今日は自転車の世間の理解に関して憂鬱になる事が有りました。
先に古峰ヶ原に行った記事を書きましたが、この岐路のコースで栃木県庁の前を通ることが多いのですが、何かのイベントをしていました。
屋台などが出ていたので寄って行こうと思い自転車で会場に入りましたが、自転車置き場が見当たりません。
係員と思しき人たちに自転車置き場を聞きますが、まず場所の説明が不明瞭で、係員によっては自転車置き場の場所すら知りませんでした。
この係員の方々は悪意があるわけでなく、間違ってもいないのですが、イベントそのものがそもそも自転車で来る人たちがたくさん来るという発想自体が無いというのが残念ではありました。

そもそも栃木県庁は宇都宮市の中心地にあるのですが、「残念ながら」自動車でないと訪れることが出来ないというのが現状になっています。
公共交通はバスが有るのですが、何時来るのか判らなく、ルートは半世紀前から大して変わらず、運転手の態度が悪い事で定評がある地元のバスをわざわざ使う人は少ないというのが現実です。

そんなところでイベントを開けば、中心地であっても自動車で行くしかないのですが、衰退する中心街を復興させようとしている当の商工会や政治家の方々は、失礼ながら「既得権益」を享受して中心地に住んでおられるか「黒塗りの公用車」の後部座席に鎮座されておられる方々なので、周辺の住宅街から自転車で中心地に来てもらおうという発想が無いのは致し方ない事なのかもしれません。

まあ、この程度の「理解不足」というより自転車に対する冷遇はまだましな方で、報道の内容でしかわからない範囲のお話なのですが、新潟県の加茂市の市長さんの声明で「小中学生は事故に遭わないために自転車に乗らない方が良い」というコメントを堂々と出して笑いものに成っているという事が有ったそうです。
加茂市のHP(http://www.city.kamo.niigata.jp/)に市長のコメントが載っています。

昔、僕が子供のころはモータリゼーションが盛んなころで、急激に自動車が増えて交通事故の死亡事故も急激に増えた「交通戦争」と呼ばれる頃に育ちました。
結局自転車を歩行者と一緒にまとめて、車道から歩行者と自転車を追い出しガードレールで区切る「車歩分離」という手段で事故を減らしたのですが、それが車両である自転車が歩行者の延長であるという、誤った認識を植え付けてしまう「悪の根源」となってしまったのです。
無論、一刻も早く交通事故を減らさなければいけないという状況で、最も効果的な方法として選ばれた当時の判断を完全に間違いと断じる事はあまりに乱暴な話ではあります。

一方、「交通公園」というのが各地に作られ、子供たちに公道での正しい自転車の乗り方などを教育していたことも事実で、「課外事業」として何度かそういう所で自転車の講習を受けた記憶があり、それは間違いなく役立っていたと断言できます。
ところが何時の間にかそのような教育が行われる事が無くなってきたようで、各地の交通公園も廃れていき、子供たちや地域の人々に交通教育や啓もう活動を行おうという努力がされているとは思えないというのが、今の現状で、主婦や学生が携帯や傘を片手に平気で車道の右側を自転車で「暴走」してしまっています。

そんななか、手っ取り早く「自転車に乗らないことが安全だ」という意見だけが先行してしまうのは、交通安全に関しての継続的な努力を放棄して、車社会の肯定から思考を停止してしまったという愚かな発想であると非難されたところで仕方が無いのではないかと思います。
暫定的に自転車の利用制限の要請が有り、しかる後にしっかりとした教育や、道路環境の整備などを推進していくという事なら百歩譲って理解しますが、はてさて加茂市の場合どのような事になるのでしょうね。

かつてのオートバイの「三無い運動」が、決定的に自動二輪のマーケットを駆逐してしまった事もありましたよね。
結局危ないからと言って経験させないという理屈は教育する側の怠慢で、結果現実からかけ離れた「保護された架空の世界」で育った、「不都合な現実」を知らない、対処できない若者を増産してしまったという現実を直視して、猛反省なければいけない時期に来ていると僕は確信しています!。

何度も言いますが、やはり「黒塗り公用車の後部座席でふんぞり返った」役人や政治家の方々に、エコとか自転車環境とかを理解してくれというのは無理があるんだなぁと深いため息が出てしまうような出来事ですよね。