種にしているくらいですから、かなり重症の中二病患者でしたね。

これも今風に言うと完全に「黒歴史」ですよね(笑)


専門学校時代は千葉県の柏市の学校に行くため、流山市に一人暮らししていましたが、実家を離れて家事を考えないで良い時間は、自分にとって「至福の時」だったと思います。友達にも恵まれて楽しい学生生活・・・・と行かないところが自分の難儀な星回りで、とある問題人物が自分たちのゼミに在籍していて、ゼミ全体をかき回して大問題となっていて、自分もその当事者の一人だったので、その対応と解決に1年以上費やす羽目になり、いやホントに毎日大変でした(苦笑)

その人物は、今風に言えば完全にADHD(注意欠如・多動性障害」で社会性が無く、重度の虚言癖があり、自分を被害者に見立てる事で周囲の関心を持とうとするタイプで・・・・と後に気が付いたのは「自分の母親と実は全く同じだった」という事で、自分は常にこの手のタイプの人間に人生を捻じ曲げられつつ、抵抗して戦ってきた人生だったんだなぁと、深いため息が出ましたね。


2、20歳で社会人へ、住宅会社の営業職へ

なんとか未成年時代は乗り越えて、地元の住宅会社の営業職に就職することが出来ました。

これも、学費を稼ぐため住宅会社の現場作業の肉体労働のバイトを通じて、その会社に認められての正規社員登用でしたが、採用理由が「あんな辛くて儲からない仕事を真面目に務める忍耐力は、ヤクザな営業の業務に耐えられるだろう」という事だったと後で聞いたことがあります(苦笑)


しかし、本当にこの仕事は辛かったです。

今から37年前の1980年代後半の頃ですから、週休二日などは無く朝は8時から夜は23時まで拘束され、週一の休みもお客さんに呼び出られ、オマケに社会人一年生なのに「お客様の人生を左右するのが住宅計画です」などしたり顔で、平気で自分の2倍以上生きたお客さんを相手にして、そのころはノルマが「半期で6棟1億円」でしたので、本当に大変でした。


しかも、最初に配属された営業所の上司がパワハラ野郎で、営業所全員が苦しんでいるような状態で、深夜にクドクドと嫌味を言われ続けてついにブチ切れて、ケンシロウの様なオーラ出しながらぶん殴ろとして、先輩の空手の有段者に羽交い絞めされて止められたという事件がありました。

その時の上司の「あんなクダラナイ奴手を出して犯罪者に成ってもつまらないゾ」という言葉は、以後自分が無事に社会人として生きていける為の「金言」となりました。


まあ、そんな事も有りましたが「石の上にも3年」を心に決めていたので、一人前に成るまで辞めないと、ある程度成績が出せるように成ってから5年勤続して、26歳で自宅を建ててから、一昨年まで勤めていた自動車関係の会社に転職しました。


3、自分の趣味を仕事にして

物心ついたころから自動車が好きで、子供の頃は「カーグラフィック」「オートスポーツ」を愛読書にして「サーキットの狼」「スーパーカー」の洗礼例を受けた世代ですから、車に乗るのが大好きで、本当は高校進学の時に工業系や自動車整備専門学校を受験しようとして、両親の理不尽な大反対で未来の夢を断たれたという反動から(笑)、地元にある自動車会社のテスト業務を委託されている会社に転職しました。


職種としては「テストドライバー募集」という魅力的な内容がかえって怪しく(笑)、会社説明を受けたら「まあ、普通免許があれば・・・」という頼もしい説明にかえって疑心暗鬼になりましたが、委託先の企業と同じ就業形態という事で、週休2日はおろか年間休日も120日あり、オマケに有給休暇が完全取得が絶対という、まるでおとぎ話のような世界(笑)の魅力には勝てず、年収が半分になる(!!!)事など気にもならず転職しました。


