本日は、ここ毎週通っている歯医者さんに予約をしてある日で、前歯の治療が続いています。

朝一番でいつも予約しているので、治療の後は午前中に、今まであまり自転車で走ったことのない、宇都宮市の中心部や西部を中心にポタリングを楽しんでいます。


歯の治療で、都合の良い日に予約を取れるの事もそうですが、本日のように天候の良い日を選んで走りだせるのは、失業者の特権のようなもので(苦笑)、成人してから自分の時間と引き換えに糧を得ていた頃には考えられなかった、自由な時間の趣旨選択を楽しんでいます


まあ、その自由の代償は大きく、先々を考えれば経済的には深刻な事も予想できますが、自分の場合ある日突然と解雇をつげられたり、昨今のような経済不況で職を失ったという、環境などの他動的な理由ではなく、自分の意志で選んだ事なので、泣き言を言えませんし、また悲観に暮れてもいません


さて本日は9:00に予約で、宇都宮市の中心地にある歯医者さんまで自転車でどんなにのんびり走っても20分くらいでついてしまうので、青空の元8:30頃自宅を出ました。



快晴というより、筋っぽい雲の流れが入り乱れている、なんだか緊張感のある青空です。


本日は満月・・・というより最接近しているスーパームーンの皆既月食ですが、何もなければいいんですが。


さて歯医者さんの治療は待たされることなく順調に9:30には終了して、さて本日はどこに行こうかと考えて、余り普段走っていない大谷方面に行くことにしました。

市の中心部のオリオン通りから西進して鹿沼街道を通り、途中で左折北上して大谷に向かいます。

実は大谷は市の中心にある駅前大通りをまっすぐ西進すればそのまま到着するのですが、此処は交通量も多く、途中で道も狭くなるので、正直自転車が走るのに向いていません。


自転車の世界では宇都宮市の古賀志と言えばジャパンカップで有名な自転車の聖地で、此処を目指してくる近県のサイクリストも少なくなうのですが、仮に輪行などでJR宇都宮駅で降りて古賀志を目指すと、走行しやすいルート場ないですし、当然のようにそういう配慮もありません。


他県の方は栃木県の宇都宮市というと、自転車の町として有名で、さぞかし取り組みも勢力的に行っていると思われているでしょうけど、地元のサイクリスタが見ている現実と、行政の関係者と、そこに集められている自転車の有識者なる方々の見えているものは、けして同じでなはいという一つの現実です。


さて、鶴田町から西宮団地を北に向かい、駒生球場の西側を通って大谷街道に出ましたが、明保野街道という所の交差点に、遊歩道なようなものが見えます。





これは、かつて大谷の採石場で切り出された大谷石を旧国鉄日光線鶴田駅まで運ぶために作られた、宇都宮石材軌道という人車軌道および軽便鉄道が全身で、1964年まで利用されていた東武大谷線の廃線跡です。


実は、宇都宮に住んでいる人でも、この路線があったことを知らない人が多いというのが現実で、昔この近隣に住んでいた人や、一部の鉄道マニア(廃線マニア)が知っている程度ではないでしょうか?

そういえば小学校の頃の歴史や地理で教わった記憶もありません。

 

個人的な感想ですが、宇都宮市はどうも自分たちの住む町の歴史をきちんと理解して、継承していこうという情熱が、特に戦後から高度成長の時期には乏しかったように思えます。

とにかく古いものは壊して、新しい道や建物や工業団地を作り、多くの人達を集めて大きくなることに奔走してきたように思います。


宇都宮市は元々幕府の親藩であった宇都宮藩の城下町として栄えていて、明治維新からはそこに旧帝国陸軍の第14師団日露戦争後に結成され、以後1945年の終戦まで軍都として栄えたという歴史もあります。

SUBARUの前身である中島飛行機製作所の海軍機工場もあったりと、旧軍と共に発展してきた都市であって、故にアメリカ軍の絨毯爆撃の最重要目標ともされたので、1945年3月10日の宇都宮空襲で徹底的に破壊されて焼け野原にされました


戦後は、軍も財閥も解体されましたので、当然陸軍が所有していた施設や広大な土地は払下げされており、その後の発展とは無関係ではなく、現在の宇都宮市の政治経済の成り立ちを考えるにあたって無視出来ない事のはずです。


これらは成人後自分が調べたり、多くの旧軍関係者や親戚や知人に話を聞いて知りえた知識であって、これらを積極的に教え伝える・・・というよりは無かったこととして、あえて教えていなかったのでは?と自分は思ってしまいます。

