夏休みも終盤に来ましたが、連日の走り込みで脚に疲労が溜まってきました。
この辺りは47歳という年齢が身に染みるところで、無理が効きませんねぇ(泣)。
まあ、焦ってもしょうがないので、昨日と今日は脚の調子を見て「休輪日」として自転車には乗りませんでいた。

で、何処か出かけようと「青春18切符」を使って河口湖に行ってきました。
河口湖といえば、普通富士山登山か、「富士急ハイランド」といったところが定番でしょうが、ワタクシメがそんな善良な市民の行くような場所を選ぶはずもなく(苦笑)、輸入代理店などを営むオーナーの自動車コレクションの所蔵品を展示している「河口湖自動車博物館」に行ってきました。

やはり個人経営の博物館は運営が大変なようで、最近は8月の夏休みの間だけ開館しているそうですが、ここの目玉は自動車の方でなく、飛行館に展示してある「零式艦上戦闘機」2機と、戦地から持ち帰った残骸から復元中の、旧帝国海軍の重爆撃機である「一式陸上攻撃機」が今回のお目当てです。

さて宇都宮発の始発に乗り込んで河口湖を目指します。

夏休みは朝練もありましたが、ほとんど毎日3時には起きていますね。
あーあ眠い!。

宇都宮線で赤羽まで行き、埼京線で新宿へ向かいます。
新宿からは中央快速で高尾に行き、ここから河口湖直通の普通に乗り換えます。


本当は滅多に乗らない富士急行の特急富士山号に乗りたかったんですけど時間の都合でパスです。


河口湖駅からは博物館までのアクセスが悪く、場所が富士山麓の別荘地の中に有るので、ここはタクシーで博物館に向かいます。

博物館に着くとこれが目につきます。

戦争中のアメリカ陸軍(当時空軍はなかった)のカーチスC46輸送機ですね。
戦後は航空自衛隊でも使いました。

駐車場にはお客さんの車だと思いますが、なんと今は亡き「いすゞ」の乗用車で、当時マニアの垂涎の的だった「117クーペ」の、しかも初期生産型の通称「ハンドメイド」が置いてあります。

何とも今の自動車にはない「優雅」さが溢れていますね。
ちなみにハンドメイドの由来は正式には良くわからないのですが、聞いた話だと、このボディラインが当時の金型技術では成型不可能で、ボディパネルのかなりの部分は、職人が治具にセットした外板を「たたき出し」で作ったものを、ラインではなく一台ずつ組み立てていったとの事です。

さてお目当ての航空館に入り「零戦」とのご対面です。

ちなみに一般では「ゼロ戦」という名称が普通ですが、戦時中「ゼロ戦」などという人はいるはずがなく、戦後のメディアが流布させた呼び方で、漫画家の松本零士大先生曰く「大変けしからん!」だそうで、別にナショナリズムを振りかざすわけではありませんが、日本人なら正式名称である「零式艦上戦闘機」、略して「零戦」と呼ぶべきだと思います。
これが欧米ですと、自分の国の産業遺産に対する、まして戦争で自国の勝利に貢献した兵器であるのならそのこだわりは尋常ではない方々が少なくはなく、そういう「背景」は知っておいて損はないと思います。

なんだか完全におたっキーな内容で恐縮ですが、やはり見ている部分が渋い場所を見ていますねぇ(苦笑)。
これは翼端の折りたたみ機能を写したものですが、結構シンプルで華奢な印象が有りますね。

何故翼を折りたたむかというと、「艦船」である航空母艦の場合、スペースが限られているからで、必要とされる性能を得るために必要な主翼の面積を確保して、かつ取り回しを確保する為には必要な機能で、ある意味艦上戦闘機の証のような機構なんですね。
とはいえ、実際生産された「艦上戦闘機」零戦の大半は陸上基地で使われたというのも皮肉な事実です。

これは零戦の心臓ともいえるエンジンの、「栄21型」エンジンです。

ガソリンのレシプロエンジンですがこの「空冷星型」と言う形式は皆さんには馴染みが無い形式ですよね。
現代風に判りやすく表現すると、空冷星型複列14気筒OHV、27000cc、遠心式2速変速スーパーチャージ、最大出力847.5kw/h(1130hp/h)というシロモノです。
製造は当時の中島飛行機で、現代の富士重工ですが、零戦機体の方は「三菱重工」なので、「ランサーエボリューション」にインプレッサの水平対向エンジンを積んだような物なのでしょうか?。
じつは零戦の生産はライバル企業である中島飛行機も参加しており、生産数は中島製の方が多かったそうです。
話は違いますが自動社界では話題の「トヨタFT86」も、企画や開発主導はトヨタですが、「水平対向エンジン」であることから御存知のとおり富士重工製で、製造は富士重工の太田工場で行われています。
販売台数は兄弟車ともいえる「BRZ」の方が圧倒的に少ないのですが、現実的には富士重工製のトヨタ車が路上を走っているところに、零戦の話を思い出したところです。

このエンジンは「熱田32型」といい、クランクが上についているので上下がさかさまになっているように見えますが、これが正常な形で、「液冷倒立V型」エンジンという形式です。

