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越えられない河は有るのか? [雑談]

本日は、明日開催される「宮城センチュリーライド」に参加するために、宮城県名取市に来ています。
このところ忙しかったせいで、疲労が溜まっていたのと風邪気味なのかな?という感じですので、準備を終了させて、速めに休むことにします。

さて、お昼過ぎから東北自動車道を北上していたわけですが、運転している間は勿論集中しているハズなんですが、色々と頭に浮かんできて、考え込んでしまう事が有ります。
実は最近感じていた事なんですが、我々のようにある程度歳を取ってから自転車を再開した、もしくは人生初めて自転車に乗り、健康と仲間と生きがいを得る事が出来るようになった「同志」の場合、色々なところで初めてお会いしても、たとばそれぞれの年齢、商業、境遇は千差万別なれど、まるで古くからの親友のように打ち解けて解り合える、「連帯感」を強く感じることができます。

レースをやる人、ヒルクライムに夢中の人、ひたすら一人で走り続ける人、グループでツーリングする人、挑み続ける人、のんびり走る人と、自転車乗りも様々なのは当然なのですが、それぞれの人が、それぞれのレベルで、それぞれ「何かを越えてきた」という所が、連帯感の所以のような気がしています。
で、この何かを「越えていない人たち」との間に、果てしなく広い幅が有り、暗くて深い「溝」のようなものを、ヒシヒシと感じてしまうように成っているんです。

お断りしてきますが、僕はけして自分達が「正義だ」とか「正しい」とかで、どこかの国の共和党の元大統領みたいに「ジャスティス」を振り回すつもりは毛頭ないんですね(笑)。
この辺りは考え方の違いや、人生の捉え方の違いであり、何が正しく適切なのかというより、それぞれが自分の考えと責任をもって、自分の正しいと思う人生を歩いているのなら、何を他人に非難される云われは無いはずですよね。

この「溝」を「河川」に例えるのなら、我々から見れば向こう岸にいる人たちもこれまた千差万別で、まったくこちらなど眼中が無く、一心不乱に下流を目指す人、こちらが気になるのか「チラチラ」こちらを見ながら、興味が無い振りをする人、何度か川を渡ろうとするのですが、流れの速さと水の冷たさに怖気づいて、直ぐに戻ってしまう人、本当は渡りたい気持ちが強いのに、「あっちに渡るのは不可能だ」と、何かと出来ない理由をこじつけて、頑として渡河を拒否してしまっている人など、本当に「人生色々」なんだなぁと感心します(笑)。

まあ、はなから興味の無い方々に無理強いする趣味は無いので、お互いを尊重してお互いの領域に踏み込まなければ良いだけなんですが、興味はあるのだけど、具体的に障害が有って、なかなか超える事が出来ない、もしくは超えることに躊躇いが有るという方の場合、そっと手を差し伸べて、渡し船まで用意してこち岸に招き入れたこともありますし、それでも渡し船の船着き場で固まってしまっている人の場合、何年経っても待ち続けるというようなことも現実にあります。
結局は渡る渡らないの判断は自分で決めるしかないので、「来るものは拒まず、去る者は追わず」というのが、冷たいようですが、大人の場合現実的な対処なのではないでしょうか。

こんな感じですので、僕の場合、本当に多くの自転車関係の仲間が出来た反面、今までの人間関係で、親しくしていた人たちと、別にケンカ別れをしたわけではないのですが、疎遠になってしまった人たちも少なからずいます。
まあ長い人生ですから、そもそも縁あって通じ合った知人たちですので、また何時かお互いの道が重なり合う事もあると信じていますが、僕自身せっかく必死の思いで渡ってきた河を、簡単にまた渡って元の岸に戻るつもりは毛頭ありませんから、向こう岸で自分の殻に籠って耳を塞いでしまっている人たちとは、心から通い合う事は難しくなるのかなぁと思います。

ただ、この越えがたい「河」は、単に「趣味・嗜好」という問題を越えて、心身の「健康」に深く関与していることは間違いなく、自分の人生のみならず、背負った家族の人生さえも左右しかねないので、出来る事なら、勇気をもってこの川を渡って、同じ喜びを共有出来る仲間であってほしいと、切に願わずにはいられません。

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