今日こそは!、と意気込んでみたところで、やはりなんとも天気が優れないと、気合を入れてロードバイクに乗る気がしません。
で、2日連続の日帰り旅行となりましたが、東京お台場にある、「船の科学館」に、親友のロックシップ氏がお子さん連れで行くとの事なので、思い立ったが吉日生活のノリで、便乗させていただく事になりました。

船の科学館は、東京「お台場」の、えーと解り易くいうと「フジテレビ」の前にあります。
船とありますが、造船、海運、海洋開発、海上警備・防衛に至るまで、日本の海事に関して、小さなお子さんでもわかるような展示物や、アトラクションがあり、大人でも十分楽しめて為になるところです。
が、このたびここは「閉館」していまうということになったので、これで最後の見納めということになったのです。

さて、栃木県宇都宮からですと、宇都宮線で上野駅まで行き、山手線に乗り換えて新橋で降り、お台場エリアの脚である、新交通システムの「ゆりかもめ」で、「海の科学館駅」に行きます。
そういえば最近、新宿経由で湘南方面に行く「新宿湘南ライン」にばかり乗っていたので、このルートは久しぶりです。

昨日と同じ時間帯に宇都宮駅に行きます。
昨日は「駅蕎麦」で酷い目にあったので、今日は最初からモーニングにしようかとも思いましたが、何時も食べているホーム設置の「立ち食いソバ」はそんなに酷いものだった記憶がなかったので、ここで朝食にします。

まあ、見たまんまの代物で、おばちゃんに聞いたら昨日食べた蕎麦屋と同じ経営母体だということなので、同じようなものが出ているはずなんでしょうが、不思議と此処のソバは食べられるんですよねぇ?。
やはり、ホームで食べる「旅情」の効果が絶大だったということでしょうか。

ロックシップ氏とは現地集合なので、上野行きの、E230系の「サロ」、つまりグリーン車の2階で、英気を養うためさっそくお眠りです(笑)。
贅沢ですが、通勤時間帯にむさくるしいオッサンに揉まれながら、固いシートで2時間も揺られることを考えれば、けしてこの値段は高いとは思いません。
あくまで「旅行」の時だけですが・・・・。

新橋駅で降りて、ゆりかもめに乗り換えです。


もうこの入口から階段にかけてから、周りはたくさんのお子さんが犇めいています。
夏休みも終盤で、都市近郊の方々は近場で夏最後の家族サービルといったところでしょうか。
先頭車両に乗りましたがこうなりますよねぇ(笑)。

うんうんこの気持ちはよくわかります。

結構頻繁に走っていてすれ違います。


レインボーブリッチを渡って、ほどなく目的地に尽きます。


本当におしまいになってしまうんですねぇ。


反対側のフジテレビの周りでは「お台場共和国」とか言ってイベントが開かれて、アニメ「ワンピース」の海賊船のディスプレーも周りに多くの人達が群がっているのに比べて、こちらは夏休みにもかかわらず、広い駐車場はガラガラで、入場者も疎らと、今の置かれた立場が好対照です。


程無くロックシップ一家と合流していよいよ見学です。
入場券を買おうとしたら、閉館までは特別価格で大人200円、子供100円になっていました。
おまけに、招待券(?)を持て余していたようなご婦人から、その場で2枚の大人の券を何故か頂いて、子供4人分の入場料で済んでしまいました。

まあ、ここからはこの4人の子供たちの独壇場でした(笑)。
今時のお子さんですから、こんな物に興味があるのかな?とも思いますが、そこはロックシップ氏の教育がキッチリしていますから、館内や、隣接して展示してある、初代南極観測船「宗谷」や、青函連絡船「羊蹄丸」の展示船を、興味深く目を輝かせて縦横に走り回って、楽しんでいたようです。

うん、みんな船乗りか、海上保安管、海上自衛官になりますか(笑)。
要するに、親御さんがこういうものに興味があり、自分のお子さんに自分が楽しんでいる姿を見せて、またお子さんの「好奇心」に対して、教育的配慮から真摯に向き合えば、必ず興味を持ってくれるということなんですよね。

