これは言っておかなければと強く思いました。

別に何か有って「遺言」を残そう・・・というわけでは無いのでご安心を(苦笑)


自分は自分の人生を「自分の頭で考えて、自分で判断して、自分で行動」してきました。

それが無論世間で言う成功した人生では無かったですし、失敗もしました、涙も流しました、けれども結構難儀な人生であっても、少なくとも56年生きながらえる事が出来ましたし、反省はすれども後悔はしていません!


これが、「決められた事を、何も判断せず、言われたから動く」であったら、物凄い後悔が残っていたでしょうし、そもそも生きていなかったかもしれません。


さて、自分は結果として防災関連の道を歩み始めましたが、災害の中で「自分と自分の大切な命を守るため」には、昔から自分にかかわった親しいモノたちに、自分の生き方を強く主張してきました。


例えば今回の熊本の豪雨による災害ですが「過去に無い凄まじい雨」が降りました。

朝の段階で、気象予報士の方の言い方で、「東京で梅雨の間に降る雨量が、2~3時間の間に降る」という、尋常でない雨量でした。


従って、今まで通りの「マニュアル」に従った避難行動を計画していたとしても、「気が付いたときに周囲が浸水してにげられなくなった」とか、今まで危険が及んだことが無かったから「取りあえず動かないでおこう」であっても、裏の山が崩れてきてしまったという事に成ってしまったのです


もう「自分の経験も含めて、過去の経験に基づいた防災計画だけでは、自分の命は守れない」が、残酷な現実であるという事です。


危険感受性」と自分は言っていますが、今身の回りで起きていることが、如何に危険であるかという事を察知するためには、まずは「何が危険なのか」の知識が無ければ判断できません。

その上で、誰かに言われたからでなく、決められたからではなく、一人一人が自分の判断で目の前の危険に対して、躊躇なく行動していかなければ、今の災害から生き残る事は出来ません。


残念ながら、多くの日本人の場合、組織や国家に従属して、その引き換えに安住を手に入れてきた歴史が長かったので、これが決して悪い事ばかりではなく、時に強みとして作用していたのも事実ですが、故に「自分の頭で事の成り行き考えない残念な大人ばかり増殖した」のも事実です。


困ったことにこういう人達が、災害時にかかわらず例えば今回の「コロナ禍」でも、何考えずに欲望に従って行動した結果「濃厚な接触を繰り広げて」、感染を拡大させたりもしています。


また自分の事だけではなく、企業や公共関連の組織等で、たとえ少人数であったとしても、部下がいて指示命令権限をもった「管理職」の方々であれば、「その肩に部下とその家族の命運がかかっている」わけですから、「判断しない事が命取り、一蓮托生座して死を待つ」となるという事は、是非考えてほしいものだと思います。


長々と御託並べましたが、もしかすると「こんなものでは済まなくなる」世の中に成る可能性も否定できませんので、かと言って、小さな人間に大きな流れや運命を変える力は有りませんので、何も考えず何も行動せず気が付いたら命運が尽きて、今まさに人生が終わる際に己が人生を後悔して世を呪うのではなく、たとえ敵わなくとも、間際のその一瞬まで生存を諦めず、人として精いっぱい「足掻いて」見せようじゃありませんか!


とまあ、ああ!言いたいことは言い放っておいたので、これで思い残すことは有りません!

て、そう簡単には死にませんよ(苦笑)