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終戦の日に大和を見に1000km、24時間の旅を決行! [イベント]

今、このブログを、広島県尾道市のホテルで書いています。
今回は、念願だった「しまなみ海道」ツーリングを実行すべく、昨日の17時に自宅を出て、結局仮眠をとりながら徹夜で1000kmを走破してたどり着きました。

11時ごろに呉に到着です。
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呉にある「大和ミュージアム」を見に来ました。
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ここはすでに3回目で目新しいことはないのですが、今年の震災で再び巨大な国難に見舞われた事から、8月15日のこの日に、国運をかけて建造されながら、何の役にも立たず、数千人の将兵を道ずれに海の藻屑と消えてしまった巨大戦艦を、もう一度見て見たくなったからです。
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まあ、そんな固いことを言わないで楽しんでくればいいだけなのですが、周りの観光客のように無邪気に驚いたり喜んだりはどうしてもできませんでした。
これはいつものことなんですが、ことしはまた特別そういった感情が強かったです。
戦争で犠牲になった方や、今回の震災で犠牲になった方の無念が頭から離れなかったからです。

そんな憂鬱な気分でミュージアムを出ようとしたとき、このポスターが目に入りました。
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これは「宇宙戦艦ヤマト」の方の艦長「沖田十三」の、原案・設定提供者の「松本零士」先生が書かれたイラストと、先生の、というより艦長が我々に語りかけたメッセージでした。
お恥ずかし話、沖田艦長は僕が最も尊敬する存在で、艦長の信念である「男なら決してあきらめずに。万にに一つの可能性があるならば、それを信じ沈着冷静に行動せよ」は僕の座右の銘でもありますから、この言葉にも勇気づけられました。

さて、今回の初物として見に来た、真向いにある海上自衛隊の「鉄のくじら館」に行きます。
売り物は数年前まで本当に在籍していて活躍していた海上自衛隊の「モノホン」の潜水艦です。
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海外の原子力潜水艦などに比べれば、潜水艦としてはそんなに大型の部類ではありませんが、2000tクラスの潜水艦は結構巨大で、街並みにこれが置いてあるのは異様ですね。

資料館としては、海上自衛隊の歴史が解るようになっていて、戦後すぐに「警察予備隊」のころから始められた「機雷の掃海」に多くのスペースが割かれています。
ちなみに掃海任務は、海上自衛隊創立以来唯一「実戦」を経験していて、朝鮮戦争時代の掃海任務では、多くの殉職者を出していることは、一般にはあまり知られていない「歴史」の一部です。

これらを見終わって、遅いお昼や、温泉などに入ってホテルに着いたのは17時ごろになってしまい、久々に「24時間作戦」になってしまいました。
翌日は「しまなみ海道」ツーリングの予定なのですが、大丈夫なのかなぁ(笑)。


















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コメント 8

キキ

戦艦大和の博物館を見にいかれていたのですか。
大和に乗って若い兵士たちの命が失われていきましたね。
詳しくは書けませんが、彼らは日本がその後どうなったか知りません。
出きることなら、その後の日本がどうなったか教えてあげてください。
彼らはすごくそれを心残りにしてます。

で、雨降ってませんでした?その件に付いては非常に申し訳ないです。
ごめんなさい。

ちょっとあまり詳しくは書けませんが。
by キキ (2011-08-16 20:55) 

soraneko

キキさんへ

戦没者の方々には、今の日本の姿は情けないやら申し訳ないやらで、とても見せられないという感情はありますが、知らなければいけないのでしょうね。彼らのためには。

松本零士先生は、数十年も昔から今の日本の堕落した姿を予想して、憂慮して怒っておられました。
先生にとっての「ヤマト」は、2番艦で「武蔵」の鎮魂のこめられた「超時空戦艦まほろば」とともに、あの過ちを二度と繰り返さないで、希望の持てる未来を創るために作品化しようとしていたのですが、「著作権」という醜い現実に阻まれてしまいましたね。

