今回の災害においても多くの人命が失われてしまったことに本当に心が痛みます。
犠牲になられた方に対してご冥福をお祈りいたします。

まあ、言いたいことはたくさんあるのですが、やはり起きてしまったかという感情と、結局犠牲者が出なければ何も動かないんだという絶望感が個人的には激しく渦巻いています。
とにかく「活火山」に関して、あまりに多くの地元の人たちや観光客、登山者が危険性について無頓着、無関心、無神経すぎることが以前より指摘されておりました。

そもそも目の前にある山が、火山活動で造山されたのなら、「たかが人間」が勝手に決めた分類やタイムスケジュールなどに関係なく、不意に火を吐くかも知れないということは覚悟しておかなければいけないことなんです。
であっても、その山が信仰の対象であったり観光を中心とした生活の糧だったり、観光、登山で訪れたりするのであれば、最大限の「リスク管理」が必須であり、常に「最悪の事態」は頭の片隅に置いておかなければいけない事を、もっと多くの人達に認識して欲しいんです。

本来、この程度の噴火レベルで、しっかりとリスク管理がなされていれば、被害者などが出るはずがないんです。
これは「雲仙普賢岳」の噴火で多くの人たちが犠牲になった災害と噴火レベルと規模が全く違うんですね。
つまりたいへん言いにくいのですが、今回の場合、「出さないで済んだはずの犠牲者を出してしまった」という観点から反省すべきは反省して、今後の「活火山と付き合う日常」の糧にして欲しいと思います。

最後に僕個人的にどうしても違和感があるのは、マスコミが申し合わせて使っている「心肺停止」という表現です。
その背景や理由は想像が付いて、一定の理解もするんですが、やはり「死亡」となぜそこまでこだわって分類しなければいけないのかが、やはり喉に小骨が刺さったような違和感が拭えないですね。