まあ、夜中の仕事というと「深夜ラジオ」は欠かせないアイテムですね。
僕らの年代以上の方だと、受験勉強などで深夜ラジオはお世話になっていたと思います。
ある意味昔は「トレンドの発信源」の中心であった時期もあったでしょうが、今となってはラジオ自体が「過去の遺物」にされる時代ですよね。

とはいえ、「ながら〇〇」にラジオは最適で、個人的に言えばお洒落で粋なパーソナリティの「おしゃべり」を聞くのは嫌いではありませんし、いまやマイノリティなメディアであるが故に、結構表には出ない面白い話や、タメになる話が、日夜電波に乗って流れているという事実も、知っていて損はないと思います。

さて先日某国営放送のAMの「深夜便」をきいいていた時に、「最近は「鼻濁音」が廃れている」というお話を聞きました。
鼻濁音と言ってピンと来ない方もいらっしゃるでしょうが・・・、この「が」を破裂するように「GA!」と発音させれば単なる「濁音」であり、鼻濁音の字の通り、まず鼻に息を通す意識で発音を始めると聞き取れない小さい「ン」が瞬間的に出たすぐ後に「が」を発音する感じになります。
詳しくはネットで調べればいろいろ出ていますが、確かに適切に使われるとガギグゲゴが目立たなく、前後の単語や文節のつながりがスムーズに聴こえてくることが理解できると思います。

僕自身意識して使ったり、教えてもらったことは一度もありませんが、自分の話し方をチェックしてみると、極自然に鼻濁音を使っていることがわかりました。
だからといって別に偉いわけではありませんが、確かに僕の発音や会話は聞き取りやすいという評価を頂いたことはあります。

ということを考えていたら、目の前に写っているTVで、民法の若いアナウンサーは、全く鼻濁音を使っていませんでしたなねぇ(苦笑)。
確かに先のNHKの深夜便のアナウンサーなど、この番組はベテランや、退職されて嘱託でやられている大ベテランの方々がパーソナリティを務めておられますから、それは流暢に、綺麗な日本語で、惚れ惚れするような「話のプロフェッショナル」の仕事を堪能することができます。

それに比べて最近のTV等は、「見てくれ重視」で、まるでお子ちゃまのような若い学校出たての新米を使っていることが多いですから、容姿はともかく肝心の「アナウンサー」としての力量や社会人としての嗜みは「見るも無残」なのは仕方がないことなのかもしれません。

まあ渋谷や原宿あたりの若い方々や「JK」あたりが使う、何処ぞの原住民の雄叫びか、原始人の使う象形文字のようなSNSの絵文字しか使っていない子供たちに、「美しい日本語のために鼻濁音を使いなさい」なんて言っても釈迦に説法・・・・もとい豚に真珠かもしれませんけどね(笑)。

僕自身「正しい日本語云々」で、ケシカラン調の論説はあまり好きではない方なんです。
変な話、どうせ「言語」に正しいもへったくれもなく、時代とともに変化していくものなのですから、どんどん変わっていくのは仕方がないことでは?と思っている方なんです。

だけど、せっかく「文化」として、まるで詩のように流れる美しい言語である日本語を使っている身分んなのですから、鼻濁音も含めて「美しい日本語」は大切にしたほうがいいような気はします。
これも世界から見れば立派な「クールジャパン」になり得るのじゃないのかな?。
原始人の象形文字よりは、いささか高級だとは思いますがね(笑)。