昨日は、予報と違い、あの空模様で不思議と呉や尾道は雨が降りませんでした。
本日も、しまなみ海道は終日晴天でした。
by soraneko (2011-08-16 21:36) 

nabe

すごいですねえ^^
行ったことのないオイラは大はしゃぎしてしまいそうです^^;
しかもこの潜水艦。 すごいところに展示してあるんですね。 後ろって大型ショッピングモールじゃないですか???
一度しまなみ海道を走ってみたいので、レポ待ってます^^
by nabe (2011-08-16 22:00) 

soraneko

nabeさんへ

ここのミュージアムは、呉の産業の歴史を展示してあって、大和を作った技術が現代も役に立っている・・・という締め方をしていますが、現実は、国家予算を傾けるほどの資金がつぎ込まれ、とうじの日本の持てるだけの技術をつぎ込んだ、世界最大最強の戦艦が、「戦争にまったく役に立たなかった」という事実と、その背景を皆さんに知ってほしいと思っています。
今も日本が抱える問題の根幹がここにあると思うからです。

まあ、機械や歴史が好きな人なら、理屈抜きには楽しめます。

「鉄のくじら」に関しては、海上自衛隊はかなり力を入れてこの資料館を作ったんでしょうね。
これ、転がってこないかなと不安になりました(笑)。


by soraneko (2011-08-16 23:34) 

ロックシップ

大東亜戦争初戦の頃は中国への進出と南海への展開が主要だったのが、アメリカ・オーストラリア参戦してくる事が予想されており彼らを分断するために太平洋南西部に進軍する必要が生じたので「巨艦を奉じる」必要があったのでしょうが…
結局守勢に回って大和も武蔵も役に立たず連合艦隊は悲惨な結果を迎えてしまいました…

やはり太平洋全域に展開出来るだけの国力の無さを読み切れなかったということと、アジアを味方に付けられなかった戦略の甘さに尽きると思うのですが、散って行った将兵たちの事を思うとやり切れません。

我々が何を学びとらないといけないか、子供達に何を伝えていかねばならないのか、良く考えたいですね。
by ロックシップ (2011-08-18 10:34) 

ももんが

8月15日にここへ行くとは「確信犯」ですね。
尊敬してしまいます。
歴史には詳しくありませんが、大和ひとつ取ってみても考えさせられる事がたくさんありますね。

私は2日で800キロ走って悦に入っていたのですが、徹夜で1000キロとは・・・。
恐れ入りました。
by ももんが (2011-08-18 23:57) 

soraneko

ロックシップさんへ

当時の帝国海軍と陸軍は「仇同志」のように中が悪く、主導権争いと予算の奪い合いという戦闘を繰り広げていましたから、海軍の象徴として、莫大な予算を必要とする「主力戦艦」は、国家のためというより海軍のために必要だったのかもしれません。
故に最後は、軍の体面を保つために無益な「海上特攻」なごという愚行に供せられて、敢え無い最期を迎えてしまったように思います。


by soraneko (2011-08-19 05:13) 

soraneko

ももんがさんへ

ハイその通りです(笑)。
というより、今回はどうしてもこの日に行きたくて、自分の中にある衝動を抑えきれませんでした。
「歴史は繰り返す」といいますが、この国自体を「戦艦大和」のようにしないためにも、多くの人にその成り行きを知ってもらいたいです。

20代の時は、徹夜でドライブなどよくやりましたが、久しぶりです。
でも、不思議と疲れが少なかったのは、経験と、車が良くなったからかもしれません。
ナビも「インターナビ」という通信ナビですが、交通渋滞や気象変動まで画面にリアルに表示されて、経路誘導もかなり精度が高いので「おまかせ」で使えるレベルになっており、一人旅の時には、まさしく頼りになるナビが一人いるようで便利です。


by soraneko (2011-08-19 05:22) 

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