明日は「銚子センチュリーライド」当日で、心配された天気もまあまあ持ちそうな勢いで、もう今から準備して体を休めなければいけない時なんですが、ちょっと「カチン」と来たことがあるので記事にします。

僕は自動車関係の仕事をしていて、長いことこの世界でメシを食べさせていただいています。
物心付いた子供の頃から自動車大好きだった事もあり、自動車関係の情報は広く目にしているつもりです。
で、それらの情報源の記事を書く「自動車ジャーナリスト」という種類の人間に関しては、正直全く良い印象がありません。

よく言われるメーカーの紐付きで「メシ付き、アシ付き、お駄賃付き」の発表会や試乗会などに召集されて、メーカー側にオベンチャラ使って広報のお手伝いの褒めちぎった「提灯記事」を書いている・・・・・というイメージは、まあ間違った印象ではないようです。
百歩譲って彼らの立場で言えば、確かにそれをやらないとメシが食えない構造の世界であり、かつて「正論」を堂々と主張して各メーから干されて消えていったジャーナリストも何人か見ています。

「ジャーナリズム」がなんたるかについて論じるほど僕は見識が高い人間ではありませんが、少なくとも「真実の追究」や、「一般市民への正しい情報の提供」というものはあると思うんですが、かと言って「批判」を展開していればジャーナリストなのか?という点に関しては疑わしい輩もいるようです。

今回「カチン」ときたのは、本当は本名を上げて批判してもいいのですが、大人げないということで某女性自動車評論家ということにしておきます。
その某は、ネット上に記事をよく流しているのですが、最近目に付くのは「あっ、この車は明らかに販売戦略が失敗していて売れそうにないな」という車にターゲットを絞って批判していることなんです。
あらかじめ言っときますが僕はその某になんの恨みもないですし、記事の内容を見る限りにおいては、案外的を得ていて・・・・というより「誰が見ても判るだろう」みたいな批評を展開しているのです。

で、何が気に入らないかといえば、確かにセールス的に完全に失敗であることが「確定」している車なら、そのメーカーの販売に影響を与えることは少ないでしょうし、他の評論家の「提灯記事」とは明らかに違うので、ジャーナリストを気取るにはもってこいのなのでしょう。
でも、そんな「水に落ちた犬を打つ」みたいな、姑息なことをやらないで、堂々と大メーカーの売れ筋の車種の批判を、正々堂々と展開すればいいじゃないですか!。

まあこれは某に限った事ではなく、大抵の自動車ジャーナリストは大同小異のようで、発表時点では歯の浮くようなセリフで褒めちぎっておきながら、明らかに販売が落ち込んできてほとぼりが冷めるとシレっとした顔で
欠点をあげつらうなんてことは、当たり前に行われているんですね。
しかしそれはあくまで彼らの都合であって、その記事を見て真剣に自動車を購入しよとしているユーザーなんかのとこは毛ほども気にしていないんじゃないでしょうか?

そんなことは今更僕が声を大にして言わなくとも、「賢明な消費者」ならとっくに気がついていることなんですが、これは大げさな話になりますが、ジャーナリズム全体がこんな感じであると、本来「民主主義の番人」という、役目もある彼らの為体は、その弊害を最もわれわれ国民が被ってしまうという事は間違いないですよね。

まあ、自動車ジャーナリズムがクズ同然の我が国の場合、欧米のようにきちんとした第三者機関による各項目のパラメーターのレポートが、ジャーナリストによって提供されないということはかなり不幸だと言わざるを得ません。
その反動でネット環境で、ただ目立ちたいだけの、「自称自動車評論家」を気取った連中の無責任な批評が野ざらしにされてしまっているわけで、余計にユーザーの為になっていないのでは?と思ってしまいます。

最後にこのブログは自転車ブログなので、無理矢理自転車に結びつけますが「自転車雑誌」も、なんだか自動車雑誌なんかと似たりよったりで、最近呆れて目にしなくなってきました。
なんとかならないのですかねぇ・・・・・・。
あっ、僕も「見当違いな自称自転車評論家」に成っていませんか?
一応、僕の場合自分の体を張って、赤っ恥をかいた顛末を記事にしていることが多い(苦笑)ですし、少なくともどこからも利益供与は頂いていませんから、大丈夫だとは思うんですが・・・・・。