これも現代風に言うと、水冷倒立V12気筒33930cc、遠心式トルコン(フルカン継ぎ手)駆動スーパーチャージャー、最大出力1050kw/h(1400hp/h)です。
これは、もともとドイツの有名な戦闘機「メッサーシュミットBf109」に搭載されていた、ダイムラーベンツのDB601と言うエンジンのライセンスを取得(最初はDB600型)して、愛知航空機で製作された物です。

愛知航空機の親会社の愛知時計電気と言う会社は今も現存していますが、飛行機部門は愛知機械工業は戦後三輪車や軽自動車を作り、日産の今はエンジンやトランスミッションを作り、日産の子会社と成っています。
「アツタ」という名前はこの会社の「熱田工場」から取った物で、日産の小型車のエンジンや、GTRのトランスミッションには遠からぬ旧軍からの因縁があるのでしょうかね。

ちょうどこのアツタエンジンを見ているとき、見学者の一人が声をかけてきて「このエンジンは曰く付きだからねぇ」と言う話で盛り上がりました。
「曰く」とは、元になったダイムラーベンツのエンジンのライセンスに関することで、今で考えれば国策なんですから政府が主導して、ライセンスを取得して、メーカーを選別すると言ったところでしょうが、当時はなんと陸軍と海軍で、争うようにまるで喧嘩をするように当時のナチスドイツから別々にライセンスを取得して、陸軍は「川崎重工」、海軍は「愛知航空機」に製造させていたのでした。
当時のドイツ軍の在日駐在将校の手記には「日本の陸軍と海軍はまるで仇同士のように争い合っている」と残しているくらいです。
まるで「犬猿の仲」のごとく同じ国の中で各々覇権を争っていたわけで、なんと同じ口径の機関銃の銃弾でさえ規格が違うと言う割り様で、これでは勝てるわけが有りません。

今回は、この手の話に興味の無い方々には申し訳ない内容ですね(苦笑)。
ただ、飛行機にして自動車もそうなのですが、その歴史には過去の「栄光と挫折」があり、最近流行の「失敗の科学」ではないのですが、その何故挫折したか、何をやらかしたかと言うところに、多くの人命と時間とお金を犠牲にした尊い「教訓」が秘められている物で、それを冷静に見つめて分析し、「知識」として人生に生かすことはけして無駄なことでは無いと考えています。
そういった意味では、ある程度年配の方で、社会の指導する立場に折られる方々は、歴史の一部ではなく自分の目の前で繰り広げられた「戦争」という悲劇から多くを学ばれて、企業や国家を動かしていた事例を多く知っているのですが、バブル以後「失われた20年」で考えると、その当時から現在にかけて政治や企業の場で活躍する方は多くが、戦争を知らない「戦後世代」であり、どうも「同じ過ち」を遣らかしているように思えてなりません。

最近我々の間では「迷惑な世代」として、事あるたびに話題に上がってくる世代なのですが、「先人が築き上げた平和と経済的繁栄に胡坐をかいて貪りつくす、無責任で迷惑な世代」と評されています。
名指しされている世代の方は「私はそんな無責任なことはしない、一括りにされるのは心外だ!」とお怒りかもしれませんが、真顔でそう言い切る方の場合「有罪」である可能性は高そうですね(笑)。

とまあ堅い話はこれくらいに(どのくらいじゃい!)にして、大好きな車の方も見て帰ることにします。
ここの収蔵品は、見学順路で自動車の発展が判るようになっていて、それこそ世界初の自動車のダイムラーベンツの3輪自動車、フォードT型などから見る事が出来ます。
でも40年生まれのスーパーカー世代の僕にはやっぱりこれが一番いいですね。

フェラーリ365GT4BB(ベルリネッタボクサー)ですね。
当時最高時速302km/hを謳った世界最速のスーパーカーでしたね。
実際当時のイタリアンエキゾチックカーの場合、コンディションの個体差が大きく、6連キャブレターなどの調整も難しいので、250km/hも出なかったといいます。
操縦性や直進性などを考えると、テストコースで最高速度を出すには、ドライバーの腕と度胸もかなり必要だったのでしょうね。
そう考えると今や「国産車」である「GTR」なら、誰でも300km/hが出せるわけで・・・・・と、まあ誰でも「気楽に」買える車ではない事には違い有りませんから、庶民にはまだまだ遠い話かもしれません(苦笑)。

さてお昼は地元の「ほうとう」ウドンを食べて、11:55分発の念願の特急「富士山号」に乗って帰路に着きます。

速度や乗り心地は最新の特急に比較できる物では有りませんが、一般席でもシートの前後ピッチが広く、寛いで帰路ほとんど「爆睡」してしまいました(笑)。

そういえば河口湖駅には旧国鉄特急カラーの183系(?)列車が止まっています。


何かの臨時列車かな?と思ったら、なんと栃木県の小山市から、両毛線→高崎線→武蔵野線を経由してここ河口湖まで来る臨時便でした。

「乗り鉄」としてこんな楽しい列車が有るのなら、これで今度は河口湖に来たいですねぇ。

後は、大月で特急「かいじ」→湘南新宿ラインで宇都宮に帰ってきました。
夏休み最後の乗り鉄は、色々な列車にも乗れましたし、零戦や一式陸上攻撃機(あっ!写真と解説入れ忘れた)も見れましたし、大満足の夏休みでした。