 

なにせ今でこそ宇都宮城跡に色々な施設などできましたが、戦後は宇都宮城の本丸のお堀を、なんと宅地として埋め立てて払下げしたという、笑えない黒歴史もあるくらいですから、叩けばほこりが出るなどでは済まない笑えない話はゴロゴロしているはずですし、まあ隠したいといういう意識が働くのも自然の流れであったのでしょう。


さて、盛大に脱線しましたが(笑)、此処が廃線跡であることを示す石碑や看板などは何もなく、かろうじてここが昔の駅の跡かな?という物が有る程度です。



宇都宮市にはこのほか3つの廃線跡があるのですが、興味がある方は調べてみてください。

一つは国鉄旧東北本線跡等という大物も隠されています(笑)


先の自転車振興でも書きましたが、近代産業遺産だけでなく、かなりのモノがあるのですが、これらをキッチリ調査して整理したうえで、後世にしっかり残そうとか、それらを教育に反映させたりましてや観光振興に利用しようというのには、それなりのインテリジェンスが必要だと思っています。

また生臭い話、行政としてそれらにどれだの熱意があり、予算が投じられて人材を集めて活動を継続させていって、初めて文化的に価値が出てくるはずなんですが、おらが部落に道通して橋掛けてくれたが、いまだに主流の地方政治の権化のような地域ですから、あまり多くは期待できないでしょうね。


ああっ!今日はなんだかボヤキが止まらないですね(苦笑)


さて、大谷の平和観音付近に近づいてきました。












この最後の画像の廃墟は、確かなんたらヘルスセンターだった建物だと思います。

大谷も最近ようやく観光振興としての再開発が進んできましたが、たぶん昭和50年代から平成20年代半ばまではほとんど放置されて廃れるに任せていたように思います。


古い自転車乗りならアニメ化された茄子アンダルシアの夏の2作目で2007年制作の茄子スーツケースの渡り鳥でジャパンカップを舞台にしたアニメでご存じの方も少なくないでしょう。

このアニメのおかげとは言いませんが、大谷が見直されたのは自転車ブームでジャパンカップが果たした役割は無視できないと個人的には確信しています。


休憩という事で、平和観音の参道の入口にあるカフェでに立ち寄ります。



4月14日よりコロナの影響でレストランの営業は休止中ですが、焼き立てパンを買ってカフェで休憩するのには利用できます。

本日は自分のほかに、おそらく地元のロードチームのグループが休日でツーリングで訪れて休憩していました。


結構凝った作りのパンです

この、左側のタルトは絶品でした。



美味しいですが普段食べているパンの3倍ほど高いもので補給というのは、無職無収入の自分がやる事では無いといううしろめたさが残りました(笑)


この後、国道293を北上してロマンチック村という所から自宅に帰るルートがあるのですが、急ぐこともなと、特にルートも決めず田舎道を適当に北上して、国本という所から野沢町を経由します。

途中にTVでも取材に来た大きな竹林のある若竹の杜若山農園という所の横を通ります。




なんでも時代劇の撮影なんかにも使われるそうで、確かにそんな雰囲気がありますね。


あとは田川沿いの田園地帯を東進しすれば、自宅方面に出ます。






これらのルートを3時間くらいかけてのんびりとMTBで走りますが、ルートも決めない、時間に追われない、慌てない、気になった物は必ず立ち寄るを基本に走ると、普段とはまた違う地元が見えてきます。


自転車乗りはとかく速さ、距離、高度、過酷さ(苦笑)を求める困った本能のようなものがある方が、けして少なくは無いですし、自分も距離バカ的なところが有り、ひたすらわき目も降らず遠くを目指して・・・なんてなりがちですが、そういった修行のような自転車ライフは何かと息苦しさを感じる事もあり、いろいろな壁にぶち当たると続かないなんて事もあります。


元来僕は此方のポタリングが大好きな自転車乗りでしたので、週末に過酷な修行で体を痛めつけてパフォーマンスを維持させるだけでなく、出来るだけ毎日少しずつ自転車に乗り続けることで、自分が成りたい自転車乗りの体を維持するために、楽しみながら走る事を、もっと積極的に進めて、皆さんにもご紹介していきたいですね。


と、再就職先を見つけるのが先だろう!という突っ込みはその通りで、優先順位は・・・・やっぱり今は自転車なのかなぁ(笑)