ロックシップ氏自身は、馴染みの科学館がもう見られないと言う事で、感慨深く見学していました。
僕自身は、概ねこういうところは「来る事に意義がある」と言う方で、大体駆け足で全体の雰囲気が楽しめればいいという感じなので、主に分散して遊撃するお子さんの付き添いと言う事で、実はお子さん達と一緒に楽しんでしまっていたようです(笑)。
この辺りは僕の精神年齢が低いからなのですが(苦笑)、ある感慨が湧いてきたからです。

実は、僕自身は幼少の頃より「父親」と精神的な交流が希薄で、こうやって夏休みに心を通わせて父子で心から楽しんだと言う記憶が有りません。
父親が水商売に勤めていたり、経営していたりしたので、時間帯があわずに、実生活で触れ合う機会がほとんど無かったこともありますが、実父の「幸福感」が、「金銭的贅沢」や「社会的な立場」という「見得」が得られればそれで良いという傾向があり、スキンシップや「本音」でぶつかり合う精神的な触れ合いをしない、恐らく出来なかったのだろうと今は理解しています。
よって、子供として父親とどう接するのか理解できないうちに成人してしまい、オマケに独身ですから、父親として子供にどう接するかも理屈はともかく「心情」が理解できないまま46年すぎてしまったのです。

だから、いい年したオッサンが、子供たちと同じ立ち位置でオトウサンと一緒の夏休みを、同じ目線で楽しんでしまっていることに気が付いて、ハッとしてしまったの同時に、なにか感慨深い気持ちになってしまいました。
なんだかセンチになってしまいましたねぇ(苦笑)。

話が大きくそれましたが、楽しみすぎて、実は帰着の時間が大幅に遅れてしまいました。
実のところ夕方には天気が崩れて、結構危ないなと思っていましたから、途中までは何時ものように携帯の天気予報で、気象レーダーを見ながら雨雲の動きを監視していたのですが、要するにはしゃぎすぎて途中からすっかり忘れちゃったんですね!、あははは(苦笑)。

その結果、物凄い雷雨に囲まれて、青函連絡船「羊蹄丸」で身動きが出来なくなってしまいました。

これは物凄い雷雨で、帰宅してニュースを見たら、羽田やお台場付近は記録的な豪雨だったらしく、まあ結果として外をウロウロしなくて良かったようです。

この「羊蹄丸」のブリッジでしばらく雨宿りしていましたが、説明されおられる係りの方は、実際この船の最後の航海の時に船員として乗船しておられていたそうで、この天気を見て「まるで荒れた津軽海峡のようです」とおっしゃっていました。
実際津軽海峡は天候が悪化する事が多く欠航が多かったのと、1954年9月26日に発生した台風による連絡船の沈没事件、日本最悪の海難事故のいわいる「洞爺丸台風」事件がきっかけになり、本州と北海道をトンネルで結ぶ「青函トンネル」が計画され、完成されたのと同時に青函連絡船も廃止されたのでした。

この子の目には、この先の見えない海原の向こうに何が見えていたのでしょうか。


雨も小降りになり、なんとかゆりかごめに乗り込んで帰路に着きましたが、夕方の通勤ラッシュと重なってしまったので、もはやエネルギーが切れ掛かっていて戦闘不能になった子供たちの手を引いて、抱えながらなんとか宇都宮線の電車に乗った頃には、もう子供たちは夢の中に旅立ってしまいました(笑)。

2日連続の乗り鉄で、睡眠j間も短かったのでかなり疲れていたはずですが、不思議と疲労感が少なく、一晩寝たら今日はほぼ回復していました。
自転車には乗れませんでしたが、存分に鉄道を楽しんだ上に、46年間、幼少の頃に忘れてきてしまっていた
「少年の夏の日」を取り戻す事が出来て、充実した最後の8月のお休みでした。