実際の業務は自動車の耐久性試験で3交代でコースを走らせる「夜勤勤務」が主体で、その車の整備や点検、データ計測、車両の分解組み立てなど、文系人間で、実際車の重整備などしたことない自分には大変な事も多かったですが、委託先の企業はまだその時代は家族的なところがあり、委託や請負の社員であっても「面倒見る」文化が残っていて、色々な事を教えてもらったり、勉強する時間や機会も設けてくれたりと、自動車や機械工学の基礎、金属工学など、以後の自転車の整備などをに役立ちました。

まあ、結局早期退職するまでこの会社でお世話に成りましたが、この会社にいて本当に良かったのは、多くの仲間に出会えたことだと思います。


4、生涯を共にする自転車の生活を得る

まあ、その仲間を得ることが出来たのも、自分が子供の頃から大好きだった自転車趣味を再開させたからです。

とにかく、物心ついた時から目の前に現れる「不可解で理不尽な難儀」を、撃退するだけで精一杯で、正直なところ人生の目標とか夢を実現しようとか、自分自身の将来の事になんの希望も持てない人間に成っていました。


その結果としての自分自身の健康管理の概念が無く、ストレスからの暴飲暴食、偏った食生活、睡眠時間の不足、運動不足がたたっての肥満や生活習病のオンパレードとなり、30代後半の頃には何時突然死してもおかしく無い状態と会社の健康診断で指摘され、とどめは2度ギックリ腰を発病させたときに担当医の方に言われた言葉でした。

「このままの体重だと、膝の故障もありますし50代になったら確実に歩けなくなりますねぇ」ニコニコしながら宣告されて、この時は心の底から戦慄を覚えて全身が凍り付いたことを覚えています。

自分は「結婚をするつもりが無く、老後は確実に「独居老人」に成ることがよそうされて(結局その通りに成りましたが)、誰に頼る事も出来ないとあれば

自分の健康、とくに自分の足で歩けることは最低限の必須条件であり、ここにで初めて自分の将来の為にダイエットで体重を落として健康な体を確保するために、本格的に自転車で運動する事に成りました。


ダイエットのために週末にはクロスバイクに乗るようになっていましたが、これを機に往復20㎞の通勤も自転車に切り替えて本格的に乗り込みました。

週末も乗る距離を徐々に増やしていき、100㎞乗れるように成ったころ、自転車雑誌で160㎞の距離を走る「センチュリーライド」と、新潟市の佐渡の島一周210㎞走る「佐渡ロングライド」の存在を知り頭から離れなくなりました。


そのころ職場の同僚とクロスバイクでサイクリングしたり、エンデューロレースに出たりと徐々にのめり込んでいきましたが、このロングライドを行う事が目的に成り、ロードバイクを購入して装備を整えたりトレーニングをいろいろ工夫していったりとした結果、気が付いてみると何の生きる目的もなく根無し草のように生きた自分が、初めて生きる意味を持つことが出来ていました。

以後はこのブログを開設してから書き込んできた通り、自転車中心の生活をしていました。



5、新しいステージを迎えて

そして、定年3年前に早期退職し、母親を見送って完全に独り暮らしとなり、ある意味今までと全く違う、ほとんどすべてが自分の都合で動ける人生が、正直「始まってしまった」という所です。

 

実のところ、いろいろな選択肢が想定されていますし、そのどれを選択するのも自分の判断次第なのですが、大きく分けると

1、現状の延長で今の住居と人間関係を継続させる

2、見たことのない風景を求めて、別の場所に転居する

となりますが、慌てて動くとロクな事が無いですし、とくに期限がある訳でもないので、変に義務感に駆られてとかなく、自然体で考えて行動していこうと思っています。

 

一つ言える事は、このブログをアップして意向、もう自分の過去のネガティブな部分を振り返ることはしないということです。

その決意をはっきりさせるために、今回恥を忍んで(苦笑)色々と書き綴りましたが、これをもって次回の記事より元の「楽しい自転車生活」応援を中心としたものを書いていきたいと思います。





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